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ジョン・カーター

 小学一年生だった私が生まれて初めて読んだSFであり、SFというジャンルに文字通り首まで浸かるきっかけとなったのが、これの原作である。もちろんジュヴナイル版で、タイトルは『火星のプリンセス』ではなく『火星のジョン・カーター』だったような気がする。で、このタイトルだと岩崎書店の「SF子供シリーズ」だということになるんだが、書影が見つからんので確認できない。
 そもそもSFという概念すら知らなかった私が、どうしてこの本を読んでみようという気になったのか、まったく思い出せません。作風等、特に影響は受けていないと思うが、まあなんというか「道を踏み誤る」きっかけではあったわけだから、人生において非常に重要な作品には違いないですね。
 それから同じ版で一、二回再読したはずだが、どのみち小学生の間なので、実に三十数年ぶりの再会なのであった。以下、一応ネタバレ注意。

 小さい頃に読んだお話ってたいがいそうだが、どうでもいいような細部ばっかり憶えてて、プロットのほうはぼんやりとしか憶えてないのな。「主人公がお姫様を助けてハッピーエンド」という、あまりに古典的な(というか、本作はまさに「古典」なわけだが)プロットは忘れようにも忘れられないが、途中の展開はほとんど憶えてませんでした。
 原作に忠実なプロットなのだそうだが、どの程度忠実なのか比較できないほど忘れてる……。「古典」はそのパターンが繰り返し繰り返し模倣されるからこそ古典なのだが、それによってオリジナルが古臭く類型的(悪い意味で「古典的」)になってしまう場合と、あらゆる二番煎じに勝る「原型」であり続ける場合とがある。残念ながら、本作は後者だなあ。
 しかしそれも、制作者たちの原作への愛ゆえであり、「現代の観客に受けるように」という理由による粗悪な改変がなされていないのは結構なことである。

 憶えていた「どうでもいい細部」の一つ。二種の火星人のうち人間に近い「赤肌人」の皮膚の色が、私が読んだ児童版では「ピンク色」と描写されていた、と記憶している。それが正しいか正しくないかはともかく、「ピンク色の肌」だという記憶と、「赤肌人」たちがどこかしら脆弱な印象がある種族だという記憶は無関係ではあるまい。
 しかし映画だと、昔のハリウッドで白人俳優がインディアンに扮した時みたいな赤銅色になっていた。同じ赤系でも「赤銅色」と「ピンク色」じゃ、だいぶ印象が違う。赤銅色の肌の映画版デジャー・ソリスは、勇猛な女戦士でした。
「どうでもいい細部」その二。緑肌人は「じょうろのように」大粒の涙を流して泣くんだが、映画ではそんなふうには泣きませんでした。

 脚本はマイケル・シェイボンなんだが、『ユダヤ警官同盟』のコーエン兄弟による映画化の話はどうなったのかな。『ジョン・カーター』がこけたのが響いてる、なんてことはないと思うけど。

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