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はじまりと終わりの世界樹 Ⅰ

『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』所収。初出は『SFマガジン』2012年8月号。

「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」(『SFマガジン』2012年6月号掲載)では2001年を舞台に、某超大国の一市民の視点から、変容しつつある世界を現在進行形で描いた。本作「はじまりと終わりの世界樹」では1985年生まれの人物が2012年の時点で己が半生を振り返るという形で、この「世界の変容」をより大きなタイムスパンで描いている。
 なお、本作では「某超大国」は「合衆国(エスタドス・ウニドス)」と呼ばれている。Estados Unidosとはスペイン語でU.S.Aのことだが、本作においては現実のU.S.Aとはあくまで別ものです。「マニフェスト・デスティニー」を掲げてパナマを「裏庭」と称する「メキシコの北と国境を接する大国」を、なおも別ものと言い張りますよ。

 この作品で描きたかったことの一つは、「陰謀論という現象」である。
 およそ人間である以上、誰もが陰謀論に陥る可能性がある。なぜなら人間の脳は、あらゆるものにパターンを見出すようにできているからだ。そこからさらに意味や意義、因果関係を見つけ出し、世界を把握するための物語を作り出す。
 この「物語」に反する情報に出会っても、ありのままに認めて適切に対応できるものであれば問題はないだろう。しかし人間の脳にとって、自分の物語/信念に合致した(都合のよい)情報を取り込むのは容易だが、信念に反する情報を受け入れるのは苦痛である。比喩ではなく文字どおり、苦痛を生み出す回路が活性化するのだ。
 陰謀論は、この人間生来の機構が少々過剰に働きすぎた結果にほかならない。

 本作で語り手を務める青年は、母親が陰謀論に取りつかれたがために、生まれてすぐに双子の姉と引き離される。
 母親は「合衆国」出身だが、聖書原理主義と白人至上主義に支配された偏狭な祖国に耐えかねて、少女の頃に家族と共にラテンアメリカに移住していた。しかしその経験と元々の思い込みの激しさもあってか、逃れた先を理想郷と信じようとし、そこにも差別や圧政があるという現実から目を背けて生きてきた。
 1985年6月にヨーゼフ・メンゲレの墓が発見される。このことは、彼女を否応なしに現実に向き合わせることとなった。つまり自分が理想郷と信じようとしてきたのは、ナチ戦犯(=差別や圧政の象徴)を大量に受け入れるような社会だったのだ。
 なお、双子の人体実験をはじめとするメンゲレの「業績」や逃亡から墓発見までの経緯などは史実どおりである。ただし史実では遺骨がDNA鑑定で本人のものと確認されるのは1992年であるが、HISTORIAの世界では遺伝子工学技術がより進んでいるので、遺骨発見後直ちにDNA鑑定が行われたことになっている。

 このように信念(=ラテンアメリカは差別のない理想郷である)に激しく揺さぶりが掛けられたその時、彼女は妊娠中だった。2ヶ月後、男女の双子を出産する。弟(語り手)のほうは母親と同じように混血らしい風貌だったが、姉のほうはドイツ系の父親と同じ、金髪碧眼白皙の持ち主だった。
 母親自身も白人の血を引いているので、白人との結婚によって、そのような子供が生まれてもおかしくはない(確率は低いにしても)。しかし彼女は、娘を我が子と認めるのを拒んだ。創造論が支配する祖国でまともな生物学教育を受けてこなかったせいもあるが、それだけではないだろう。純血の白人にしか見えない娘の存在は、有色人種として差別され続けた自分や家族の存在を否定するように思えたのかもしれない。

 そして彼女は、「自分の信念に合致しない情報」をそのままではなく、修正して受け入れることを選んだ。すなわち、すべての背後に「ナチの陰謀」を見たのだ。医学研究者である夫はメンゲレの元部下で、彼女を実験台にして「白人化」させた娘を産ませた――と信じた。そうやって「白人」の夫と娘を切り捨て、自分を陰謀の犠牲者に位置づけるかたちで、認めたくない現実と折り合いをつけたのである。
 彼女が信じる陰謀論は、陰謀論がおしなべてそうであるように、馬鹿げていて陳腐だ。語り手が言及する「アイラ・レヴィンの代表作二篇」とは言うまでもなく『ローズマリーの赤ちゃん』と『ブラジルから来た少年』である。別にこの二篇が陳腐で馬鹿げているというのではなく、それを使った陰謀論が、ということだ(母親がこの二編を知っていたかは定かではなく、それだけにいっそう陳腐である)。

