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キックアス

 アメリカでは反知性主義によって、高校までは文化や学問といったものは蔑まれる。それらを愛好する子供は、そうでない連中にナードとかギークとか呼ばれてひたすら虐げられる運命だ。
 アメリカ映画に於ける高校の九割方は、そういうナードたちの視点から描いた地獄かそれに近い場所である。非ナードの生徒は、性格のねじ曲がったクズか頭空っぽ、もしくはギャング紛いとして描かれる。
 そらそうだよな、映画制作者になるようなアメリカ人は、高校時代はナードまたは自らのナード性を必死で押し隠してきた奴に決まってる(役者の過半もそうだろう)。で、そんな彼らの怨念が凝縮された作品を、現役ナード高校生や元ナード高校生たちが観て溜飲を下げる、と。ナード要素が一切ない真正非ナードは、高校時代もそれ以降も映画なんて観ないから、自分たちがどんな扱いを受けてるのか知らないんだろう、きっと。

 本作の主人公は、そんな生殺しの地獄に似た場所を生きる少年である。『スパイダーマン』1作目を観た時は、ピーター・パーカーのナード振りは相当だと思ったものだが、本作はその数倍ひどい(少なくともピーター・パーカーには最初からMJがいたしね。キルスティン・ダンストだとはいえ)。
 こういう「リアルさ」は、この十年ばかりの傾向だろうな。たぶん現実にはもっとひどい奴はいくらでもいるんだろうけど。

 しかしこの主人公、キモさがリアルすぎて、引いてしまった。
 同じ「若い男のキモさ」でも、「個性」で済む程度のトビー・マグワイアや、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のこの世のものとは思えないほどのポール・ダノ(『リトル・ミス・サンシャイン』では、「個性」で済む程度だった)とは違って、ああいたいた身近にこういう奴……的リアルさで、観ていて非常にいたたまれない思いになってしまったのであった(キモいオタク君に美人で優しい彼女ができるという一見都合の良い展開も、実は彼女がダメ男好きだから、という理由があるので、将来の見通しはあんまり明るくもないのであった。ヤク中の更生施設でボランティアをしてるという設定も、ダメ男好きに説得力を与えている)。

 それよりはオタク全開のニコラス・ケイジの怪演を、もっと観たかったなあ。あと、ヒットガールは大層愛らしいが(私服も可愛いが、制服姿は微妙だった)、平たく言えばあれは復讐に燃えるイカレ親父に洗脳され、学校にも行かせてもらえずに殺人マシンに仕立て上げられた可哀想な女の子なんだよな。
 作中でも、抑え気味とはいえその方向からの描写もあって、時々かなり痛々しい。この痛々しささえ消費されることを前提としているのだろうかとか考えてしまって、少なくとも私は、だって娯楽映画じゃん、と割り切って楽しむことができなかったのであった。

「ナード」について御参考までに……
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