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暑中お見舞い申し上げます

 HISTORIA設定集の「年表」を加筆修正しました。

 という報告だけではなんなので、近況などでも……………………特に何もありません。今度こそ「短い話」を書こうと苦闘する、代わり映えのしない日々ですよ。

 そろそろ本格的に暑くなってきましたね。信州出身なので暑さに弱く(寒さにも弱いけど)、故郷を離れて以来、毎年毎年、夏の猛暑が何ヵ月も続くような感覚があるのですが、考えてみれば本格的な暑さは梅雨明けからで、特に数年前から住んでるここ湘南では、9月も後半になればかなり過ごしやすくなりますから、猛暑・酷暑と言えるのはせいぜい2ヵ月程度なわけです。

 そう、たった2ヵ月。それだけだから、今年も頑張って乗り切ろう……と自分に言い聞かせております。皆さんも熱中症には気をつけてお過ごしください。
 

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サロゲート

 人類の大多数(「何十億人」と言ってたから、大多数なんだろう)が自宅に引き籠り、自宅外の活動はすべて(仕事からレジャーまで)脳波で遠隔操作するロボット「サロゲート」に代任させるようになった近未来。あり得ないはずの「殺人」事件が起きる。
 以下ネタばれ注意。

 こういう身代わりロボットとか仮想現実とかを扱ったSF映画は、例外なく「偽りの人生を否定し、本物(生身)の人生に戻ろう」って結論になってまうんだよね。いや、例外はあるかもしれないけど、少なくとも私は観た覚えがない。
 そういう映画で描かれる「偽りの人生/生活/世界」は、ほぼ例外なく問題があり過ぎるんで、それを否定する結論になるのは当然と言えば当然なんだが、しかし順番としてはまず結論ありきで、そこに至るために問題のある「偽りのシステム」が捻り出されている、とも言える。
 この「サロゲート」システムも、セキュリティをはじめとして欠陥だらけなんで、当然ながら私も御免こうむるが、「偽りのシステム」が現実世界より良いのはもちろん、少なくとも大して変わらないものだったら、別に偽りでもいいじゃん、「本物」にそんなに価値があるか? と思うのであった。『マトリックス』(1作目しか観てない)とかね。

 まあシステムに問題はあるものの、脳波で動かす義肢という現実に研究開発が進められている技術から始まって遠隔操作ロボットが障害者用から軍事利用へ、というイントロダクションは結構リアリティがあってよかった。
 ロボットを演じる役者たちの皮膚が妙にのっぺりして見えたのは、ロボットっぽく見せるために多少CG処理でもしてるのかな。そういう細部には好感が持てた。
 ブルース・ウィリスもロボットと生身の二役で、ロボット役の若造りは結構笑えた。マッチョではなく優男風なのは、引き籠りっ放しで身体が弱ってる「生身」をそれなりにかっこよく見せるための方便なんだろう。

 ところで、ブルース・ウィリス出演作はそれほど観てるわけじゃないが、何か「妻と心が通わなくなっている夫」役が幾つか被ってるな。思い出せるだけでも『ダイハード』『アンブレイカブル』がそうだし、『シックスセンス』も一応そうだと言えるだろう。『永遠に美しく』はちょっと違うが。
 で、これもそうなわけで、奥さん(本物)の顔の傷痕についてはなんの説明もないが、息子を亡くした時の交通事故ということなのかな。

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サボテン・ブラザーズ

 原題は主役トリオの名であるTHREE AMIGOSで、邦題はたぶん監督がジョン・ランディスだから『ブルース・ブラザーズ』にあやかろうとしたんだろう。あやかれたんだか知らんが。ジョン・ランディスも出演はしてないし。

