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SFセミナー2012

 5月4日(金)~5日(土)にSFセミナーが開催されますが、その合宿企画、「『原色の想像力2』読書会に参加させていただくことになりました。

 合宿企画は鳳明館 森川別館(文京区本郷6―23―5)にて、 19:00開始~8:00終了(予定)です。

 小学校の読書感想文以来、小説の感想を述べるのはものすごく苦手なので、大して発言はできないかと思いますが、頑張りますのでよろしくお願いいたします。

 パンフレットから、企画紹介です。↓

『原色の想像力2』読書会
  出演(予定):松崎有理、宮内悠介、酉島伝法 、忍澤勉、仁木稔、岡和田晃(ほか)
 課題図書:『原色の想像力2』(創元SF文庫)

 第2回創元SF短編賞最終候補作から7作品と正賞受賞者の第2作を加えたアンソロジー『原色の想像力2』(創元SF文庫)の読書会を開催いたします。
 同アンソロジーに作品が収録されている酉島伝法、忍澤勉をはじめ、『あがり』の松崎有理、『盤上の夜』の宮内悠介、「SFマガジン」2012年6月号に待望の新作が掲載された仁木稔ら、豪華参加者が、独自の観点から語り倒します。
 ぜひ『原色の想像力2』をお読みのうえ、あなたも読書会にご参加ください!

SFセミナー公式サイト

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Dreams came true

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『SFマガジン』6月号が発売しましたよ。
 仁木の中篇(短篇?)「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」が掲載されています。イラストは橋賢亀氏。

 これは「ハヤカワSFシリーズJコレクション創刊10周年記念特集」の一環ということで、Jコレクション既刊53点全レビューには、岡和田晃氏による『グアルディア』と『ミカイールの階梯』のレビューもあります。『グアルディア』はJコレの22点目、『ミカイール』は42点目なんですね。

 そういうわけで、『SFマガジン』初掲載(小説)です。表紙に! 『SFマガジン』の表紙に私の名前が!
「Jコレ10周年記念特集」では、大森望氏が「Jコレクション10年史」を書かれておられるのですが、まず冒頭で「Jコレクションに至るまでの早川書房の日本SF専門叢書の歴史」が回顧されています。

「……つまり、60年代、70年代、80年代と、早川書房のSF専門叢書が日本SFの求心点をつくってきた格好だ。
 ところが、90年代に入ると日本SFの売れ行きは低迷。長い“冬の時代”が続き、98年には、SFと銘打つ新刊の単行本がまったく出なくなるところまで追い込まれた。……」

 73年生まれの私がSFに嵌まったのは小学校に上がってから、つまり79年か80年。学校や市の図書館に充実した児童SFコレクションが入っていたのは、もちろん早川書房が日本におけるSF黄金時代を牽引してきたお蔭です。
 早川SF文庫を読み始めたのは小六の後半からで、市立図書館に『SFマガジン』が入っていることを「発見」したのはその数ヵ月後だったから、もう中学には上がってたかな。85年です。

 あの頃のSFは、本当に輝いていた。当時からのSFファンなら、そのことを認めない人はいないだろう。しかし誰にも解るまい、当時の私にとって、SFがどんなに輝いていたかを……
 周囲にSFファンが一人もいない田舎で(図書館に『SFマガジン』が入っていたから、一定数存在していたのは間違いないんだが、一人も遭遇できなかった)、中学の制服は最悪にださく(女子は襟なしブレザーにボックススカートだった。今でもそうである。お気の毒に)、髪が長いと怖い先輩方にシメられる(男子だけではない、女子もだ)というので、長くしていた髪を小学校卒業と同時に切ったらサラサラストレートがくるんくるんの天パに変わってしまい(ホビットみたいになった。思春期女子にとってどれだけ痛手か、御想像いただきたい)、いやつまり何が言いたいのかと言うと、そういうこともすべてひっくるめた冴えない灰色のどんづまりの世界において、『SFマガジン』は眩い別世界への扉だったのだ。

