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小説家への迷い道②

 1998年、大学院を卒業した私は、在学中から始めていた書店アルバイトをフルタイムで続けられたため、しばらくは世間の荒波に身をさらさずに済んだのであった。

 その店でまず驚かされたのは、小説が売れないということだった。そこそこ大きな店で、お客も入った。だが彼らが買う本のほとんどは小説ではなかったのである。
 もう十数年前のことであり、現状はさらに悪化しているだろう。小説家志望の人は、一度書店で働いてこのことを実感してみるべきだと思う。それで諦められるのであれば、そのほうがいいだろう。それでもなお夢を持ち続けるとして、売れなくてもいいから小説家になるのだと覚悟するか、自分はほかの誰よりも売れる小説家になるのだと決意するかは、まあ人それぞれだ。

 小説を読まないのはお客に限ったことではなく、その店の従業員は全員、小説を含めて本を読まない人ばかりだった。学部時代後半から院生時代にかけて、私が読む本のほとんどは自分の専攻(東洋史)関係になっていたのだが、それらを別にしても、私が店で一番の読書家という有様だった。
 そのうえ皆、本のタイトルや作者名も全然憶えない。私は記憶力はそういいほうでもないのだが、小説に限らず本のタイトルや作者名、紹介文の内容等は比較的よく憶えられる。店内の本の場所についても彼らに比べれば物覚えがよく、お客のために本を探すのは私の役目になった。
 小説が売れないと言っても、毎日売れる本の数はそれなりであったから、小説も日に何冊かは売れる。必然的に私も小説本に接触する機会が増え、そのうち自分でも読むようになった。従業員は一割引で本が買えたのである。

 かようになかなか快適な職場ではあったが、実はそこには女王様が君臨していた。20代後半の正社員で担当は経理である。もう一人の正社員である店長(定年間近の男性)からパートの中高年女性二名、何人もいる男子バイトの誰一人として彼女に逆らえなかった。
 で、その女王様が、ただ一人の女子バイトである私に、当初からチクチクと嫌味を言うのである。
 私の前の女子バイトは、この嫌味攻撃に耐え切れずに辞めてしまったのだそうである。私と一緒に売り場を担当するパートの女性も、時々女王様の意地悪なお言葉に泣かされていた。経理を補佐するもう一人のパート女性はひたすら迎合して難を避けていたし、店長は女王様が勤務中にお喋りをしたり雑誌を読んでいても何も言えず、男子バイトたちは下僕であった。

 しかし嫌味と言っても、内容も表現のヴァリエーションも乏しいし、彼女と顔を合わせるのは日に数回だけだし、ほかに何をされるわけでもないので私は気に止めていなかった。
 それに、彼女は結構な美人だったのである。私は美人が好きである。別に仲良くなりたいとかそういうんではなく、純粋に鑑賞対象としてなので、その人の性格が良かろうが悪かろうが、私に悪意を持っていようがいまいが、どうでもいい。

 ところで、美女が他人をいじめたり罵ったり、陰口を叩いたりというような行為をすると、「彼女の美しい顔は醜く歪んだ」というような表現に時々出くわすが、そういうことを言う人は観察力が足らんよ。それか、本当に性格の悪い美人というものに会ったことがないんだ。
 悪意に満ちた行為を心底楽しんでいる美女は、醜くなったりなんかしない。ますます美しくなるのである。瞳は潤んできらきらと輝き、頬は上気し、唇は赤みを増す。それはもう美しいのだ。怖い怖い。

 そういうわけで、先に耐え切れなくなったのは私ではなく女王様だった。採用から一年数ヵ月経ったある日、唐突に、まったく唐突に私は「辞めろ」という御命令を賜ることとなった。前兆の類(嫌味がきつくなるとか)は一切なかった。で、理由というのが、「あんたがいると不快になるから」。さすが女王様である。
 いくら実際には女王様にはなんの権限もないとは言え、そしていくら私の神経が太いとは言え、さすがに面と向かってそこまで言われては辞めざるを得なかった。

 かくして、私の安穏とした日々はついに終わりを迎えたのであった。

 続く。

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