 20世紀初頭のメキシコ。荒野の村が山賊に支配され、耐えかねた村人たちは一人の若い女性カルメン(たぶん村長の娘)を町に派遣し、山賊退治をしてくれる正義漢を探そうとする。カルメンは偶々教会で上映していた「スリー・アミーゴス」の西部劇を見て、彼らが本物だと信じてしまい、ハリウッドに電報を打つ。一方、新作がこけてスタジオを解雇されたアミーゴスは、その救援依頼を出演依頼と勘違いし……
 という、『ギャラクシー・クエスト』みたいな話。いや、こっちのほうが先なんだが。以下、一応ネタバレ注意。

 何か、ギャグが全般にものすごくベタで、ドリフみたいだった。金盥が頭上に落ちてきてもおかしくなさそうなくらいに。
 そういう野暮ったいというか素朴なギャグも、時々はツボに入って笑え、かつ間抜けなスリー・アミーゴスも決めるところでは決めて、大団円へと至る。とはいえ、主役たちの「その後」にも触れている『ギャラクシー・クエスト』と違って、仕事も金もコネもない状態で放りっぱなし、というあのラストを大団円と言い切るのは躊躇われるんだが、続編を作る気でいたんだろうか。

 細部が意外にきちんと作り込んであって、特に序盤の酒場にたむろしている連中には、よくこんな面構えの役者を揃えたもんだと感心させられた。
 山賊に武器を供給するドイツ人の目的は不明だが、当時のドイツで西部劇が人気だったというのは事実だったりする。そんなことまで押さえて設定してたとしたら、ちょっと凄いなと思いました。
 カルメンのお供をしているロドリゴという男の子が、終盤まったく出てこなくなってしまうので、何か問題でもあったんだろうかとか気になったり。

『ギャラクシー・クエスト』感想

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ラム・ダイアリー

 以前にも書いたと思うが、ジョニー・デップは実は意外と演技のバリエーションが少なく、一番根底にあるのが①「迷子の目をした青年」で、そこから派生したのが②「奇人または怪人」と③「アル中またはヤク中」。大部分の役柄が①②③のどれかか、それらを適宜混ぜ合わせたものだと言える。
 で、今回は①と③の混合のバリエーション。

 ハンター・J・トンプソンとジョニー・デップの組み合わせは『ラスベガスをやっつけろ』以来だが、今回はまだハンターがクスリは(ほとんど)やってない時代の話なので、あれほど無茶苦茶ではない。
「無茶苦茶」というのは褒め言葉として使われる場合もあるけど、この場合は文字どおりの意味でしかなく、あの作品はまったく共感を抱けないヤク中二人の生態観察記録といった趣であったが(そういう意味ではおもしろくはあったが)、今回は一応ストーリーはある。ジョニー・デップがマイケル・リスボリとジョヴァンニ・リビシと一緒にひたすら酔っ払い(かつ1回だけラリる)続ける合間にかろうじて進行するストーリーだが。

 以下、ネタばれ注意。
 プエルトリコで暴利を貪る、絵に描いたような悪徳アメリカ人実業家役が、ナイスガイ面した嫌な奴を演じさせたら右に出る者がいないアーロン・エッカート。
 この男に利用され掛けた揚句、あっさりお払い箱にされたジョニー・デップは、不正を暴く決意をするのだが、それまで悪徳アメリカ人たちの行動に顰蹙するよりも酔って醜態を晒している時間のほうがずっと長かったので、いきなり「闘おう」とか言い出しても説得力がない。
 義憤は本物だとしても、酩酊してる時間がもう少し短かったら、もう少し早い段階でもう少しマシな対処ができたんじゃないか、としか思えないのである。

 あと、原作が自伝(的)だけあって、主人公の義憤やら心意気やらにナルシズムが芬々と。結局、間抜けな理由で失敗に終わるのだが(印刷機が押収されたことくらい、先に調べておこうよ)、それを自嘲している気配はない。
 どうも自伝の映画化って、なぜか作者のナルシズムや身勝手さが浮き彫りになる傾向が強い気がするんだが、つまりはこれも例に漏れず。
 1950年代のプエルトリコの街や自然の映像は、文句なしに素晴らしかった。

