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Based on my own experience

 デビュー以前は、SFではない普通の現代小説も書いていたのだが、それらを読んだ人たち(友人知己など)から、私の体験がそのまま反映されているものだと一度ならず決めつけられて難儀したものである。晴れてSF作家となってからは、そのようなことは一度もない。
 これはもちろん、デビュー以前に私の小説を読んでくれる人は小説を読まない人ばかり(そういう友人知己しかいなかったのだが、少しでもアドバイスを得られないものかと、頼み込んで読んでもらっていたのである……双方にとって徒労でしかなかったのだが)だったのに対し、以後はそうではない、というのが最大の理由であろう。しかしもし、「SF作家だから」という理由もあるとしたら、それはSFに対する偏見というものである。いずれにせよ、馬鹿げた詮索をされないのは本当にありがたくはあるのですがね。

 SFだろうが普通小説だろうが、私は作品に体験を「そのまま」反映することはない。それは私が、小説の作者として常に「無」でありたいからだ。というか、ある意味では「無」であるために小説を書いているのだ。
 しかし当然ながら、間接的になら体験は作品に反映されている。何ものも、無から生じることはあり得ない。インスピレーションの訪れは、感覚的にはあたかも天から降ってきたかの如くだが、実際には私がこれまで脳に取り込んできた大量の情報が蓄積し、化学変化を起こしてなんだかわけがわからなくなったものから生じていることは承知している。
 それらの断片的なアイデアやヴィジョンやイメージを、意識的な思考によって組み立て、足りないところはさらに情報を取り込んだり知恵を絞って捻り出したりし、その過程でさらなるインスピレーションも得て、一篇の小説に仕立て上げるのである。情報の取得が「体験」であるのは言うまでもない。創作の指針となる、私自身のものの見方・考え方、嗜好も、これまでの体験すべてから構成されている。
 
 キャラクターの造形について言えば、これもまた体験の「間接的な」反映である。つまり、人間に関して直接または間接に得た知識を基盤としているが、直接知っている個人を特定のキャラクターのモデルにすることはない。
 直接知っているのではない特定の個人、例えば歴史上の人物とか映画俳優とかなら、モデルにすることは時々ある。映画俳優の場合は、当人というより演じた役柄のイメージの反映である。まあだいたい、その俳優の名前をそのままかちょっと変えるかしてキャラクター名にしてます。
 俳優をモデルにするのは、単に映画をよく鑑賞するからというより、私自身に演劇の経験があり、かつ初めてまともに完成させた長編小説が、学生時代の友人が作演出した舞台劇のノベライズだったからであろう。以来、キャラクターを動かす時は、キャラクターそのものではなく、誰か(空想上の)俳優がその役を演じているのを演出するイメージで行うのが身についているのである。
 だからアニメのノベライズの仕事をいただいた時も、参考にならないかとアフレコ現場を見学させていただき(1回だけでしたが)、実際、一部のキャラクターにはその時の声優さんたちのイメージを反映させている。この場合も、「直接知っている個人」をモデルにしたというのには当てはまらない。

 ところで、何事においても例外というものはあり、実は一度だけ「直接知っている個人」をモデルにしたことある。いや、ここまで長々と書いてきたのは全部話の枕で、今回はその人物のことについて回顧したかったのですよ。その人物との出会いからもう10年以上も経ってることに、ふと気が付いたので。まあ聞いてください、ちょっとすごいから。

「直接知っている」と言っても、その人物と会って話をしたのは、ただの一度きりである。が、一度で充分すぎるほどであった。その30代半ば(当時)の男性の名前は伏せる以前にとっくに忘れてしまったので、仮にA氏としておく。
 A氏をモデルにしたキャラクターは、『グアルディア』の伝道師ホセ・ルイス・バスコンセロスである。このキャラクター名は、1920年代にメキシコで二度文部大臣を務め、壁画運動や「宇宙的人種」を提唱したホセ・バスコンセロスに因んだものである(以下、「伝道師バスコンセロス」「文部大臣バスコンセロス」と呼び分ける)。
 伝道師バスコンセロスが創り上げる奇妙な混淆宗教は、文部大臣バスコンセロスの奇妙な思想やラテンアメリカの奇妙なフォーク・カトリシズムを基に構成したものであるが、キャラクター造形(容姿ではなく性格)そのものはA氏を直接のモデルとしている。より正確に言えば、A氏との一度きりの会見で観察し得たことをモデルとしているのである。相手の意見を決して否定せず、まず一通り聞いてから、今度は相手に口を挟む隙を与えずに滔々と自分の意見を述べ、その過程でいつの間にか相手の意見を自分の都合のいいように捻じ曲げてしまうとか(間違いなく無自覚に)、事実を無視または歪曲して(これも無自覚に)性善説を押し通すとか。いや、本当にそのまんまなのですよ。
 
