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近況というか。

 少々忙しいので、少々ネット断ちします。

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オーケストラ!

 一応ネタばれ注意。

 ずいぶん感動してしまったのだが、まあソ連・現代ロシアについては以前散々調べたから、思い入れができてるんだろうな。しかもその期間中はチャイコフスキーも散々聴いてたし。チャイコフスキーは本当に、抒情的つーよりエモーショナルだよなあ。
 ブレジネフの不興を買い、以後負け犬人生を送る「元」天才指揮者が、もう一度だけ振りたい、と昔の仲間を集め、ボリショイ管弦楽団になりすましてパリのコンサートホールと契約を結ぶ、曲はチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」と来れば、否が応でも高揚するというものです。

 フランスとかイタリアとか、いろんな国が作ってる映画(監督はルーマニア人らしい)。そのためか、ロシア・ソ連をネタにした笑いでも、ロシア人自身がやるのとは少々質が違うような気がした。なんか、軽い? ロシア人自身がやると、もっと「笑うしかないから笑う」感じで、背後にはずっしりと重く暗い悲劇が。
 あるいは戦争とか粛清とか、周囲がものすごく大変なことになって主人公にも危険が迫ってるのに、本人は女に振られたとかしょうもないことで延々と悩んでるとか(何しろロシア人なので)。

 何はともあれ、主人公の妻は共産党の集会やロシアン・マフィアの結婚式にサクラを手配して小金を稼いでダーチャ(別荘)のある生活を目指し、元チェリストの救急隊員は救急車(急患付き)を運転して主人公の足代わりとなる。かつてブレジネフの手先となって楽団を解散に追い込んだ元敏腕マネージャーは、悔悟の念から主人公に協力すると見せかけて、実はパリで観光したいだけのようであり、と見せかけて実はフランス共産党員と共に共産党の覇権復活を目論んでいるのであった。
 ロシアン・マフィアは絵に描いたような成金趣味ですぐに銃をぶっ放し、主人公と共に楽団の復活を目指すかに思えた元楽団員たちは、パリに到着して現金を手に入れるや否や、たちまち離散して観光や商売に励み、リハーサルもすっぽかす。
 メラニー・ロランは『イングロリアス・バスターズ』に引き続いて絵に描いたような高飛車フランス女を演じ、主人公がこの期におよんでロシア人らしくグチグチ思い悩んで酒に溺れるのを冷たく突き放す。

 まあ「ロシア・ソ連らしさ」をよく摑んではいると思う。とりあえずロシア男は、フランス語を喋る時は人格が変わるらしい。

 そして、こんなグダグダでは奇跡でも起きるしかどうしようもないという状態で迎えたコンサート本番、奇跡は起きて筋金入りの共産主義者が神を信じるようになるのであった。

『12人の怒れる男』感想 (ロシア的笑いの一例)

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ヤギと男と男と壁と

 原題はthe men who stare at goats(ヤギを睨む男たち)。一応ネタバレ注意。
 
 ジョージ・クルーニーの容姿にはまったく魅力を感じないので、二枚目より三枚目を演じてくれたほうがいいのである。コーエン兄弟の「バカ三部作」(『オー・ブラザー』『ディボース・ショウ』『バーン・アフター・リーディング』、「ジョージ・クルーニーがバカを演じた三作」のこと。クルーニーによればコーエン兄弟自身の発言)から明らかなように、「自分が実際よりもかっこいいと信じてるアホ」の役が一番はまってるよな。
 
 つまり、ジョージ・クルーニーは顔が濃すぎて、演技の巧拙以前に何をやってもジョージ・クルーニーにしか見えないのである(まあ下手だとまでは思ってなかったが)。
 今作の過去パートでは、「長髪+口髭のジョージ・クルーニー」が登場する。あの濃いい顔に長髪+口髭とは、想像するだに胸焼けしそうだが、実際には現在パートの短髪無鬚クルーニーに比べれば相当あっさりしていたのであった。
 
 この過去パートは作中時間にして二十年ほども前であり、ジョージ・クルーニーは若者にして、かつ「ダークサイド」を知る前の無垢な状態であったという設定である。過去パートの「無垢な若者」と現在パートの「暑苦しいイカレ親父」が、「濃さ」にまで変化をつけて、きちんと演じ分けられていたのだ。もちろん、メイクでも濃淡をつけてたんだろうけど。
 というわけで、だいぶ感心しました。あと、確かに「ヤギをも睨み殺す眼力」の持ち主は、ハリウッド広しといえど、そう何人もいそうにない。
 
 ユアン・マクレガーとジェフ・ブリッジズも、バカ(と言って悪ければ、「あまり物を考えるのが得意でない」)がはまり役である。マクレガーについては、『スター・ウォーズ』のエピソード2および3は例外で、かなり賢そうに見えた。それだけ、ほかのキャラクターがアホばっかりということなのであろう。
 そのジェダイの騎士ことマクレガーが、かつて米軍の「超能力部隊」でジェダイの騎士になることを目指した男たちを取材する、というお話なのでした。なお、この超能力部隊は実在したそうな。
 ユアン“オビ・ワン”マクレガーが、「僕もジェダイになれるだろうか」とか(で、ジェフ・ブリッジズが「ああ、なれるとも」)、完全に悪ノリである。

 ソ連に対抗して作られた超能力部隊を率いるのが、ベトナム戦争で啓示を受け、愛と平和に目覚めたジェフ・ブリッジズであった。ジェフ・ブリッジズは、「ヒッピーの成れの果て」役も巧いかもしれない。

 フラワー・ピープルの「愛と平和」という目的自体は大変結構なことである。しかしそこに至るために彼らが用いた手段や理論(と彼らが呼ぶもの)の阿呆さ加減と、何よりあの独善性と押し付けがましさが嫌。体験しなくて済んでよかった、とつくづく思う(73年生まれだが、田舎育ちだったので、まったく影響を被らなかったのであった)。
 しかし、じゃあアンチ70年代ならなんでもいいか、というと無論そんなことはない。本作でも、ヒッピー文化の「愛と平和」が滅び、その「ダークサイド」だけが生き残る過程が描かれている。すなわち、LSDをはじめとするドラッグと、事態を悪化させることはできても改善はできないマインドコントロール技術だ。

 そのダークサイド(『スターウォーズ』から引っ張ってきた言葉なのだから、字幕は「暗黒面」にすべきであった)を体現するのがケヴィン・スペイシー。暗黒のマインドコントロール技術は90年代をどうにか生き伸び、イラク戦争によって見事に返り咲く。しかも、もはや国家には属さない委託会社というところが当世風である。

 自らの暗黒面に対し、フラワー・ピープルは結局無力だったのか? その問いへの答えとして、結末で彼ら(フラワー・ピープルの成れの果て)はLSDによって非常に限定的にとはいえ、イラクに愛と平和をもたらすのである。いや、ほんとに限定的でしかないんだけどね。

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