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はじまりと終わりの世界樹 Ⅰ

『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』所収。初出は『SFマガジン』2012年8月号。

「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」(『SFマガジン』2012年6月号掲載)では2001年を舞台に、某超大国の一市民の視点から、変容しつつある世界を現在進行形で描いた。本作「はじまりと終わりの世界樹」では1985年生まれの人物が2012年の時点で己が半生を振り返るという形で、この「世界の変容」をより大きなタイムスパンで描いている。
 なお、本作では「某超大国」は「合衆国(エスタドス・ウニドス)」と呼ばれている。Estados Unidosとはスペイン語でU.S.Aのことだが、本作においては現実のU.S.Aとはあくまで別ものです。「マニフェスト・デスティニー」を掲げてパナマを「裏庭」と称する「メキシコの北と国境を接する大国」を、なおも別ものと言い張りますよ。

 この作品で描きたかったことの一つは、「陰謀論という現象」である。
 およそ人間である以上、誰もが陰謀論に陥る可能性がある。なぜなら人間の脳は、あらゆるものにパターンを見出すようにできているからだ。そこからさらに意味や意義、因果関係を見つけ出し、世界を把握するための物語を作り出す。
 この「物語」に反する情報に出会っても、ありのままに認めて適切に対応できるものであれば問題はないだろう。しかし人間の脳にとって、自分の物語/信念に合致した(都合のよい)情報を取り込むのは容易だが、信念に反する情報を受け入れるのは苦痛である。比喩ではなく文字どおり、苦痛を生み出す回路が活性化するのだ。
 陰謀論は、この人間生来の機構が少々過剰に働きすぎた結果にほかならない。

 本作で語り手を務める青年は、母親が陰謀論に取りつかれたがために、生まれてすぐに双子の姉と引き離される。
 母親は「合衆国」出身だが、聖書原理主義と白人至上主義に支配された偏狭な祖国に耐えかねて、少女の頃に家族と共にラテンアメリカに移住していた。しかしその経験と元々の思い込みの激しさもあってか、逃れた先を理想郷と信じようとし、そこにも差別や圧政があるという現実から目を背けて生きてきた。
 1985年6月にヨーゼフ・メンゲレの墓が発見される。このことは、彼女を否応なしに現実に向き合わせることとなった。つまり自分が理想郷と信じようとしてきたのは、ナチ戦犯(=差別や圧政の象徴)を大量に受け入れるような社会だったのだ。
 なお、双子の人体実験をはじめとするメンゲレの「業績」や逃亡から墓発見までの経緯などは史実どおりである。ただし史実では遺骨がDNA鑑定で本人のものと確認されるのは1992年であるが、HISTORIAの世界では遺伝子工学技術がより進んでいるので、遺骨発見後直ちにDNA鑑定が行われたことになっている。

 このように信念(=ラテンアメリカは差別のない理想郷である)に激しく揺さぶりが掛けられたその時、彼女は妊娠中だった。2ヶ月後、男女の双子を出産する。弟(語り手)のほうは母親と同じように混血らしい風貌だったが、姉のほうはドイツ系の父親と同じ、金髪碧眼白皙の持ち主だった。
 母親自身も白人の血を引いているので、白人との結婚によって、そのような子供が生まれてもおかしくはない(確率は低いにしても)。しかし彼女は、娘を我が子と認めるのを拒んだ。創造論が支配する祖国でまともな生物学教育を受けてこなかったせいもあるが、それだけではないだろう。純血の白人にしか見えない娘の存在は、有色人種として差別され続けた自分や家族の存在を否定するように思えたのかもしれない。