 伝道師バスコンセロスが絶大なカリスマを発揮したのは、特殊な条件下のことであり、サンディアゴ降臨という出来事がなければ、文明の退行した土地で土着化カトリシズムを説いて回っては、そこそこ人気を博すだけで終わったはずである。が、そのような「平時」であってもカリスマの片鱗は窺わせたわけであり、モデルとなったA氏もまた、本人の言から察するに、小なりといえどもカリスマの持ち主であった。
 A氏いわく、彼は「宇宙哲学」(ママ)なるものを提唱しており、数人の「弟子」(同じくママ)がいるのだそうな。そしてその流れるような弁舌でもって、宇宙についても哲学についても一般常識以下の知識しか有していないことと、それで何ら問題はないと思っていることとをたちまち露呈したのであった。ある事柄について無知な者ほど、自分がそれについて充分知っていると思い込むものである。
 
 宇宙哲学とやらの具体的な内容は不明である。いや、A氏はそのことについて滔々と語ったに違いないのだが、生憎私はそれを聞いていられない状況に陥ってしまったのである。
 私は普段から顔色が悪く、ちょっと体調が良くないだけで非常に具合が悪く見えるらしい。ひとに気を使わせてしまって申し訳ないのだが、自律神経の調子が狂っているので、「ちょっと体調が良くない」のはしょっちゅうである。
 しかしこの日は、本当に非常に具合が悪かった。前夜、いきなり中耳炎に罹ってしまい、痛みで一睡もできなかったのだ。朝一で病院に行き、とりあえず痛みは軽減したのだが、A氏と話を始めた昼ごろから寝不足で気分が悪くなってきた。30分も経つと相槌さえ打てなくなり、テーブルに突っ伏してゼエゼエ言ってるだけとなったのである。
 
 A氏はそんな私の状態にはお構いなし、というか、気づいてもいないらしかった。大丈夫ですか、とかその類の気遣いの言葉を一切掛けることなく、一人で滔々と語り続けたのである。いや、別に気遣ってほしかったとかそういうんじゃなくて、どう考えても異様な光景だろう、満席で賑やかな喫茶店で、テーブルに突っ伏して肩で息をしてる女を前に、男は気持ちよくペラペラ捲し立ててるって。
 私はA氏の言葉が耳に入らないどころか、途中からは完全に朦朧としていたのだが、ある時点でやや意識がはっきりし、このままではマジで動けなくなる、と深刻な危機感を抱いた。どうにか身を起こすと、具合が悪いから帰ります、と告げた。
 
 A氏は驚いていたが、それは私がそこまで具合が悪かったことに初めて気づいたからではなく、いきなり話をぶった切った非礼に対してのようであった。この期に及んでも、お大事にとか、気づかなくてすみませんとかの言葉は一言もなく、あなたと話すのはとても楽しいからまた今度ゆっくり話しましょう、と自分の電話番号を書いた紙を私に押し付け、私の電話番号を聞き出そうとした。
 それを振り切り、身体を引きずるようにして会計を済ませて店を出たのだが、時計を見ると入店から2時間半余りが経っていた。つまり少なくとも2時間にわたって、A氏は一人で喋り続けたことになる。
 彼は席に腰を据えたまま私を見送った。勘定を持とうとか(私が頼んだのはコーヒー一杯だけである)、改札まで送ろうとか(駅ビル内の店にいたのである)いった類の提案がなかったのは言うまでもない。もちろん、そうしてほしかったのではなく、単に礼儀の問題である。
 よろよろと改札に向かう途中、通路にあった鏡に目が留まったのだが、見たこともないほど顔が真っ白だったのでびっくりした。蒼褪めてるとかを通り越して、文字どおり紙のように白かったんだよ。

 さて、そもそもなぜA氏と私が知り合うことになったのかというと、小説市民講座の受講生同士だったからである。そう、A氏は小説家志望だったのだ。
 なぜ小説家にならんと欲するのか。それは己の「宇宙哲学」を世に広めるためである――とA氏は真顔で語った。宇宙の真理について説くのであるから、それは他のどのジャンルでもなくSFなのである。
 当時、SFは長かった「冬の時代」をようやく脱しつつあったのだが、私がそう述べたのに対して、A氏はその流れるような弁舌でもって、昨今のSF事情はおろか「冬の時代」があったこと、SFが文学の非主流と見做されていること、それ以前にSF自体についてすら何一つ知らず、科学全般についても一般常識以下の知識しか持たず、そしてそれで何ら問題はないと思っていることなどをたちまち露呈したのであった。ある事柄について無知な者ほど(以下略)。

