BGM
一年くらい前に書いて、上げるのを忘れていた記事を発見。HISTORIAシリーズの作中に登場した楽曲、および執筆中、特によく聴いていた曲について(執筆中は音楽が必須)。ちなみに各作品で引用される歌詞は、いずれも仁木が訳したものです。
全般にネタバレ注意。
『グアルディア』
登場した曲:
ヴェルディ『ラ・トラヴィアータ』:
「椿姫」の邦題でも知られるオペラ。不老長生種メトセラのラウル・ドメニコが、ジェンマ(アンジェリカⅢ)と出会った時(回想場面)に流れていた曲。思い出の曲として、ラウルがしばしば聴く。
traviataはイタリア語で「道を誤った女」。単純にヒロインが娼婦であることを示すとも、彼女が娼婦でありながらただ一人の男を愛してしまったことを示すともいわれる意味深長なタイトルである。『グアルディア』では、機械として造られながら心を持ち、人を愛してしまった生体端末のテーマでもある。
なお第6章では、ラウルがクバ島(キューバ)を訪れた際に、現地の村で「伝統芸能」である『あばずれ女』という芝居を目撃するエピソードが語られる。このように、異文化圏からもたらされた物語が、比較的短期間で解釈し直され、現地の「伝統」的物語として定着してしまう現象は普遍的に見られる。
アストロ・ピアソラ「天使の死」、「南へ帰る」、「我が死へのバラード」、「リベルタンゴ」:
タンゴというとラテンアメリカ音楽の代表のように思っている日本人は多いだろうが、実際にはヨーロッパ音楽の変形であって、先住民音楽からの影響は薄い。ピアソラはそのタンゴの中にあっても、さらに欧米の影響が強い「異質」な音楽である。
アンヘルやアンジェリカⅢら生体端末たちが「造られた」存在であり、決してラテンアメリカの血と土に溶け込んでいないことを端的に示すのが、彼女たちの音楽の趣味(タンゴやオペラ)である。アンジェリカⅢとの思い出から「ラ・トラヴィアータ」を愛好するラウルも不老長生種であり、ラテンアメリカの血と大地に於いて異質な存在である。
しかしもちろん、タンゴは間違いなくラテンアメリカ文化の一部を成しているし、オペラもヨーロッパ文化全般と同様、ラテンアメリカ文化から切り離すことはできない(植民地時代にはかなり盛んであり、現在でも中南米各地にオペラハウスが残る)。
「天使の死」は「天使の組曲」の三曲目であり、『ミカイールの階梯』にも登場する。「天使(アンヘル)の死」というタイトルどおり、アンヘルの死を暗示する。
「南へ帰る」はロベルト・ゴジェネチェのヴォーカル。「我が死へのバラード」のヴォーカルはアメリータ・バルタールだが、作中では男性に歌わせている。実際に男性が歌うこともあるようだ。この曲のすぐ後にラウルの登場場面が続いており、彼の死の暗示になっている。
執筆中よく聴いた曲:
モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』
ビゼー『カルメン』
ピアソラの曲たくさん
『レジェンド・オブ・メキシコ』サントラ
刊行にあたって主にアクションシーンや大虐殺シーンを大幅に加筆修正させら……もといしたのだが、その際一番よく聴いたのがこれ。特に”Pistolero”。
サンバ
第8章、カラカス(ベネスエラの首都)の街で、カーニバルを祝う下層民(有色人種)たちの音楽が鳴り響く場面。ベネスエラでもカーニバルは盛大だそうだが、その音楽が入手できなかったので、執筆中はブラジルのサンバを聴いてました。
この場面に続くアクションシーンと、アンヘルとユベールの告別を挟んでクーデターのシーンでもBGMに使用。
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『ラ・イストリア』
登場する曲:
作中に登場する音楽はフアニートが口ずさむメキシコ民謡のみ。「キサス・キサス・キサス」、「ベサメ・ムーチョ」、「シェリド・リンド」
執筆中よく聴いた曲:
上記をはじめとするメキシコ民謡
