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アンドレイ・ルブリョフ

 歩いて行ける距離に映画館がないので、電車で少し遠出する機会があれば、ついでに映画でも観ていこうかという気になるのだが、先日偶々東京まで出たのに、ロードショーで観たい作品が特にない。リバイバルか何かやってないかなと探したら、おお、渋谷でタルコフスキー生誕80周年記念映画祭をやっているではないか。

 時間的に都合がよかったのは『アンドレイ・ルブリョフ』1本だけ。8本の上映作品のうち、観たことも聞いたこともなかったのはこれと映画大学卒業制作の『ローラーとバイオリン』だけであった。
 たぶんタルコフスキー作品の中ではマイナーなんだろうと決め込んで、上映開始15分ほど前にユーロスペースに到着すると、すでにほぼ満席であった。すみません、タルコフスキーをなめてたわけじゃないですが、タルコフスキー人気はなめてたようです。

 ほぼ満席といっても、前の2列はまだかなり空いていた。席が前のほうでも平気な質なのは、こういう時は便利である。
 アンドレイ・ルブリョフ(14世紀後半‐15世紀前半)のロシアのイコン画家。同じくイコン画家のフェオファン・グレコも実在の人物で、史実ではルブリョフの師匠だそうだが、映画ではそのようには描かれていない。
 普通の歴史映画・伝記映画のはずはないと覚悟はしていたのだが、序盤は話の流れが正直摑めず、それは私に限ったことではなかったようで、近くの席からは盛大ないびきが聞こえてくる有様であった。
 しかし中盤、大公の弟がタタール人と組んで謀反を起こして以降は、随分と話が解り易くなる。上映時間はこれまで映画館で体験した中では最も長い3時間であったが、中盤以降は長さを感じなかった言っていい。いびきも以後は聞こえなかった。

 適当なロードショーでお茶を濁したりしなくて正解であったが、それはそれとして、中盤の襲撃場面の阿鼻叫喚をはじめとする暴力描写が、かなりえぐくて胃が痛くなった。
 直接的な描写はそれほどないにもかかわらずというか、だからこそというか、生々しい上に想像を掻き立てる。いちいち怖いんだよ、何しろロシア人のやることだから。モノクロだってこともかえって効果を高めてるんだろうな。傷口がどうなってるかはっきり見えないから、かえって作り物っぽくなくて。

 ルブリョフ役のアナトーリー・ソロニーツィンは『ソラリス』でサルトリウス(研究員の1人)を、『ストーカー』で作家を演じている。若い頃はこんな容姿だったんだなあ。後半の実質的な主人公である鐘職人を演じるえらく顔の整った子は、『僕の村は戦場だった』の主役。

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シティ・オブ・メン

『シティ・オブ・ゴッド』のパウロ・モレッリ監督作品。舞台が同じというだけで、続編というわけではない。
『ゴッド』は群像劇というかドキュメンタリー調というか、良くも悪くも物語性があまりなかったのに対し、本作は主人公の少年の父親探しと友情に、彼が住む丘のギャングの抗争が絡むという、良くも悪くも一貫したプロットがあり、主要キャラクターたちにも感情移入しやすい、良くも悪くも。

解り易くなった分、『ゴッド』の時ほどの衝撃はなく、貧困や犯罪はややもするとエキゾチックなスパイスに感じられる。まあ映画としてはよくできてるんだけど。

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ジャスティス

 1979年、アカデミー受賞作品。『屋根の上のバイオリン弾き』や『月の輝く夜に』のノーマン・ジュイソン監督作。一応ネタバレ注意。

 アル・パチーノが正義漢の強い弁護士役。いわゆる法廷ものはそれほど観ているわけではないのだが、現在の感覚からすると本作は善悪の構図が少々単純すぎるように思う。勧善懲悪の娯楽作品としてだったら、今でもこれで充分だろうけど、しかしそういう話として作ってるわけじゃないしね。
特にあのラストは、主人公の自己満足に過ぎず、あんなことしたって何も解決しないと思わずにはいられない。70年代末のハリウッドでは、あれでよかったかもしれないけど。まあ、罪悪感から心を病んでしまう同僚の弁護士とか一見凡庸そうで実は奇矯な判事とか、脇役はなかなかよかった。

私が映画をよく観るようになったのは90年代に入ってからだが、その頃すでにアル・パチーノは結構な齢で、そして私は当時から現在に至るまで若い俳優よりも齢の行ったほうが個性が出るから好きであるが、アル・パチーノは若い頃のほうがいいよな。若くても充分個性的なせいか、齢行ってからだと、むしろくどいし単調だし。ロバート・デニーロもそうだ(『マチェーテ』の悪徳政治家は結構軽快だったが)。

 というわけで、若いアル・パチーノの演技は見応えがあった。

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