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トランセンデンス

 人工知能の研究者が、反テクノロジーを標榜するテロリストの銃弾に倒れる。研究上のパートナーでもある妻は、夫の脳をコンピュータにインストールすることで、精神だけでも蘇らせようとする。その試みは成功したかに思われたが……

 人工知能(ロボットという肉体の有無にかかわらず)が登場するSFと「SFもどき」を分ける基準は、その人工知能の「自我」の問題をきちんと扱うか扱わないかである。
 この基準を適用すると、人工知能を出す映画のほとんどはSFではなくSFもどきになってしまうわけだが、本作はまあギリギリで及第点。それだけでも大したものである。自我を獲得したかのように見える人工知能であっても、果たしてそれは「真」の意味での自我なのか、という問題を追究するからこそ、答えが肯定的なものであっても否定的なものであってもおもしろいのであるl。その過程をすっ飛ばして安易に人工物が自我だの魂だのを獲得するSFもどきが、映画に限らず多すぎる。
 
 主演はジョニー・デップ。「生前」の彼が研究一筋だが紋切り型のマッドサイエンティストではない、人間味溢れる科学者を好演しているのに対し、「死後」の演技は割合平板なのは、演技のヴァリエーションの狭さが如実に現れてるな(なんか、『ノイズ』を思い出させる)。
 作品全体としても、主人公がコンピュータ上に蘇るまでは展開にメリハリがあるが、その後は砂漠の地下に造られた施設とその周辺に終始してしまう。電脳空間内のジョニー・デップが「一人シンギュラリティ」でどんどん「凄い技術」を開発していってるはずなのに、それらが社会に及ぼす影響がまったく描かれていないといった穴もいろいろと。

 まあしかし、上記の人工知能の自我問題に加えて、人工知能と反テクノロジー派のどちらも、単純に善悪で分けていないところは評価できる。
 
 ジョニー・デップの「科学者っぽさ」(生前ヴァージョン)比べると、レベッカ・ホールやポール・ベタニーは科学者役にしてはスマートすぎる。でもまあリアリティを追求すればいいというものでもないしね。レベッカ・ホールは『プレステージ』の時に比べて垢抜けたなあ。
 ほかにジョニー・デップとレベッカ・ホールの恩師役でモーガン・フリーマン。FBI捜査官役でキリアン・マーフィー。「どんなところにも顔を出す」モーガン・フリーマンはともかく、ポール・ベタニーとキリアン・マーフィーが顔を揃えてるのが見られて嬉しかったり。
 

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