 そして彼女は、「自分の信念に合致しない情報」をそのままではなく、修正して受け入れることを選んだ。すなわち、すべての背後に「ナチの陰謀」を見たのだ。医学研究者である夫はメンゲレの元部下で、彼女を実験台にして「白人化」させた娘を産ませた――と信じた。そうやって「白人」の夫と娘を切り捨て、自分を陰謀の犠牲者に位置づけるかたちで、認めたくない現実と折り合いをつけたのである。
 彼女が信じる陰謀論は、陰謀論がおしなべてそうであるように、馬鹿げていて陳腐だ。語り手が言及する「アイラ・レヴィンの代表作二篇」とは言うまでもなく『ローズマリーの赤ちゃん』と『ブラジルから来た少年』である。別にこの二篇が陳腐で馬鹿げているというのではなく、それを使った陰謀論が、ということだ(母親がこの二編を知っていたかは定かではなく、それだけにいっそう陳腐である)。

 語り手は母親、それに祖母や伯父(母の母と兄)らに、父親はマッドサイエンティスト、双子の姉はミュータントだと聞かされて育つが、かなり幼いうちから、そうした話を馬鹿げた陰謀論だと否定するようになる。それは彼が、そのような話は陰謀論だと判断するような教育を受けたからだが、同時に、父親と姉を否定されるよりも、母たちの話を否定するほうを選んだのだとも言える。
 彼が11歳の時、母が死去する。母たちのラテンアメリカへの移住を支援した協会の男性が、語り手の養父となる。語り手は養父から、実父がアマゾンで死亡したらしいこと、姉もまたその地で消息不明になったことを聞かされる。

 翌年、彼は姉と再会する。そして、驚くべき「真相」を告げられる。姉が人体実験の犠牲になったのは事実であり、彼女の細胞を改造し、それを使って儲けようとしていた製薬会社に対して訴訟を起こしたというのだ。
 姉の訴訟を支援するのは、「合衆国」やヨーロッパの反遺伝子工学派の人々だった。彼らはナチの陰謀ならぬ「遺伝子工学派の陰謀」を言い立て、姉もそれを鵜呑みにしているようである。母とその家族が祖国で迫害されたのも、移住したのも、母が父を疑ったのも、それどころかラテンアメリカやアジアで進化論や遺伝学の教育が行われているのも、すべて遺伝子工学派の「組織」の陰謀だという。

 語り手にとっては「ナチの陰謀論」に負けず劣らず馬鹿げた陰謀論だとしか思えないが、それは彼が洗脳されているせいだと姉たちは言う。しかし彼自身、母親の陰謀論がまったくの妄想でないとしたら嬉しいと思わずにはいられない。また、実父の死やアマゾンでの姉の体験について養父から聞かされていたことがどうやら嘘らしいと知り、動揺もする。
 養父に会って問い質そうとする語り手の試みは、ことごとく阻まれる。姉とその支援者たちによれば、語り手の養父もまた「組織」の一員であるというのだ。
しかしやがて、養父の友人だという二人の人物が語り手に接触してくる。彼らから新たな「真相」を聞かされ、語り手は何を信じていいのかわからなくなる。

 陰謀論は、世界を一貫性のある物語として把握したいという人間の願望(性向)が、最も端的な形で現れたものと言える。あらゆる物事の背後にいて糸を引いている巨大な組織、というものが存在するとすれば、恐ろしくはあるが、世界に一貫性ができる上に、悪いのは全部そいつらのせいにできる。
 何もかもをその組織に繋げようとするので、往々にしてかえって辻褄が合わなくなるのだが、人間の脳にとっては、論理性よりも「物事が繋がっている」感覚のほうが快いのだから仕方ない。

 語り手に接触した二人組は、前作「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」で登場した「オブザーバー」(エイプリル)と「ディーラー」である。ただしその名前で呼ばれることはないし、姿もまた違う。
 前作では、彼らは「一番外側の情報」(≒真相)を知る者だった。しかし今回は、語り手よりは多くを知っているが、それでも「真実」にはほど遠い。「組織」の「創始者たち」も、もちろんすべてを知ってなどいない。すべてを支配し操る者などいないのだ。