 小説家志望だが長らく小説が書けなかった私は、そのことに対する羞恥心と、小説の感想を述べるのが大の苦手(今でもかなり苦手である。克服しようと頑張ってるが)なのもあって、学生時代はずっと文芸部やその類の集団は避けてきた。その結果、いざ小説が書けるようになった時、周囲には小説家志望どころか小説好きの友人知人がまったくいなかったのである。
 小説講座を受講したのは、互いに切磋琢磨とまではいかなくても、執筆を続ける上で刺激となるような出会いはないものかと期待したからであった。適切な指導を得ることについては、全然期待していなかった。ひとにものを教わるのは苦手なのである。
 
 結果はひどいもので、この手の市民講座・教養講座の類が皆そうだとは思いたくないが、一期三ヵ月、二週に一度の開講で、ほぼ毎回出席する受講生は二十人以上、大半は年配の女性だったが二十代、三十代も少しはいたというのに、「作品」を講師に提出するのは私とA氏だけという有様だった。しかも講師の質問に対する反応等からすると、小説を好きでよく読むという人もいない。
 A氏も「最近の小説は理解できないから読まない」とのことであった。価値があるのは過去の文豪と呼ばれた人々の作品だけだ、とのたまうので、私が高校の教科書に載ってるくらいメジャーな作家を二、三挙げたところ、返ってきたのは見事に内容を欠いた言葉の奔流であった。言わずもがなというものである。
 
 受講生の程度に相応しく講師(男性作家、当時60歳前後)もまたやる気がなく、提出された作品(A氏と私の。どちらも毎回提出されたわけではない)についてほんの数言評するほかは、指導の真似事すらせず、専ら自分のこと(それも専ら創作とは無関係な)だけを喋っていた。
 そして私の作品(短編数本)については、「前衛的すぎてよくわからない」とか「巧いんだけど、男ってものをよくわかってないなあ(以下、セクハラ発言が続く)」とか愚にもつかない贅言を吐くだけで、最後に提出した長編については興奮しきって「この人は才能がある。必ず作家になれる」とうわ言のように繰り返していたが、微塵もありがたみを感じなかったのは言うまでもない。またしてもセクハラ発言付きだったし。
 A氏は何期も続けて受講しており、すでにかなりの数の作品を提出していたようなのだが、私が受講した時にはすでに、「この人はどう教えても無駄だから、我が道を行ってください」と言われるだけであった。指導の放棄以外の何ものでもないのだが、本人はそれが自慢であり、私に向かってもそう語った。
 
 小説を書きも読みもしない受講生たちのうち、少なからぬ数の年配の女性たちもまた、何期も続けて受講しているようであったが、A氏はこのおばさま方に大変人気があった。講義は正午前に終わるのだが、毎回、彼女たちに囲まれてランチに向かう氏の姿を目撃したものである。「伝道活動」を行っていたかどうかまでは知らないが、彼の「小カリスマ」の傍証と言えよう(おばさま方が受講し続けた目的がA氏だったかどうかまでは知らないが)。
 A氏が彼の「ファン」たちを差し置いて、二人で話がしたいと私に声を掛けてきたのは、「この人は必ず作家になれる」発言のあった講義の後であった。彼の言う「二人で話をする」ことがどういうものなのかは、すでに述べたとおりである。
 三ヵ月の講義期間は、この後もう1回か2回残っていたのだが、もはや完全に見限った私はそれ以上行かず、押し付けられた電話番号も当然ながら黙殺したので、A氏とはそれきりだ。

 この時の長編小説は某新人賞の三次選考通過止まりだった。そしてこれ以上どう書いていいのか解らなくなった私は、大学の小説講座ならばもう少しマシなはず、と一縷の望みを抱き、それが佐藤亜紀先生との出会いに繋がる。先生に見ていただく作品として書き始めたSF長編(普通小説にはすっかり嫌気がさしていたし、「春」の訪れはますます確実に思われたのである)が、『グアルディア』である。
『グアルディア』の主役たちはいずれも超常の力を持つが、物語の最後には彼らは皆、退場する。神話の時代が終わり、人間の時代が始まるのである。人間たちを牽引することになるのが、伝道師ホセ・ルイス・バスコンセロスが創り上げた混沌の宗教である。つまり物語の半ばで死んでしまうものの、彼はある意味では物語世界において最も重要なキャラクターなのだ。
 文部大臣ホセ・バスコンセロスとA氏の合成という造形は、考えて捻り出したものではなく、「降りてきた」ものである。あの死にざまもまた、その直後に「降りてきた」のである。だから、なぜA氏なのかとか、なぜあんな死に方なのかとか問われても、私自身にも解らない。が、間違ってもA氏に対する怒りとか恨みとかからではない。呆れはしても、怒ったり恨んだりするようなことはされてないからね(二度と会いたくないのもまた確かだが)。
 たぶん、いや間違いなくA氏(および文部大臣バスコンセロス)という特異な人格に対する絶大なる敬意の表れなのである。いや、ほんとほんと。

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