『レジェンド・オブ・メキシコ』サントラ
『Mexico and Mariachis』( ロバート・ロドリゲスの「エル・マリアッチ」、「デスペラード」、「レジェンド・オブ・マリアッチ」のサントラを編集したもの)
この二枚のアルバムは、特に虐殺シーンで延々と聴き続けた。
その他、クラシックとピアソラのタンゴをたくさん。
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『ミカイールの階梯』
登場する曲:
ラフマニノフ「交響曲第2番」:
『ミカイール』では全般にあまりキャラ立ちをさせないように努めたので、当初はキャラクターが動かずに苦労した。その中で、比較的早くキャラクターが固まったのがレズヴァーンとアリアンである。
二人の登場シーン(第一章)、幽閉されたレズヴァーンが西洋古典音楽を聴いているところへ、アリアンが入ってきて「よりにもよって、ルースのおかまの曲か」と苦言を呈する。レズヴァーンが応えて「ラフマニノフだ。チャイコフスキーじゃない」。
この遣り取りが浮かんだところから、二人の性格が決まる。すなわちレズヴァーンは文化的にも人種的にも中央アジアに属する(ムスリムでありペルシア語系の言語を話す)。その上、この場面で彼を幽閉しているマフディ教団は、一切の音楽を禁じる狂信的な集団で、ルース(ロシア)人の末裔たちの中央アジア共和国と激しく対立している。その状況で平然とロシア古典音楽を聴くのが、レズヴァーンというキャラクターである。
一方、レズヴァーンの従弟のアリアンは、一族を裏切ってマフディ教団の手先となっているが、レズヴァーンが音楽を聴くのを止めようとはしない。その音楽が「チャイコフスキー風」だと聴き分けられるだけの教養はあるが、作曲者や曲名を言い当てることまではできない。そしてチャイコフスキーの同性愛者説は俗説に過ぎないことをおそらく承知の上で、敢えて「おかま」呼ばわりする無頓着な、というか無頓着を装う性格である。
佐藤亜紀氏によるとラフマニノフも「かなり疑わしい」そうだが、まあ同性愛者として有名なのはチャイコフスキーのほうですから。というわけで、ラフマニノフの曲からチャイコフスキー風のものを探す。交響曲第2番の第3楽章がかなりそれっぽいので決定。そのまま聴いていると、第4楽章は打って変わって華々しいアレグロ・ヴィヴァーチェである。
上記の場面は、殺戮機械パリーサによる大虐殺に続く。ほな、このまま第4楽章を虐殺シーンのBGMに使ってまおう、という次第。この選択については佐藤先生から「悪趣味」と評していただきました。本望です。
アストロ・ピアソラ「プンタ・デル・エステ組曲」:
レズヴァーンが第二章で聴く。これも、彼(そしてミカイーリ一族そのもの)が中央アジアの精神風土にとって異質な存在であることを示す例の一つ。
序曲は『12モンキース』で繰り返し使われている(イントロ部分だけだが)。ポスト・アポカリプスもの繋がりということで採用。
上巻72頁の「――破滅した世界、廃墟に降り積もる雪。過去へと遡り、破滅を食い止めようとする男の、絶望に満ちた苦闘。歪み捩じれた苦闘……」のくだりは、『12モンキース』のことである。
ピアソラ「天使の組曲」:
「天使へのイントロダクション」「天使のミロンガ」「天使の死」「天使の復活」の四曲から成る。第二章のタイトル「死と復活」は「天使の死」「天使の復活」から。「天使」はレズヴァーン(天国の門を守る天使の名)を指す。
第二章の同じ場面でレズヴァーンはピアソラの曲を聴き続ける。「アディオス・ノニーノ」など有名な曲の名を幾つか挙げておいた。
チャイコフスキー「交響曲第五番」:
第5章で使用。聴いているのはやはりレズヴァーン。全楽章を通して一つの主導動機が繰り返されており、作曲家自身が残したメモ(「運命の前に、諦めを完了せよ」から、「運命の動機」と呼ばれる。
「エル・チョクロ」「淡き光に」:
