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J・エドガー

 半世紀近くにわたってFBIに君臨したJ・エドガー・フーヴァーの半生。伝記映画というのは、人ひとりの人生を二時間枠に押し込めるので、どうしても散漫な内容になりがちである。本作でも扱う時間は五十年余にもわたる。にもかかわらず散漫さはまったく感じさせず、さすがクリント・イーストウッド監督作である。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『アビエイター』『ブラッド・ダイアモンド』、それに『ジャンゴ』と、大人になってからのディカプリオは、童顔を活かした「良くも悪くも大人になりきれない男」の役が一番篏まるんだよな。てゆうか、結局それ以外は何をやっても似合わんてゆうか。
 で、本作で彼は、冷徹さに幼児性が見え隠れするフーヴァー像を見事に作り上げている。しかも、『アビエイター』や『ブラック・ダイアモンド』の時みたいに肩の力入りまくり、ということもなく自然体である。
 老年期の演技も見事だが、ただ、声がなあ。元々、顔だけじゃなく声も子供っぽいんだが、老年期のパートでもその子供っぽい声のままなのである。本人も画面に映っている時はそれほど気にならないんだが、口述している声がナレーションとなって、老人メイクの本人が不在の画面に被ると、声の子供っぽさが際立つ。しゃがれさせるとか、なんとかできなかったんだろうか。

 フーヴァーの母親役がジュディ・デンチ。この人は多かれ少なかれコミカルな役しか観たことがなかったんだが、本作ではきつい顔立ちを活かした支配的な母親を演じて素晴らしい。
 秘書役はナオミ・ワッツ。相変わらず巧いんだが没個性で、エンドクレジットを見るまで彼女だと気づかんかった。没個性といっても、クリスチャン・ベールみたいに埋没してしまうんじゃなくて、ちゃんと存在感はあるんだ。ただ、「ナオミ・ワッツ」という個性はないんだよな。

 以下、余談になるが、それにしてもチャップリンは別格として、やはり映画監督は自作に出張らないほうがいいなあ。ちょい役で出るくらいならご愛嬌だが。
 その理由は、たった一言「ナルシズム」に尽きる。いや、『グラン・トリノ』は傑作ですけどね。それでもあれは、ナルシズムをあそこまで昇華できれば大したもの、という評価も含めたものですから。
 ウッディ・アレンの本人出演作なんて(共演者目当てで三本ほど観たが)、あまりのナルシズムだだ漏れに、蹴倒して顔面を踏みにじりたくなるくらいむかつくが、本人は出ないが本人がいつも演じるような小心なコンプレックス男を別人に演じさせる、たとえば『セレブリティ』のような作品はおもしろく観られる。あれは客観性の有無の差だな。

 ただし、監督の「自伝(もしくは自伝的)作品」で、ブサイクな本人をイケメンに演じさせるのは論外です。『バスキア』(バスキアの伝記映画を装った、監督の「天才バスキアの真の理解者は俺ひとり」映画)とか、『バッド・エデュケーション』とか。後者は本編ではそれほどナルシズムは鼻につかなかったんだが、最後の最後に字幕で出た「登場人物たちのその後」ですべて台無しに。結局、「俺以外はみんな自業自得で不幸に。俺は地道な努力で才能が花開いて一人勝ち」映画だったという。
 あの時の例えようもない腹立ちは、もし目の前に監督がいたら、そして私の手にバールのようなものがあれば、間違いなく頭をかち割ってましたね。ええ。

『ブラッド・ダイアモンド』感想
『ジャンゴ』感想
『マルホランド・ドライブ』感想
『グラン・トリノ』感想

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ヒューゴの不思議な発明

 マーティン・スコセッシはこういうのも撮るんです、という映画。

 孤児のヒューゴはパリの駅で時計のネジを巻く仕事に従事している。元はこの仕事は唯一の身内であった飲んだくれの伯父のものだったのだが、彼が蒸発してしまったため、孤児院に入れられるのを恐れるヒューゴは伯父の代わりを務めているのである。
 駅にたむろする浮浪児に目を光らせる鉄道公安官をやり過ごしつつ孤独な日々を送るヒューゴの唯一の慰めは、父が遺した古い自動人形を修理すること。そのための部品をおもちゃ屋から盗んでいたのだが、ある日、店の主人に捕まり、父のノートを取り上げられてしまう。

 原作は未読だが、どうもいろいろとはしょってるっぽい。伯父の代わりに仕事をするのはいいとして給料の受け取りはどうなってるんだとか、取り上げられたノートが父の形見だと素直に言えばすぐ返してもらえただろうに、なぜああも黙秘するんだとか、場面と場面が巧く繋がってない感じとか。

