ジャンゴ 繋がれざる者
『イングロリアス・バスターズ』がホロコーストという「歴史」に対するユダヤ人の復讐物語だとすれば、本作は奴隷制という歴史に対する黒人の復讐物語だと言える。
『イングロリアス・バスターズ』は少々冗長だったが(『キル・ビル』や『デス・プルーフ』に比べれば遥かにマシだが)、本作では上映時間の長さにもかかわらず、その点は改善されていた。理由の一つとして挙げられるのは、セルジオ・レオーネ張りの「ため」がほとんど行われなかったことだろう。これまでは、やたらとためるのはいいが、セルジオ・レオーネのようには緊張感を持続させられないから、ただ冗長なだけになっていたのである(ギャグでやってる「ため」でさえ、笑わせ時のタイミングを外していた)。
ほかの理由としては、タランティーノ作品の特徴の一つである長台詞が、今回はほぼクリストフ・ヴァルツによって独占されており、彼は台詞回しが非常に巧いので、大して中身のないことを喋っていても冗長さをまったく感じさせないのである。ほかのキャラクターによるとりわけ長い台詞はレオナルド・ディカプリオのもので、これは嬉々として行われる人種差別大演説という、なかなか素晴らしいものであった。
ディカプリオはついに、童顔を最大限に活かしたキャラクターを創造した。すなわち、「子供じみた暴君」である。タランティーノはインタビューで、ディカプリオの役のイメージは「南部のルイ14世」だと述べていたが、ディカプリオが『仮面の男』ルイ14世そのものを演じたことには、なぜか言及しなかった(ディカプリオ本人もタランティーノの発言を繰り返しているにもかかわらず、『仮面の男』には言及していない)。
『仮面の男』のルイ14世は「子供じみた暴君」ではなく「暴君じみた子供」にしか見えず、ディカプリオの童顔がネックになった芸風の狭さが露呈した最初の瞬間であった。あれから15年、童顔は相変わらずだが演技力は大きく成長を遂げたのである。いや、よかったね。
以下、ネタばれ注意。
ジェレミー・フォクス演じる主人公ジャンゴは、ヴァルツ演じるドイツ人の賞金稼ぎシュルツによって奴隷の境遇から解放され、以後、シュルツによって導かれる。それだけなら、白人監督によって作られた「善良で優れた白人が可哀想な黒人を救ってあげる」映画になってしまうが(タランティーノが北米先住民の血を引いているのはさておき)、シュルツは途中で殺され、以後はジャンゴは自力で苦境を脱しなければならなくなる。
しかもその後、ジャンゴは物置の隅に放り出されたシュルツの死体を発見する。その姿は襤褸切れのようで、ひたすら惨めで哀れでしかなく、「黒人を教え導く白人」という属性は完全に剥ぎ取られている。それは同時に、ジャンゴが完全に独り立ちしたことを示している。
……まあそこまで計算された演出なのかどうかは定かじゃないんだけどね、タランティーノだけに。ともあれ、あの場面の構図はクリストフ・ヴァルツが小柄なのが利いてるなあ。
ジェレミー・フォックスはあまり個性的ではないが、元々キャスティングされる予定だったウィル・スミスよりは役柄に合ってると思う。スミスだとマッチョなヒーローのイメージが強すぎるから、奴隷を演じてもあまり虐げられてる感じがしなかっただろうし、ジャンゴが鞭を奪って白人をぶちのめす場面におけるカタルシスが薄れてしまっただろう。
ディカプリオが支配するプランテーションで、ゾーイ・ベル発見。意味ありげにマスクをして、意味ありげに写真を見ているのに、ほかの有象無象と一緒にあっさり殺されてしまう。タランティーノのことだから、このキャラクターの設定を詳細に考えて、スピンオフまで妄想してそうだな。わあ、うざい。
『キル・ビル』感想
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