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ウエスタン

 辺境の町の小さな駅に、白昼、三人の男がやってくる。彼らは老駅長をクローゼットに押し込んで駅を占拠すると、誰かを待ちうける。
 むさ苦しい野郎三人が、ほとんど動きもせずにひたすら待ち続けるだけの場面が延々と続く。それだけでよくもここまで緊張感を持たせられるものだと感心する。三人ともただならぬ面構えの持ち主であることも一役買ってるのであろうが。
 でもきっとセルジオ・レオーネのことだから、彼らは単なる脇役で、この後登場するメインキャラクターにあっさり殺されるに違いない、と思っていると、案の定、汽車でやってきた主人公(チャールズ・ブロンソン) にあっさり殺されてしまうのであった。
 映画とは何よりも映像を見せるものであり、物語やキャラクターは副次的のものであることを、改めて確認させられる。まあ誰にでもできることではなく、そこはセルジオ・レオーネならではなんだけど。

『続・夕陽のガンマン』と同じく「お宝」をめぐる男たちの三つ巴で、うち二人が行き掛かり上共闘関係にあるのも同じ。
今回の「お宝」は未亡人クラウディア・カルディナーレが持つ土地である。何かの鉱脈があるとかではなく、沙漠の真ん中でそこだけ水が出るので、鉄道伸長のルート上にあるのだ。
『続・夕陽のガンマン』が、南北戦争が背景にあるものの、漠然と「19世紀の西部」だったらいつでもいいような設定だったのに対し、今回は時代設定が重要である。特に、土地の横取りを目論む鉄道王に雇われた冷酷非情の殺し屋(珍しく悪役のヘンリー・フォンダ)の造形によく活きている。本当に冷酷非情で女子供も容赦なく殺すのだが、時代の変化についていけなくなっていることを自覚しており、それをなんとかしようと足掻きつつ、かつその努力に虚しさを感じているという複雑なキャラクターである。

 チャールズ・ブロンソンの主演映画を観るのはこれが初めてなので、ここまで長時間ブロンソンの顔のアップを眺めるのも初めてである。なので初めて知ったのだが、ブロンソンの目って灰色なんだな。それも大概の灰色の虹彩と違って、ほかの色(青や緑、あるいは茶色)が混じっていない。ここまで混じりけのない綺麗なシルバー・グレーというのも珍しい。ブロンソンだけど。

『続・夕陽のガンマン』感想

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