地獄の黙示録
先日、コンラッドの『闇の奥』を読んだのである。そういや、これ『地獄の黙示録』なんだよな、以前観てからもう十年くらい経ってるし再鑑賞してもいいかな、と思った次第である。
で、ツ○ヤに行ったら、「特別完全版」しかなかったのであった。
私は、好きな作品であっても、こういった「完全版」の類(「特別じゃない完全版」ってあるのか?)と劇場公開版をわざわざ見比べるほどの熱心な映画ファンではない。両方観ている作品は数えるほどで、それもたいがいは、今回のように偶々再鑑賞する気になってレンタル店に行くと「完全版」しか置いてない、というケースである。
「未公開映像」と聞いても、それがどれだけ好きな作品であっても、別に興味も湧かんしな。今まで観た「完全版」に追加されてる「未公開映像」も、「なくてもいい」か「ないほうがいい」のんばっかしだ。
配給会社の勝手な編集で作品がズタボロに、という例も偶にはあるんだろうけど、やっぱ「他人の意見」はそれなりに尊重すべきだよね、と思うのであった。
今回も、例外ではなく。ただでさえ長いのんに53分の追加で、202分だ。三日掛けて観たよ。「ないほうがいい」とは言わんが「なくてもいい」ってーか、もはや映画じゃなくて、大長編小説の映像版という例のない形態(TVドラマシリーズともまた違う)になってもうてるがな。
さて、『地獄の黙示録』はベトナムだが、『闇の奥』はコンゴである。要するに「土人のいるジャングル」ならどこでもいいんじゃん、という話だ。
マーロン・ブランドは禿頭と厚い脂肪がぬめぬめとした異様な質感で、異教の偶像のような迫力があると言えんこともないが、コッポラによる「痩せろ、台詞を覚えろ」という、当然至極の指示にさえ従えなかった、という事実を踏まえると、信楽の狸にしか見えないのであった。いや、これも「異教の偶像」と言えないこともないですね。
なんかさー、どうせ当時の欧米人で信楽の狸を知ってる奴なんかほとんどいなかったんだしさー、ほんとに狸を置いて台詞はテープで流しときゃよかったんだ。全然動かないんだし。『闇の奥』でカーツ/クルツが痩せてる、という描写を読んだ時は、思わず笑ったよ。
ベトナム戦争でアメリカ人は、西洋人が19世紀末に達していた境地に達することができた、と言えなくもないから(でも結局、何も教訓を学ばなかったから現在のイラク・アフガンがあるわけだが)、ベトナムで『闇の奥』をやる必要はなかった、とまでは言わん。でもキルゴア大佐やプレイメイトの前半と、カーツ大佐の後半は明らかに断絶してるよな。
で、私は前半だけでいいや、と思うのであった。
それにしても、「ワルキューレの騎行」を聴くとヘリコプターの編隊が、「ツァラストラかく語りき」を聴くと骨を手にした猿が思い浮かんじゃうってのも、困ったものだね。
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