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はじまりと終わりの世界樹 Ⅱ

 2012年7月10日の記事を加筆修正。
 の続き。全般にネタばれ注意。

 本作の登場人物たちは、固有名詞で呼ばれることはない。その理由は、一つには「圧縮した語り」(後述)を行う上で、固有名詞は邪魔になるからである。通常の創作過程では、私はまだプロットも完全に固まらない、かなり早い段階で主要な登場人物の名前を決める。名前を与えると各キャラクターの自立性が高くなり、勝手に動いて話を進めてくれるからだ(動いてくれないキャラクターがいる場合、名前を変更する。そうすればたいがいは巧くいく)。
 しかし本作では、概ねできあがっているプロットを可能な限り圧縮するわけだから、エピソードが増えては困る。それが、名前を与えなかった第一の理由である。

 第二の、より重要な理由は、分量の割に登場人物が多い(本来はもっと長い話になるはずだったので当然だが)中で、「コンセプシオン」の名を最大限際立たせたかったから、というものだ。
 人工子宮内膜の「提供者」については、すでに『グアルディア』で「金髪碧眼のとても美しい女性」であると言及され、『ラ・イストリア』では、彼女の唯一の肖像画像がムリーリョ(1617‐1682)の名画「無原罪懐胎(インマクラーダ・コンセプシオン)」を模したものであり、そこから「コンセプシオン」が通称となった(本名は不明)ことが明らかにされている。

 本作で語られるところによれば、この肖像画像が公開されたのは2001年で、それからいくらも経たないうちに、「コンセプシオン」の通称が定着している。
「コンセプシオン」と「人工子宮内膜の提供者」とは、同一人物と言っても構わないようなのであるが、しかし「コンセプシオン」の名も肖像画像も本人のものではない(肖像画像は本人の写真を基に作られたCG)上に非常に象徴的なものであり、その背後にはおそらく語り手が推測するとおり、「提供者」を徹底して象徴的・抽象的存在にしてしまおうという意図がある。「提供者」は、人工子宮を開発し世界に平和をもたらそうとする「組織」にとって撲滅対象である狂信・偏狭・反知性主義・差別主義を体現する存在だったからだ。

 したがって、「提供者」と「コンセプシオン」はやはり別個の存在である。また、体細胞の提供も本人の意思を無視して行われたものである (すなわち勝手に使われている) から、「提供者」の呼び名も相応しくない。以下、便宜上「彼女」と呼ぶことにする。
「彼女」は心身両面で特異な存在であったが、まず身体面の特異性としては①有色人種の血を引いているのに金髪碧眼白皙である(純血の白人にしか見えない)こと、②簡単な操作で体細胞が全能性を取り戻すこと、③重度の先天性免疫不全症だが寄生体(病原体)を「飼い馴らせる」こと、の三つが挙げられる。

 このうち①は一目で判別できるため、母親のパラノイアの直接の原因となってしまった。ブラジル政府が「アウシュヴィッツの死の天使」ヨーゼフ・メンゲレの協力でブラジル国民を「白人化」しようとしている、というのがその妄想であったが、「ナチの陰謀」はともかく「白人化」はあながち妄想とばかりも言えず、ブラジルのエリート層に多い白人至上主義者から資金を得るために人体実験が行われた可能性がある。
 この場合、行われたと推定されるのは、母親(白人と非白人双方の血を引く)が持つ色素の濃淡などの対立遺伝子のうち、より白人的な容姿を作る遺伝子だけを持つ卵子ができるよう操作した、というものである(父親は金髪碧眼白皙なので、生まれてくる子供は「純血の白人」らしい外見を持つことになる)。

 ②の特異性は、彼女自身の細胞だけを全能化させるのではなく、その遺伝子が作る全能化蛋白質によって他者(人間を含むあらゆる動物)の細胞も全能化させるため、80年代後半以降(「彼女」の誕生は1985年)の遺伝子工学発展に、大きな役割を果たすことになった。
 反遺伝子工学派は、この特異性が非合法の遺伝子操作によるものだとして、「彼女」を担ぎ上げて訴訟を起こす。

 そして③こそは、「彼女」を人工子宮内膜の提供者として特異性である。あらゆる非自己に寛容(この場合「寛容」とは免疫反応を起こさないこと)なため、「胎児」となるあらゆる動物種に対しても、人工子宮本体の素材(金属やシリコンなど)に対しても拒絶反応を引き起こさない。仮に「胎児」がなんらかの寄生体に感染していても、その繁殖を抑制することができる。なお、内膜組織は1回の使用ごとに取り換えられる。
 語り手(「彼女」の弟)は、最初から人工子宮内膜を開発する目的で、この変異が人為的に作られたのではないかと疑い、調査を続けてきたが、答えは得られなかった。

