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マレーナ

 全編これ、ベルッチ様映画。

 とはいえ、私がモニカ・ベルッチを好きなのは、あの身体と実は可愛い顔と声のギャップゆえなのだが、これは「男の視線」そのものの映画であるため、彼女の台詞はほとんどないし、映っているのは主に顔ではなく身体である。しかも特に尻。鑑賞対象として女体が好きな私だが、さすがに尻にはそれほど興味ねーわ。せいぜい形が崩れてなければいいってくらいで。

 視覚に偏重したフェティシズム映画である。主人公の少年は、マレーナをひたすら見詰め続ける。視覚以外でもそこそこフェティッシュではあるが、それほど重点は置かれていない。時々匂いを嗅ぐ描写のほかは、彼女が聴いていたのと同じレコード(一枚のみ)を買って繰り返し聴く(聴覚)と、一回下着を盗む(触覚)がすぐに親に見つかって焼き捨てられる、というだけ。
 見詰めている時以外は頭の中は妄想でいっぱいだが、その半分くらいは好きな映画のヒーローとヒロインに自分と彼女を重ね合わせる、という微笑ましいものだし、残り半分もフェティッシュではあるものの触れるよりも見詰めることに重点が置かれている。「味覚」に関しては、彼女の洗い髪から滴る水を飲む妄想があっただけだ。

 ひたすら見詰めるだけなのは、童貞少年だから当然なんだけど 、でもこれ、本当の視線の主は監督やんけ。いやまったく、ここまで露骨な窃視の映画でありながら、不快感がさほどでもないのは、主人公が幼い少年で(撮影時は16歳だったそうだが、それより随分幼く見える)、しかもブサ可愛い(どちらかと言えば不細工だが、表情によっては可愛い)からだよな。
 実際には覗きが「可愛い悪戯」で済むのは、せいぜい小学校低学年までだ。それだって二度としないよう、がっつり叱っておかんと。

 まあ視線に特化した映画にするつもりだったからこそ、主人公を女を知らない少年にしたんだろう。だからこそ彼は、ほかの男たちのように彼女を欲望の対象としつつ軽蔑するという卑劣さを免れており、それも彼の欲望が不快でない大きな要因となっている。
 町中の男がマレーナに心を奪われ、町中の女がマレーナに顰蹙しているというのに、主人公の両親だけが彼女に無関心どころか存在すら知らないかのようなのは明らかに不自然だが、これも主人公にとってマレーナを「憧れつつ見詰めるだけの対象」に留めておくための処置だろう。父親までマレーナに惚れ込んで家の中が修羅場になったりしたら、主人公も彼女に憧れてるだけじゃ済まなくなってまうからな。
 

 動いて喋っているベルッチ様を拝めれば幸せ、という私が今までこの作品を観なかったのは、尻しか映っていないということを知っていたからではなく、かの「リンチ」場面の評判ゆえである。
 実際どうだったかと言うと……いやはや聞きしに勝るっつーか、監督のサディズムとモニカ・ベルッチ本人のマゾヒズムとの相乗効果でえらいことになっとる。
 なんつーか、セルジオ・レオーネとクリント・イーストウッドみたいに、男優のマゾヒズム+ナルシズムに監督が引きずられてるようなのは呆れつつも笑えるし、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』みたいに監督がサドなだけなのは「この下衆野郎」と吐き捨てれば済むけど、女優もマゾで喜々として乗っちゃってると、なぜか洒落にならないほど陰惨なんだなあ。

 とりあえず『アレックス』は絶対観ないぞ。

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