 だからSF作家になりたいと夢見たのは当然だった。それも、早川書房からデビューしなくてはいけない。「ハヤカワSFコンテスト」でデビューし、その作品が『SFマガジン』に載る……魂を売り渡してもいいほどの夢だった。
 いやほんとに、当時の私だったら、その夢を叶えるためには魂くらい売ってたと思います。だって、小説が書けなかったんだもん。頭の中に素晴らしい物語は広がってるのに、それを文章にしようとすると、まったく形にならずに空中分解してしまう。そのうえ「素晴らしい物語」であるはずのものも、どうしようもなく無価値でくだらなく思えてくる。
 絶望に追い打ちをかけるが如く「SF冬の時代」が到来し、かくて私の夢は潰えたかに見えたのでした。

 再び、大森氏の「Jコレクション10年史」から引用(上記の続き)。
「しかし、その翌年(注・99年)から状況が少しずつ好転。00年には、SFマガジンの年間総括企画を独立させた『SFが読みたい!』が誕生、徳間書店の〈SF Japan〉や徳間デュアル文庫、ハルキ文庫《ヌーヴェルSF》シリーズも創刊された。
 そして02年、早川書房にとって十九年ぶりの新しい日本SF専門叢書となる《ハヤカワSFシリーズ Jコレクション》が登場する。……」

 小説家になる夢なぞ、とうに諦めていた99年、どういうわけか唐突に小説が書けるようになった、つまり、「頭の中にある物語を文章にすることができるようになった」のでした。
 どうしてなのか、要因は一応いろいろ考えられるのですが、それでもやっぱり、「どういうわけか唐突に」としか言いようがない。練習も準備運動もなんにもなしに、やってみたらできました、という感じで。
 お蔭で小説家になる夢は再燃したわけですが、SF作家になれるとは思っていませんでした。私自身、SFから遠ざかっていた時期が長すぎて。
 しかしSFを取り巻く状況が好転しつつあったことには気づき、その後少しずつSFに回帰していき、そうして02年に書き始め、丸一年掛けて書き上げたのが『グアルディア』です。

 どこか、SFでも採用してくれそうな新人賞に出すつもりで、400字詰め換算500枚の予定で書いたら、でき上がったのは約1000枚……それまでに書いてた何本かの長編(どれも非SF)は、どれも300枚台だってのに。
 そしてそれがJコレクションの1冊として刊行されたことで、「早川書房からSF作家デビューする」という夢が、まったく予想もしなかった経緯で実現したのでした。

「ハヤカワSFコンテストでデビュー」は、同コンテストがなくなったことで永遠に実現不可能となってしまったのですが、しかし、大学ノート数ページに箸にも棒にも掛からない文章を書き綴っては「コンテスト規定の400字詰め原稿40枚以上も書くなんて絶対無理だ」と絶望していた中学高校時代には想像もつかなかったことですが、小説が書けるようになった私は500枚予定が1000枚、600枚予定が1200枚(『ミカイールの階梯』)となる長編体質と化していたので、たとえハヤカワSFコンテストが存続または復活していても、それでデビューするのは絶対不可能でしたね……本当に、佐藤亜紀先生と塩沢快浩編集長(当時)には、どれだけ感謝しても足りません。

 というわけで、晴れてSF作家となった私の前には、夢の後半「小説が『SFマガジン』に掲載される」を実現するまでの長い道のりが待っていたのでした。そう、実は長編と長編の合間に、何度も短編に挑戦しているのですが、どうしても長くなる……
 短編にこだわったのは、実は「短編こそがSFの真髄を表現できる」と思っているからなのです。SFで「物語」は重要ではないのです。この考えは、中学高校時代から変わらない。
 なのに、短い話が書けない……一番ひどかったのは、150枚くらいの中編だったら二回に分けて掲載してもらえるかも、と書いてみたら4倍近い長さになった『ラ・イストリア』ですね……
 ならばなぜ、『神林長平トリビュート』の「完璧な涙」が既定の50枚にぴったり納まったのかといえば、与えられた企画で書いてるからです。『スピードグラファー』のノベライズも、規定枚数どおりだし。
 当ブログのお蔵出し「鴉の右目の物語」も、実は2001年頃、所属していた創作サークルの会誌に書いたものです。連載なんかしたって誰も読んでくれないだろうから短い話を、と考えたのがあれ。要するに、好き勝手書いていいとなると歯止めがなくなるわけですねー……
『トリビュート』の「完璧な涙」は、私にとって最もSFが輝いていた80年代後半の日本SFの雰囲気の再現を試みたもので、自分ではかなり巧くいったと満足してます。しかも短編だし、時間SFだし。