 この3つの特異性が人為的なものだとすれば、その違法遺伝子操作を行った疑いが強いのは、「彼女」の父親が勤務していた医学研究所である。何しろ、あるはずの資料が破棄されているので、疑いは濃厚だ(父親自身の関与は不明である)。
 ただし、どれも自然に起こったものである可能性もないわけではない。①は確率は低いが充分あり得るし、③も母親から受け継いだアメリカ先住民の変異が基になっているのは明らかである。
 アメリカ先住民の免疫系が旧大陸の人々のそれより発達していないのは事実で、これは彼らが家畜をほとんど飼っていなかったため、病原体にそれほど曝されてこなかったことによる。お蔭で彼らの間では自己免疫疾患は非常に稀だが、スペイン人との接触以来、旧大陸の感染症によってあれほど甚大な損害を被ってきた、少なくとも一つの原因となっている。

 容易に全能性を取り戻す、という②の特異性も、おそらくは自己と非自己の区別が曖昧、という「彼女」の細胞の本質に由来する。そして普通の人間でも免疫系の機能は神経系の支配下にあるが、「彼女」の場合はこのあらゆる非自己に寛容な(すなわち、確固たる自己を持たない)免疫系は、「彼女」の精神と相補関係にある――あるいはむしろ、精神が免疫系の支配下にあるかのようである。
「彼女」自身は美しく愛らしい外見とは裏腹に、他人の受け売りを繰り返すだけの浅薄な性格だが、相手に合わせて振る舞うため、そのことに気づく者はほとんどいない。他人の受け売りを繰り返すのは自分の意見というものを持たないからで、読み書き計算ができないのも、おそらく難読症だからではなく単に学習意欲を欠いているためであろう(10歳くらいまで碌に教育を受けられない環境で育ったのを差し引いても)。

 そんな「彼女」に付いて回るのが、暴力と疫病である。他人の思考や感情に簡単に染まってしまう一方、「彼女」は会う者すべてを魅了する。そして「彼女」の虜となった人々は、その負の感情を増幅させるのだ。
 また、「彼女」の周囲で頻発する疫病は、「彼女」の体内に巣食ったウイルスや微生物が原因のようではあるが、それらが感染性を保有したままであるにしては被害が少ない。やはり「彼女」の免疫システムと精神は強い相補関係にあり、普段は抑制されている病原体が「彼女」の精神状態によって時に感染性を取り戻すのではないか……ここまでは「組織」による仮説だが、語り手はさらに踏み込んで推論を展開している。

 それは語り手が姉である「彼女」と過ごした悪夢のような日々の中で、「彼女」から聞かされたかもしれない告白に基づく。悪夢との区別も曖昧なその記憶の中で、「彼女」は、苦しみながら死んでいった人々の苦痛が世界に満ちていき、やがて生と死の障壁を取り払うだろうと、憧れをもって語る。語り手は推測する――「彼女」は死者たちの苦しみに囚われていたのだと。それが「彼女」に付きまとう暴力と疫病の真の原因だったのだと。
 この推論の是非は明らかにされない。だがやがて、人工子宮が生み出す繁栄の下、「彼女」の細胞――「コンセプシオン」とその遺伝子はあらゆる動植物の内部に潜り込み、繁殖を続け、広がっていく。そして22世紀末のある日、突如として叛乱を起こすのである。
つまりは彼女が元凶だという伏線を、『グアルディア』以来ずっと張り続けてきたのであるが、気づいてくれた人はいるだろうか、いやきっといない。

 以上はHISTORIAシリーズの根底を成すSF設定であるが、別の視点から捉えると、「彼女」は人間が抱える暴力性の象徴だと言える。現実には「彼女」がいなくても、アブグレイブ刑務所の囚人虐待は起きたのである。

 ところでHISTORIAシリーズに登場する「実の父親」はなぜか駄目人間が多い。おそらく、世のフィクションには「良くも悪くも偉大な父親」像が溢れているため、ステレオタイプを見るといじりたくなる私の嗜癖が反応した結果と思われる。悪い方向に突き抜けていて「越える」に値するのでもなく、ただただ卑小な駄目人間という父親像なのである(まともな「父親代わり」がいて埋め合わせとなる場合もあるが)。今回もこのパターンに当て嵌まると言えよう。
 本作の語り手が「信頼できない語り手」であることが一番露骨に表れているのが、姉と伯父(および従兄弟たち)との関係についての疑惑は語っているのに、姉と実の父親との関係についてはまったく言及していないという点だ。姉をアマゾン先住民(実父を殺した人々)から「救出」した傭兵隊長は、彼女の愛人であると同時に父親のような存在である。その彼を姉は実父と同じく「パパ」と呼んでいる。しかも、彼との睦言はドイツ語混じりである。
 姉が語り手に対して行った嫌がらせの数々からすれば、たとえ嘘だろうと実父と寝たと言明するのは充分あり得ることで、にもかかわらず語り手が一切言及していないということは、もっと確たる証拠を摑んでいたということなのかもしれない。いや、あくまで可能性に過ぎないのですが。