 語り手は母親、それに祖母や伯父(母の母と兄)らに、父親はマッドサイエンティスト、双子の姉はミュータントだと聞かされて育つが、かなり幼いうちから、そうした話を馬鹿げた陰謀論だと否定するようになる。それは彼が、そのような話は陰謀論だと判断するような教育を受けたからだが、同時に、父親と姉を否定されるよりも、母たちの話を否定するほうを選んだのだとも言える。
 彼が11歳の時、母が死去する。母たちのラテンアメリカへの移住を支援した協会の男性が、語り手の養父となる。語り手は養父から、実父がアマゾンで死亡したらしいこと、姉もまたその地で消息不明になったことを聞かされる。

 翌年、彼は姉と再会する。そして、驚くべき「真相」を告げられる。姉が人体実験の犠牲になったのは事実であり、彼女の細胞を改造し、それを使って儲けようとしていた製薬会社に対して訴訟を起こしたというのだ。
 姉の訴訟を支援するのは、「合衆国」やヨーロッパの反遺伝子工学派の人々だった。彼らはナチの陰謀ならぬ「遺伝子工学派の陰謀」を言い立て、姉もそれを鵜呑みにしているようである。母とその家族が祖国で迫害されたのも、移住したのも、母が父を疑ったのも、それどころかラテンアメリカやアジアで進化論や遺伝学の教育が行われているのも、すべて遺伝子工学派の「組織」の陰謀だという。

 語り手にとっては「ナチの陰謀論」に負けず劣らず馬鹿げた陰謀論だとしか思えないが、それは彼が洗脳されているせいだと姉たちは言う。しかし彼自身、母親の陰謀論がまったくの妄想でないとしたら嬉しいと思わずにはいられない。また、実父の死やアマゾンでの姉の体験について養父から聞かされていたことがどうやら嘘らしいと知り、動揺もする。
 養父に会って問い質そうとする語り手の試みは、ことごとく阻まれる。姉とその支援者たちによれば、語り手の養父もまた「組織」の一員であるというのだ。
しかしやがて、養父の友人だという二人の人物が語り手に接触してくる。彼らから新たな「真相」を聞かされ、語り手は何を信じていいのかわからなくなる。

 陰謀論は、世界を一貫性のある物語として把握したいという人間の願望(性向)が、最も端的な形で現れたものと言える。あらゆる物事の背後にいて糸を引いている巨大な組織、というものが存在するとすれば、恐ろしくはあるが、世界に一貫性ができる上に、悪いのは全部そいつらのせいにできる。
 何もかもをその組織に繋げようとするので、往々にしてかえって辻褄が合わなくなるのだが、人間の脳にとっては、論理性よりも「物事が繋がっている」感覚のほうが快いのだから仕方ない。

 語り手に接触した二人組は、前作「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」で登場した「オブザーバー」(エイプリル)と「ディーラー」である。ただしその名前で呼ばれることはないし、姿もまた違う。
 前作では、彼らは「一番外側の情報」(≒真相)を知る者だった。しかし今回は、語り手よりは多くを知っているが、それでも「真実」にはほど遠い。「組織」の「創始者たち」も、もちろんすべてを知ってなどいない。すべてを支配し操る者などいないのだ。

 ちなみに、アメリカ合衆国の断種法施行や黒人人体実験、ブラジルの「白化計画」も史実。
ドイツで強制断種法が制定されたのは1933年なのに対し、合衆国では1907年にインディアナ州が強制断種法を制定したのを皮切りに、20年代の終わりまでに同様の断種法制が二十数州に広まり、累計で1万数千件の断種・不妊化手術が実施されたそうな。黒人人体実験で一番有名なのは「タスキギーの梅毒実験」。
 ブラジルでは1920‐30年代に優生学が盛んで、しかも優生学者を含むエリート層は白人至上主義だったわけですが、国民に非白人と混血の占める割合が非常に高いという現実を踏まえ、白人移民を積極的に受けいると同時に、混血を推奨するという方向に進んだのでした。

 ブラジルの優生学について(2010年SF乱学講座のレジュメより)
 ヨーゼフ・メンゲレ(wikipedia記事)

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