 ちなみに、アメリカ合衆国の断種法施行や黒人人体実験、ブラジルの「白化計画」も史実。
ドイツで強制断種法が制定されたのは1933年なのに対し、合衆国では1907年にインディアナ州が強制断種法を制定したのを皮切りに、20年代の終わりまでに同様の断種法制が二十数州に広まり、累計で1万数千件の断種・不妊化手術が実施されたそうな。黒人人体実験で一番有名なのは「タスキギーの梅毒実験」。
 ブラジルでは1920‐30年代に優生学が盛んで、しかも優生学者を含むエリート層は白人至上主義だったわけですが、国民に非白人と混血の占める割合が非常に高いという現実を踏まえ、白人移民を積極的に受けいると同時に、混血を推奨するという方向に進んだのでした。

 ブラジルの優生学について(2010年SF乱学講座のレジュメより)
 ヨーゼフ・メンゲレ(wikipedia記事)

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関連記事: 「ミーチェ・ベリャーエフの子狐たち」 

HISTORIA設定集コンテンツ

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三銃士

 ポール・アンダーソン監督作品。
 ミラ・ジョヴォヴィッチがまるっきり峰不二子だった。以下、ネタばれ注意かもしらん。

『三銃士』は小学生の時に読んだきりなので、メインのプロットはとうに忘れてしまい、むしろ細かいエピソードやディティールのほうを妙にはっきり憶えている。子供の頃読んだ話ってだいたいそうだよな。
 ミレディが元夫のアトスに仇なすようになったのは、罪人だった過去がばれて酷い扱いを受けたからだが、やむにやまれぬ事情があるとか冤罪の可能性だったってあるだろうに釈明もさせてあげないなんて、と子供心にずいぶん釈然としなかったものである(その場面の挿絵まで憶えている)。
 この映画の制作スタッフも、同じ考えだったのであろう。上記のエピソードはすっぱり割愛されていた。その結果、ミレディは何ものにも縛られることなく、欲望のままに行動する峰不二子となったのであった。まあそのほうが現代のハリウッドの悪女に相応しい。
 しかし、美人で頭がよくて凄腕の泥棒で戦闘能力も高くて、欲が深くて生まれついての裏切り者で、それでも時々はしてやられたり、しおらしいところがあったり、悪党の手に落ちたりと、思い付ける限りの峰不二子の条件を満たしてるなあ。

 17世紀初頭だが、近い時代にダ・ヴィンチという、ニコラ・テスラと並んでオーバーテクノロジーに便利な人物がいるお蔭で、飛行船も飛びます。次から次へといろんな重火器が出てくるのは楽しかったが、飛行船の機構をまったく見せなかったので評価は下がる。正確さなんか求めないから、何か大きくてゴチャゴチャしたものがガシガシ動いてるところが見たかった。

 露骨に悪役に重点が置かれている配役だが、ミラ・ジョヴォヴィッチ以外はみんなどこかしら間抜けな役どころで、リシュリューのクリストフ・ヴァルツは『イングロリアス・バスターズ』『グリーン・ホーネット』と続いて「一流半」の悪党である。巧いんだけど、そろそろ違う役も観たい。
 しかしランダ大佐の時は気が付かなかったんだが、この人、実はあまり背が高くないんだな。ドイツ人なのに。それがまた「一流半」ぽさを際立たせている。まあ今回は、三銃士の面々やミラ・ジョヴォヴィッチがみんな長身だったから、余計目についたんだろうけど。
 オーランド・ブルームは、かつて観た中で一番活き活きとしていたが、このままイギリスからハリウッドへ行った「美形俳優」(私がそう思ってるんじゃなくて、世間でそう見做されてるという意味)にありがちなコースとして、悪役専門になってまうんじゃなかろか。

 三銃士のキャストは皆、あまり知名度が高くないが、悪くはない。ダルタニヤンは『3時10分、決断の時』の息子役や『バタフライ・エフェクト』の子役の時は結構巧いと思ったが、今回は普通の兄ちゃんもとい若手俳優だな。若いのでは、ルイ13世が、暗愚と見せかけて、実はそこまでひどくなくて、幼稚で単純だが成長の余地はある、というキャラクター造形はなかなかよかった。

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