 なお、本作では2012年までの状況が語られるので、前作「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」に登場した「妖精撲滅派」のその後にも言及されている。

 本作の構想は、執筆時(2012年)より四半世紀近く前、すなわち筆者の高校時代まで遡る。といっても本当に「核」となる部分の物語を漠然と思い描いていただけであり、具体的なプロット以前の代物だった。
「核」となる物語とは、すなわち双子の姉弟と彼らの「娘」の物語である。姉は「悪」の表徴のような存在であり、弟はそんな彼女を恐れ、制止したいと願いつつも、彼女を愛するがゆえに裏切ることができない。ついに姉を止めることに成功するものの、その代償は彼女の死だった。後悔に苛まれ隠棲を選んだ弟は、密かに姉との「娘」を作り……というプロットは、姉の生い立ちから結末に至るまで、まったく当時のままである。
 もちろん時代設定を含む背景については全然具体的に考えていなかったし(まあ湾岸戦争もまだ起きてなかったし)、姉≒「悪」についてもまったく具体的に考えてなかった(高校生の想像力の限界)んだけど。

 デビュー作『グアルディア』(2004年)にはそれ以前からあったいろんなプロットやアイデアの断片が組み込まれていて、入りきらなかったものは同じ世界を舞台にした別の物語で使おうと目論んでいた。その一つ『ラ・イストリア』(『ミカイールの階梯』は、まあ違うな)は比較的早い段階(2007)で形にできたが、もう一つ、上記の双子の姉弟の物語を下敷きにした「人工子宮内膜の細胞提供者」の物語には、随分と時間がかかってしまった。
 その原因としては、まず「悪の表徴」である姉をどう描くかという問題で、これは『ミカイールの階梯』(2009)の頃には概ねアイデアがまとまっていたものの、今度はそれをどのように語るかというスタイルの問題にぶち当たっていたのである。
 真正面からストレートに書けば長編になるであろう(おそらく『ラ・イストリア』と同じ400字詰換算500‐600枚)物語だが、それをやると凄まじく陰惨な話になることは予想が付いたので、ほかの方法を模索していたのだった。
 結局選択したのは、悲劇も惨劇も圧縮できる限り圧縮するというものだった。その結果、分量は400字詰換算140枚弱になり、悲劇も惨劇もスラップスティックな勢いで転がるように疾走し、語り手(弟)はわけもわからず鼻面を摑まれ引き摺り回されるという展開となったのである。

 最後に、参考文献のことなど。前作と同じく本作もこれまでの知識の蓄積に拠って執筆しているので、このために新たに読んだ資料はヨーゼフ・メンゲレをはじめとするナチの人体実験に関するものくらいです。いや、「みんなナチの科学を買い被り過ぎ」というのは前々から思ってたことですが。「ナチの凄い科学もの」はジョジョ第2部だけで充分です。ほかは要らん。
 以前に読んだ資料から特に参考になったものを幾つか挙げると、まず「コンセプシオン」の、「生物学の発展に非常に貢献している細胞の提供者なのに、本人の意志に基づいた提供ではない上に、彼女自身のことは誰も知らないし関心も持たない」という設定は、最初から(『グアルディア』の頃から)あの「ヒーラ細胞」とその提供者を念頭に置いていたのですが、最も詳しい日本語文献としては『不死細胞ヒーラ――ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』(レベッカ・スクルート著 講談社)があります。もちろん、モデルだというのはあくまで上記の設定だけで、「コンセプシオン/彼女」のああいうキャラクターとヘンリエッタさんは全然無関係ですよ。

 陰謀論の解説本は数多くありますが、では一体どういう精神回路で陰謀論に至るのかを詳しく解り易く説いているのが、『エイズを弄ぶ人々――疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇』(セス・C・カリッチマン著 化学同人)と『見て見ぬふりをする社会』(マーガレット・ヘファーナン著 河出書房新社)。
 両方とも、「認めたくないことは認めない」という人間の心性が如何に認知を歪めるかを説き、後者は特にその心理が如何に暴力に結び付くかについても解説しています。
『比較「優生学」史――独・仏・伯・露における「良き血筋を作る術」の展開』(マーク・B・アダムズ編著 現代書館)は、『ラ・イストリア』と『ミカイールの階梯』でもいろいろ参考にしましたよ。
 あと、世界規模の軍隊民営化が数年~十年早く訪れた世界における1990年代の状況を描くために、『スピグラ』ノベライズ以来久しぶりに『戦争請負会社』(P・W・シンガー著 NHK出版)を再読。

「はじまりと終わりの世界樹 Ⅰ」 

関連記事: 「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」 「連作〈The Show Must Go On〉」 

       「コンセプシオン」 「遺伝子管理局」 

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参考記事:「アイアン・スカイ」感想 (ナチの科学がすごい言うならこれくらいやれや)

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