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悪の法則

 リドリー・スコット監督作。脚本(原作ではなく)はコーマック・マッカーシー。
 マッカーシーの小説やその映画化作品は、全部読んだり観たりしてるわけじゃないが、その最も目に付く特徴は、登場人物の一部が何やら思弁的な、あたかも含蓄が深いかのような台詞(だいたい長い)を吐くことだ。そして作品全般を一言で言うなら、暴力と暴力の間にあたかも含蓄が深いかのような台詞が挟まっている。あたかも含蓄が深いかのような台詞とあたかも含蓄が深いかのような台詞の間に暴力が挟まっている、と言い換えてもいいが。

 という言い草からお解りいただけるかと思うが、私はマッカーシー作品の暴力にも、あたかも含蓄が深いかのような台詞にも大した感銘は受けないのだが、ただしこれが映画となると話はまた別である。暴力のほうはともかく、台詞のほうは巧い役者が喋って巧い監督が撮ってくれると、非常に素晴らしいものとなるのだ。意味があるようでない、というのは変わらんけど。

 以下、ネタバレ注意。

 主人公のカウンセラー(弁護士。これが役名)が、身の丈に合わない贅沢な生活をしたせいで金に困り、知人の誘いに乗って麻薬密売に手を出したために手痛い報いを受けるという、まあ解り易い教訓譚だ。
 カウンセラーがマイケル・ファスベンダーで、この役者をこれまで観たのは『イングロリアス・バスターズ』(09)と『危険なメソッド』(11)だけなんだが、なんか短期間でえらい急速に老けてくな。
 ファスベンダーを悪の道に誘い入れるナイトクラブのオーナーが、ハビエル・バルデム。マッカーシー作品でバルデムと言えば、『ノーカントリー』。マッカーシーが描くところの観念「純粋悪」を、これ以上ないほど見事に具体化していたのだが、今回は外見こそ結構強烈だが(大阪のおばちゃんが着てそうな凄まじい柄のシャツとか。しかしパンフによると衣装のほとんどはヴェルサーチだそうな)、中身はただのヘタレである。
 
 組織との仲介役がブラッド・ピット。あたかも含蓄が深いかのような台詞を専ら担当。しかしやはりヘタレ。今回の死に様は、『バーン・アフター・リーディング』に匹敵すると思う。
 
 ファスベンダーの婚約者がペネロペ・クルスで、バルデムの愛人がキャメロン・ディアス。悪女なのは珍しくディアスのほうで、しかも血も涙もない冷酷非情の悪女である。
 ディアスのシリアスな役を観るのは、『バニラ・スカイ』以来だな(そういえばこれもクルスとの共演だ)。この時の「痛い女」役と比べると、単に巧くなってるだけじゃなく貫禄と迫力が違う。青い瞳が酷薄な印象だ。
 ディアス演じるマルキナは、「強さ」の象徴としてチーターを愛する。で、本人も背中にチーター柄のタトゥーを入れている。黒のアイラインで目を囲んだ上に目頭を強調したメイクも、チーターをイメージしているんだろう。このタトゥーとアイラインはいいんだが、髪まで金と黒なのは、さすがにやりすぎ。『101』のグレン・クローズみたいだ。
 
 アイラインと言えば、ペネロペ・クルスも、髪と目が黒っぽくて肌の色も濃い目だからあんまり目立たないけど、黒のアイラインと濃いブラウンのアイシャドウをがっつり入れている。佐藤亜紀先生によると、リドリー・スコットは目の周りを真っ黒に塗った女が好みなんだそうですよ。

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