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鬼が来た

 原題(中国語タイトル)は「鬼子来了」。
 中国語で「鬼」は「幽霊」くらいの意味で、ポジティヴな意味も持つ日本語と違ってネガティヴな意味しかないそうだが、英語タイトルだと「鬼」はdevilになっていた。日本語での「鬼」の意味も踏まえて間を取ったという感じだな。

 一応ネタばれ注意。

 日中戦争末期。日本軍占領下の海辺の小村に住むマーの許に、深夜、謎の男が麻袋に入った日本兵と通訳を運んでくる。彼らを大晦日(数日後)まで匿い、尋問しておけ、従わなければ殺す、と脅し、男は来た時と同じように忽然と姿を消す。
 殺す、と脅されたのはマー一人だが、責任を一人で負いたくない彼は、「村人全員を殺すと言った」ということにして皆の協力を求める。かくして、麻袋の二人は村の秘密となる。

 長引く戦争と日本軍による食糧徴発によって、村は非常に貧しい。村のすぐ近くには日本軍のトーチカがあって小さな部隊が駐屯しており、村人は日常的にその横暴にさらされている。だが村に戦火が及んだことはなく、また駐屯部隊の隊長の温厚な性格(村の巡視のたびに、子供たちに飴を配るのが習慣である)もあってか、直接間接に人死が出るような目には一度も遭っていない。
 そういうわけで、村人たちにとって死の危険は想像上のものでしかない。日本兵が中国人の男を殺し女を犯すということは知っているが、それはどこか遠くの土地の話でしかなく、そのように漠然とした情報だけで目の前にいる日本兵を憎むようなメンタリティを彼らは持ち合わせていない。中国人通訳を「敵の協力者」と蔑む発想もない(そもそも、通訳という職業があることすら知らなかったのである)。
 獣のように(日本語で)吼え猛る日本兵(香川照之)の狂態に辟易しつつも、マーは恋人のユィエルと共に彼らの世話をする。村人たちもなんだかんだと言いながら、食料を分けてくれる。

 年が明けても、なぜか誰も麻袋の二人を引き取りに来ない。困った困ったと思いながら、彼らは半年も世話をし続ける。二人の存在が日本軍に知られたら、「想像を絶するほどひどい目に遭わされるだろう」と怯えているが、まさに想像上でしかないのだ。
 それでも、ひどい目に遭うことは確実なので、とうとう二人を殺してしまうことにする。善良な普通の人々(いや、普通と言うには少々間抜けすぎるが)というのは、結構ひどいことを考え付くものなのである。
 しかし善良な彼らにとって、「殺す」というのは「殺される」と同様、想像上のことに過ぎないので、いざ実行するとなると誰もが尻込みしてしまう。そこで町へ刺客を雇いに行く。
 幸か不幸か殺害は失敗し、その間に香川照之は村人たちの優しさに心を解きほぐされる。そして彼らの親切に報いようとする――のだが、まあハッピーエンドで終わるはずもなく、行く手には惨劇が用意されているのであった。

 マーをはじめ村人たちは、幾度も日本兵たちについて「同じ人間だ」と述べる。そこには「だから、想像を絶するようなひどいことはしないだろう」という期待が込められているのだが、その期待は最も無惨なかたちで裏切られる。
 しかし、「だから日本人は人間ではないのだ」というのではなく、人間とは人間の想像を絶する蛮行を為し得るということなのである。そのことは結末のマー自身の変貌によっても示されている。

 というようなことはさておき、大破局に至るまでのマーたちの村の平穏は、あまりに牧歌的で非現実的なほどである。それは、この村が現実とは薄い膜で隔てられた、ある種の異界だからにほかならない。
 現実とは薄い膜を一枚隔てているだけなので、戦争の影響は確実に村にも及んでいる。それはトーチカの日本軍による食糧徴発であり、さまざまな横暴である。しかしそれはあくまでも、薄いが強靭な膜によって隔てられたものだ。

 そこへ、麻袋に入った日本兵(と通訳)という異物が放り込まれることによって、平穏は大いに掻き乱される。二人が村に留まる期間が長くなれば長くなるほど、膜に掛けられる現実の「圧力」は高まっていくのだが、村人たちはそれを察知することができない。麻袋の二人も村に留まるうちに平和ボケしてしまい、現実の過酷さを忘れてしまう。そうして、純粋に感謝の気持ちから、膜を破ることを提案し、村人たちもそれに乗ってしまうのだ。
 襲い掛かる現実に、村が業火とともに崩壊した後、一人残ったマーの前には、荒涼とした現実がどこまでも広がっている。そして、彼が死んだ後にも現実は続いていくのである。

 ところで、その「現実」の中で、米軍(絵に描いたような米軍で、ガムをくちゃくちゃ噛んでいる)の威を借る国民党将校の偽善ぶりが風刺されている。風刺の対象が国民党だから検閲を通ったというのが、たいへんわかりやすいですね。

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