 試行錯誤の末、ついに『SFマガジン』に作品掲載が実現し、感無量です。80年代後半、SF最盛期に「早川書房からSF作家デビューし、作品が『SFマガジン』に掲載される」という夢を抱き、SFの衰退によってその夢を失い、SFの復活によって夢も復活し、実現にまで至ったわけです。
 85年からだとして、夢の前半が叶うのに19年、後半が叶うのに27年……いやー長かった。

 ちなみに、小学1年生の私をSFに嵌まらせたのは、『火星のプリンセス』でしたよ。これの実写映画化も「当時は想像もできなかったこと」ですね。

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神林長平トリビュート 文庫化

 絶賛発売中(私一人の著作ならよう言わんが、アンソロジーだし)。

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神林氏デビュー30周年記念として、8名の作家(敬称略)が氏の作品をトリビュート:
 海猫沢めろん「言葉使い師」
 虚淵玄「敵は海賊」
 円城塔「死して咲く花、実のある夢」
 桜坂洋「狐と踊れ」
 辻村深月「七胴落とし」
 仁木稔「完璧な涙」
 元長柾木「我語りて世界あり」
 森深紅「魂の駆動体」

 序文は神林氏御本人です。
「その八氏による八篇の作品に触れてまず感じたのは、ここには現在(いま)がある、という強い印象だった。ぼくの作品を現代流に換骨奪胎するとこうなるのかといった感慨や感想が浮かぶのは、そのあと、じっくりと読んでからのことだ。」

 単行本が出た時、序文の中の上の記述と遭遇して、えらい動揺してしまったものです。「よ、読まれてもた」と。
 いや、神林氏が御自分の「デビュー30周年記念企画」として出されたトリビュート作品を読まないような人だと思ってたわけではなくて、一ファンとしては氏が私の拙いトリビュート作品をいつかどこかで読んでくれるんだなあ、と思うだけで満足というか、もういっぱいいっぱいなのに、「じっくり読んだ」と明記されてその事実を目の前に突き付けられてしまうと、ただただ動揺するしかないわけですよ。

 ちなみに私は神林氏にお目に掛かったことはまだありませんが、もしお目に掛かれて、でもってトリビュートのことを言われてしまったりなんかしたら、すっ飛んで逃げますよ(そして言われなかったら言われなかったで、後々まで悶々と苦悩するであろう)。

 この企画では、自分の好きな神林作品を選べたわけですが、私は『完璧な涙』か「抱いて熱く」(『小指の先の天使』所収)で、と希望したところ、編集氏から『完璧な涙』で、と指定されたのでした。
『完璧な涙』のトリビュートは、原作(という言い方でいいのかな?)の枝編のような形で書きましたが、「抱いて熱く」で考えていたのはオリジナル色強めで、というかもろに東洋趣味の話でしたね。いろいろ印象的な視覚イメージが生まれたので、形にできなかったのは残念です。いや、魔姫を書けたのは嬉しかったんですが、それはそれ、これはこれ、で。

 オリジナル色強くて東洋趣味でも、あくまで原作の確固たる世界を基盤としてるので、私自身の作品への流用は不可……発表の機会があるかどうかはさておき、神林氏のデビュー40周年記念の時にでも書いてみるとかどうだろう。

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ヒックとドラゴン

 春休み中の姪(8歳)を預からなきゃならなくなり、子供向けのDVDを借りに行く。実写にするつもりだったんだが、お子様作品は軒並みレンタル中であった。うーむ、考えることは皆同じか。

 CGアニメをちゃんと観るのは、これが初めてかもしれん。「細部の喜び」に浸るための作品であり、ストーリーもキャラクターも細部に奉仕するためだけにあるようなものだな。いや、いい意味で言ってんですが。
 目の愉しみとなる美しい映像、それを際立たせる脚本と演出。まあ正直、人間のキャラクターはどうでもよくて、ドラゴンと風景が素晴らしかったです。トゥースかわいい(デザインがちょっとスティッチみたいだが)。

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