 それはともかく、最初のほうは少々だれるが、中盤、自動人形とおもちゃ屋の主人との繋がりが見えてきて、『月世界旅行』のジョルジュ・メリエスの話になってくるとかなりおもしろい。
 おもちゃ屋の主人がベン・キングスレー、その養女がクロエ・グレース・モレッツ、鉄道公安官がサシャ・バロン・コーエン。
 バロン・コーエンはこれまで観た中で一番まともな役で、これまで観た中で一番感じが良い(これまで観たもの:『スウィーニー・トッド』『ボラット』『レ・ミゼラブル』)。ところで、この人のいとこは心理学者のサイモン・バロン・コーエンだそうである。へー。まあ本人も、いかにもインテリというか高学歴者っぽいからね(実際ケンブリッジ出だし)。役者としてだけならまだしも、自分で考えたネタの滑り具合が、実に高学歴者特有な感じである。
 
 映画史研究者の子供時代役でほんの数分出ていた子が、見覚えあると思ったら『ダーク・シャドウ』と『リンカーン』に出てた子だ。セリフも動きもほとんどない役なんだが、随分と巧い。表情だけならヒューゴ役の子より巧いかもしれない。本作は製作がジョニー・デップだから、その縁で『ダーク・シャドウ』にも出たのかな。
 しかし本作では結構可愛いのに、『ダーク・シャドウ』『リンカーン』と成長していくにしたがって、あんまり可愛くなくなるんだな。
 
『ボラット』感想

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ハリウッド的殺人事件

 ハリソン・フォードには長らく関心がなかったところが、『カウボーイ&エイリアン』でかなり認識が改まったので、これも観てみました。

 いや、おもしろかった。ハリソン・フォードは『カウボーイ&』より、さらに良いです。『インディ・ジョーンズ4』の時は、役柄に対してやや重すぎる印象だったけど、本作では殺人課刑事と不動産屋を掛け持ちで営んでるうちに、どっちが本業かわからなくなってきているオヤジを軽妙に演じている。
 何より良いのは、ジョシュ・ハートネットとの掛け合いで、『インディ・ジョーンズ』のシャイア・ラブーフとはかなりバランスが悪かったのに、ハートネットとは非常にバランスが良い。
 レナ・オリンが綺麗でした。

『カウボーイ&エイリアン』感想

『インディ・ジョーンズ4』感想

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戦火の馬

 ネタバレ注意。

 あらすじだけ取り出してみると、解りやすい感動作といったところである。しかも、きょうび「どの国の人間も母語を話す」ハリウッド映画は珍しくないというのに、フランス人もドイツ人も当たり前のように英語を母語としている点からして、あからさまに自国での大ヒットを狙っている(アメリカの大衆は字幕を読めない)。

 なのに、ところどころ「解りやすい感動作」の枠には収まらない異様さが散見するのだ。
 序盤は「感動作」として、まったく問題ない。少年と馬が出会い、友情を育む過程が、陳腐なまでにまっとうに、そして凡庸な監督には真似できないような美しい映像で綴られる。
 この後、馬は売り飛ばされ、人間のせいで散々苦労するけど最後にはめでたく元の主人と再会できる、という『黒馬物語』みたいな展開が待ち受けている。何しろ第一次大戦なので、並大抵な苦労じゃないのだが、それだけならまだ「感動作」の範疇である。

 まず、馬を買ってくれた大尉殿の死から、異様さが露呈していく。野営地を奇襲されたドイツ兵が恐慌を来して森に逃げ込むのを英軍騎兵隊が馬蹄を轟かせて追っていくと、そこで待ち受けているのは機関銃である。
 雄々しく馬を駆るエリート騎兵たちのカット→軽快に弾を吐き出す機関銃のカット→次々と森に駆け込んでくる馬たち。その背には誰も乗っていない――というシークエンスは、どうにも只事ではない。騎兵たちの死はおろか、死体すらも画面には登場しない。そのようにして、「良い人」の大尉殿の死もまったく描かれないのである。
 続いて馬はドイツ軍の所有となるのだが、その世話を任された、これも善良そうな兄弟は、脱走の罪であっさり銃殺される。そしてその次に馬を手に入れたフランス人の少女も……
 
 まあ感動的な外面と細部の無慈悲さのそぐわなさは、非常にスピルバーグらしいと言えば言えるんだけどね。

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