前者は1903年、後者は1926年の発表。ピアソラの曲は好きなのだが、しばらく聴き続けていると、その「前衛っぽさ」に疲れてしまい(特に、シンセサイザーとかエレキとか使ってたりするアレンジ)、もっと伝統的なタンゴを聴きたくなるのであった。
第9章、レズヴァーンとライラが踊る場面で使用。『グアルディア』ではピアソラの曲に合わせてダンスの場面があるが、ピアソラの曲をダンスに使うのは、アルゼンチン国外でのアクロバティックなショーなどであって、国内のダンスホールでは、もっと伝統的なタンゴに合わせて単純なステップで踊るのが普通だそうである。そういうわけで『グアルディア』ではアクロバティックな振り付け、『ミカイールの階梯』ではシンプルな振り付けである。
チャイコフスキー「祝典序曲『1812年』」:
ナポレオンのロシア遠征大失敗(1812年)をテーマとした曲だが、チャイコフスキーがこれを作曲した理由は不明で、しかも物凄くいやいやながら作曲してたそうである。
そのためか、演奏時間約15分のこの曲は、静かな導入部を過ぎると、チャイコフスキーらしからぬ勇壮だがやや平凡な盛り上がりを見せ(ラ・マルセイエーズの使い方が投げやりっぽい)、ロシア国歌が入る結末部に至っては、大砲や鐘まで鳴る大騒ぎのフォルテッシモとなって終結する。やけくそになっているとしか思えず、笑える。
第10章で、共和国軍の武器庫大爆発を山上から見下ろすセルゲイが、この結末部を思い浮かべる。「祝典序曲の大砲発射=爆発」のネタは、『V フォー・ヴェンデッタ』から。この映画は好きじゃないというか、はっきり言って嫌いだが(ナタリー・ポートマンが痛かったりいろいろで)、「祝典序曲」の使い方だけは気が利いていると思うのである。
スーフィズム(イスラムの神秘主義)は本来、修行によって「神人合一」の境地に達することを目的としている。その手段として歌舞音曲を用いる教団も少なくない(代表的なのはメウレヴィー教団やチシュティー教団)。本作に登場するホマーユニー教団は、その手法をさらに推し進めた秘儀を伝承してきた。彼らの音楽は物語において重要な役割を果たす。
ホマーユニー教団は、かつてペルシアで栄えたが弾圧され、中央アジアで細々と伝承されてきた、という設定。で、その音楽のイメージとして執筆中によく聴いていたのは、イランや中央アジアの伝統音楽やスーフィーの音楽よりむしろ、ブルガリアやギリシアなどバルカン半島の音楽でした……あと、ロマの音楽とか、ハチャトリアンの『ガイーヌ』とか、ボロディンの『中央アジアの草原にて』とか『イーゴリ公』の「韃靼人の踊り」とか。
まあ設定ではヨーロッパの災厄が他地域よりもひどかったのでユーラシア全体で西から東への大移動(匈奴→フン族→ゲルマン族大移動の逆)が起きている、ということになっているので、中央アジアの音楽も現在のものよりだいぶ西方の要素が強くなっている、ということで。
上記以外のロシア音楽でよく聴いたのは、ボロディン『イーゴリ公』「交響曲第2番」、チャイコフスキー「交響曲第6番」「ピアノ協奏曲第1番」「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」「ピアノ協奏曲第3番」、ほかはムゾルグスキー、リムスキー・コルサコフ、グリンカくらいか。
なお、第5章でレズヴァーンがパリーサ(ペルシアの妖精)の伝説として、「見事な舞によって、エスカンダル王を虜にした」と述べるが、これはデュカス作曲のバレエ音楽「ラ・ペリ」のこと。ただし、この曲は執筆中は特に集中的に聴いたわけではない(いくらかは聴いたけど)。
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〈ショウ・マスト・ゴー・オン〉シリーズ
作中に使用される楽曲なし。執筆中、特に集中的に聴いた曲もなし(相変わらずクラシック、ワールドミュージック、映画サントラに偏って聴いてましたが)。
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