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ローン・レンジャー

 73年生まれで、子供時代にはTVシリーズの存在すら知らなかった私だが、それでも「インディアン、嘘つかない」はギャグとして知っていた(「キモサベ」のほうは記憶にない)。
 今以てオリジナルのトントがどんなキャラクターだったかは知らんのだが、この「インディアン、嘘つかない」という台詞は、「白人(=文明人)にはまったく理解できない独自の論理に従った言動を行うインディアン」というステレオタイプを端的に表現していると思う。
 この「インディアン」は「野蛮人(=非白人)」全般に置き換え可能である。「野蛮人(=非白人)だから非論理的」なのではなく、「白人(=文明人)から見れば如何に非論理的だろうと、彼らは独自の論理に従っているのだ」という文化相対主義の顔をしつつ、実のところその「論理」なるものは、本物の「野蛮人(=非白人)」の文化には無知無関心な白人の頭の中にだけ存在するものなのである。
 言うまでもなく、「野蛮人」に「日本人」は含まれます。フィクション/ノンフィクションを問わず、白人が描写する「日本人独自の論理」の少なくとも9割は、当の日本人からしても意味わかんねーよ。
 いや、上映前に『ウルヴァリンSAMURAI』の予告をやってたもので、つい。

 TVシリーズのファンであり、自身がインディアンの血を引くジョニー・デップが主人公としてトントを演じる本作は、「白人(=文明人)にはまったく理解できない独自の論理に従った言動を行うインディアン」というステレオタイプをそのまま使用する問題を、「インディアン全般ではなくトント個人がいかれている」という設定にすることで解決している。まあデップの演技のヴァリエーションの一つである「奇人変人」をいつもどおりにやってるだけなんだけどさ。

 ところで、Indianという呼称は間違ってるからNative Americanと呼ぶべきだということになってましたが、近年では「北極圏以南の北米先住民」という大きな文化圏に属する人々の総称として、本人たちが積極的にIndianと自称しているそうですよ。確かにそのカテゴリーの人々を総称する簡潔な語は英語にないからなあ(日本語にも)。
 日本人である私が彼らをどう呼ぶのが適切なのかはわかりませんが、少なくとも西部劇の感想においては、「インディアン」で問題ないでしょう。

 ゴア・ヴァービンスキー&ジェリー・ブラッカイマーだけあって、「んなあほな」なアクションが、次から次へと繰り出される。そういう良くも悪くも非現実的なアクションや主人公コンビのコミカルなシークエンスと、真面目に描かれたインディアンの悲劇とが、まったく噛み合っていなかった。悪役が殺した相手の心臓を抉って食う、といったディズニーにあるまじき残虐要素は、特に浮いてはいなかったんだけど。
 本作では、突撃するインディアン戦士たちが米陸軍によってガトリング銃で掃射される。『ラスト・サムライ』とか『戦火の馬』とか、「高貴でヒロイックな古来の戦士文化を粉砕する巨大で無慈悲な近代文明」の象徴として機関銃はまことに相応しい兵器でありますが、史実では対インディアン戦争において機関銃が使われた例はほとんどなく、犠牲者を多く出したということもなかったそうですよ。別に人道的な理由からではなく、この兵器の威力を理解できる人間が当時の米軍にいなかったというだけの話ですが。

 タランティーノほど明からさまではないものの、本作は過去の西部劇の数々から引用をしているようで、パンフレットにも幾つも例が挙げられている。が、むしろその中に名前のない『デッドマン』との類似(意図的にやってるのかどうかは知らん)の数々が目に付いた。
 まず、「東部から鉄道で西部の辺鄙な町へやってきた青年が銃で撃たれて死にかけ、インディアンに助けられる。青年は死者 dead manとして、そのインディアンに導かれ旅に出る」という序盤の展開がまったく同じである。95年の『デッドマン』では青年を演じたジョニー・デップが、今回は導き手であるインディアンになっているわけだが。
『ローン・レンジャー』でインディアンは青年にdead manと呼びかけるだけでなく、stupid white man呼ばわりもするが、これも『デッドマン』でインディアンが青年に向かって言う台詞である。青年は青年でインディアンを狂人呼ばわりするのも一緒(台詞まで一緒かどうかは未確認だが)。
 青年が西部では異質な、非暴力的(少なくとも当初は)なインテリであるのも一緒だし、インディアンが「はぐれ者」なのも一緒。なお、『デッドマン』のインディアンも「白人(=文明人)にはまったく理解できない独自の論理に従った言動を行う」ステレオタイプではあるが、同胞である他のインディアンたちにとっても「いかれている」点も『ローン・レンジャー』と共通している。
 さらに細かいことを挙げれば、青年が西部にそぐわない洒落たスーツを着たきり雀なのも一緒である。あ、そうだ、敵の極悪人が人肉食の嗜好を持ってるのもだ。

 いや、だからどうってわけでもないんだけどね。あの頃のジョニー・デップはよかったなあ。ジャック・スパロウ以来、出過ぎで有り難みがなくなってもた。
 ジャック・スパロウと言えば……本作ではトントが「いかれている」のは過去の悲劇のせいだということになっている。それだけならまあいいとして、そのことを知ったローン・レンジャーことジョン・リードが、過去に向き合ってない云々となじったりするシーンがあって、辟易させられたのであった。『アリス・イン・ワンダーランド』の帽子屋も、いかれてるのは一部は糊の中毒のせいだが残りは「過去の悲劇」、という設定が付与されており、大変うざかった。
 今のところジャック・スパロウはそのような鬱陶しい後付け設定を免れているが、今後シリーズが続いていく過程でそんなことになったらどうしよう、と危惧を抱いた次第である。そんな事態に陥るのと、こっちがシリーズに食傷する(あと1作か2作が限度)のと、どっちが先だろうな。

 馬(シルヴァー)が芸達者で可愛い。毛だけじゃなくて皮膚まで白いほんとの白馬だ。
 ローン・レンジャー役のアーミー・ハマーは、初めて見る奴かと思ったら、ついこないだ『J・エドガー』で見たばかりではありませんか。ディカプリオの腹心役だ。あの時は、若いのに随分巧いな、と感心したのに、2時間40分もスクリーンで眺めていてまったく気がつかなかったよ。こういう容姿に、つくづく興味がないんだな。

『アリス・イン・ワンダーランド』感想
『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』感想
 

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