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12人の怒れる男

 一応ネタバレ注意。

 シドニー・ルメット版は、確か大学一回の人権論か何かの授業で見せられたんだよな。最後までじゃなくて、授業終了時間になったら「後は各自ビデオを借りるなりして観てください」。ビデオデッキ持ってない下宿生に何を言いよんねん。
 もう逆転無罪はほぼ確定ってところまで進んでたし、有名な作品だからあちこちでネタバレもされてるしで、再鑑賞することなしに来てしまったのであった。まさかあの当時は、続きを二十年も後に、しかもリメイクなのはまだしもロシア版で観ることになるとは想像もしなかったねえ(ソ連もまだ存在してたしな)。

 で。大筋の展開は記憶にあるとおりなのに、どっぷりロシアである。12人の男たちのほぼ全員が、自分のバックグラウンドを語っては感極まるのである。そしてそこに21世紀初頭の混迷が重なり、それを語ってはまた感極まる。語らないキャラが気の毒に思えてくるほどである。笑っちゃうくらいロシアだ。
 このどこまでマジなのかネタなのかわからない感じも含めた「笑うしかないから笑う」感じが、『オーケストラ!』の笑いには欠けてたんですね。いや、あれはあれでいいんだけど。

 結末も、いかにも21世紀ロシア的だなあ。少年と「ニコライおじさん」の最後の会話に至っては、「何かっこいいことになってんのおおおおおお!? 」。このやや場違いな展開もまた、『ナイトウォッチ』シリーズ(および『ウォンテッド』)的な意味で「ロシア的」である。
 なんかあの場面に限っては、リュック・ベッソン麾下の若手監督たち(『映画秘宝』風に言えば、永遠の中学生集団)が喜んで作りそうな続編を想像させる。てか、作れ。

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ナルニア国物語第3章

 そういや、映画では船の名前(朝びらき丸)出てきたっけ?

 映像化とかコミック化とか、とにかく一つの作品を媒体を変えて表現する時、いろんな変更がなされるものだが、違う媒体ならではの変更とか尺の違いによる変更以外の、「どう客観的に見ても変える必要ないんじゃん。てか、かえって悪くなってんじゃん」という変更は少なくない。
 私は性格がねじけているので、そういう「改悪」を見ると、それを行った者に対し、「おまえ、『これで原作より良くなったぜ』とか思ってんだろ」と邪推してしまうのである。つい。

 ナルニアの映画化は三作ともすべて、制作者の「これで原作より良くなったぜ」感が満ち溢れているねえ。つーか、ピーター・ジャクソンは『指輪物語』を愛してるけど、ナルニア映画版のスタッフは、誰ひとりとして原作を愛してない。
 そんなんだったら映画化するなよと思うのだが、まあそこは大人の事情というものなのだろう。

 前作がコケたのでディズニーに捨てられたが20世紀FOXに拾ってもらった本シリーズは、なんでかそこそこの成績を収めたので(出来は前作と大して変わらんのだが)、もう少し続けられる可能性が出てきたそうである。本作のラストでは原作の次の話『銀の椅子』に続く気満々であったが、次作の候補としては『魔術師のおい』も挙がってるんだそうな。

『魔術師のおい』と言えば、ジェイディス様である。彼女と白い魔女が同一人物なのかよくわからんのだが、映画化するならキャストはやっぱりティルダ・スウィントンであろう。制作スタッフに原作への愛はもはや望まないが、ティルダ・スウィントンへの愛は必須である。
 ティルダ・スウィントンがど派手な衣装で(2メートル強という設定はなくなってしまうだろうけど)19世紀末のロンドンを暴れ回り、辻馬車を(御者台ではなく屋根に立って)暴走させたり、素手で街灯をねじ切ったりするシーンが見られるなら、ほかをどんなに改悪していようと文句はない。

 いや、全然期待はしてないけどね。

シリーズ前作感想

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