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等級制――概念

『アドルフの画集』という映画がある。ナチという組織や第三帝国は、アーティスト・ヒトラーの「作品」だった、という観点で描かれていて、これに限らずヴィジュアル面でのナチの魅力についての指摘はすでに多くなされている。
 しかし、ナチという組織そのものが、多くの人を惹きつけた要因の一つであったのではないか。軍隊や警察だけでなく、一般国民に対してもヒトラー・ユーゲント等もろもろの組織が作られ、多くの人が嬉々として参加し、制服を着用した。

 実在のものに限らず、軍隊や警察、それに準ずる組織に多くの人が惹きつけられるのは、階級制や制服が大きな要因である。だからそういう組織が登場するフィクションの多くでも、ストーリーに直接関係ないのに制服や階級の設定がきっちり用意されている。
「絶対平和」では、20世紀末から21世紀初頭の日本のポップカルチャーが、政治に利用されている。亜人の外見を魅力的にデザインするだけでなく、人間を等級づけるという概念に、ゲームのシステムを利用して抵抗感を失わせている。グレードが高いほど人間離れした外見にして、見ただけで区別がつくようにするのだが、そのデザインもかっこいいものだとして、みんな喜んで受け入れている。

 文化というもの、芸術というものは政治に利用される危険があるんだ、ということを言うのに、わざわざ現代日本のポップカルチャーを引き合いにしているのは、それだけ魅力があって説得力があるからであって、現実にそれが政治的に利用されるという「今ここにある危機」があるわけではない……はずだったのだが(「The Show Must Go On!」の執筆は2012年、雑誌掲載は翌年)、憲法改正にナチのやり方を見習おう、という御時世である。今に大衆操作もナチに倣って文化を活用しよう、ということになるかもしれない。
 もっとも「クールジャパン」を見る限りでは、たとえそんなディストピアな事態になったとしても、ことごとく的を外して冷笑を買うだけのような気もするが。

 ちなみに私自身は、どんなデザインだろうと制服に興味はありませんよ。

 亜人の存在によって人々は欲望のままに前進することがなくなり、世界には平和と安定が訪れた。しかし欲望が抑制されたのは、あくまで心理レベルであり、多少の振幅はどうしてもある。その振幅を最小限にするには、さらなる抑制が必要である。

『フィエスタ 中米の祭りと芸能』(黒田悦子・著、平凡社)は、ユカタン半島の先住民マヤ族のとある村におけるフィールドワークである。
 その住民たちは老いも若きも伝統的な生活(キリスト教化はしているが)を忠実に守り、村を出て行く者は少ないという。彼らは皆、生活をよりよくするために現状を変えることよりも、現状のままでいることを望む。欲望を満たすために他人を押しのけるようなことはしない。
 その理由は、彼らは「皆(同じ村の住民)と違うこと、目立つことをするのはみっともない」という価値観を共有しており、そのようなことをした者は笑いものになる。守るべき規範は日常生活において繰り返し示され、また祝祭(フィエスタ)の際に行われる教訓劇によっても示される。

『グアルディア』執筆の際に、参考になるかもしれないと手当たり次第に読んだ中南米関連資料の中の一冊である。『グアルディア』に直接反映されたのは、オペラ『ラ・トラヴィアータ』(「道を踏み外した女」)が文明崩壊後の中米の僻村で『あばずれ女』という教訓劇に変貌している、というエピソードくらいなものであるが、「等級制」を設定する上で、かなり参考になった。
 マヤ族の農民たちは、恥の観念によって「足るを知れ」という抑制を叩き込まれている。これが可能なのは、全員が互いをよく知る小さな共同体の住民だからである。
 遥かに巨大な社会で相互監視を可能にするシステムとして考え出されたのが、「等級制」である。

「絶対平和」では亜人が奴隷としてほぼすべての労働を担うため、必然的に従来の経済は根底から崩壊し、亜人による直接あるいは間接の「サービス(奉仕)」が各人の必要に応じて支給されるというシステムに替わった。人間が消費するものはすべて、目に見えないかたちではあっても亜人の奉仕によって支えられているのである。
 人間はすべて零~十までの等級(グレード)に分けられ、等級によって受けられるサービスの内容が異なる。サービスは、貨幣の代替物であるクレジット(信用貨)に換算される。すべての人間はクレジットを支給されるが、その額は等級ごとに異なる。
 等級が高い(ハイグレード)ほど支給額は大きい。つまりそれだけ多くのサービスを利用できるが、しかしクレジットさえあればどんなサービスも利用可能というわけではない。たとえば住む場所も等級ごとに決められており、どれほどクレジットを積んでも(当然ながら蓄財にも限度額が設けられているであろうが)、居住を許可されない場所に住むことはもちろん、長期滞在することもできない。
 受けられるサービス内容を変えたかったら等級を変えるしかないが、これは成人であれば完全に自由であり、手続きもかなり容易である。

 サービスに換算されるクレジット額は、エネルギー消費量に概ね対応している。亜人のお蔭で利他的になった人類は、もちろん環境保護を重視するのだ。
 つまり高等級ほど物欲が強く、刺激に飢え、環境に負担を掛ける「旧人類的」な者、ということになる。
 本来は数字が小さいほど等級が「高い」(一級は二級より高位といったように)にもかかわらず、絶対平和の等級制においては数字が大きいほど等級が「高い」とされる(零~六級は「低等級」、七~十級は「高等級」)のは、等級が高いほど貪欲で愚かで「旧人類的」、等級が低いほど穏やかで賢く「新人類的」だが、だからといって前者を差別してはいけませんよ、という「建前」ゆえである。

 すべての人間は出生時に個人番号を割り振られ、それは額の皮下組織に印字(細胞に発色遺伝子を組み込むというかたちで)されている。その番号を読み取れば、現在の等級や所持するクレジット額も含めた個人情報を知ることができる。
 クレジットの支払いは、この個人番号の読み取り(認証)によって行われる。

 そして各人の等級は、外見から一目で判るようになっている。それは額に描かれたスティグマ(認証印)と、それ以外の肉体の改変で示される。
 零級は、出生以来、肉体改造(刺青やピアスから遺伝子改造、サイボーグ化に至るまで)を一切受けていない「自然のまま」の者である。「自然のまま」と言っても、配偶子段階で「良い」遺伝子の選別と「悪い」遺伝子の修正がなされているのだが、少なくとも積極的な能力増強や美容目的の遺伝子改造は行われていない。
 額には何も描かれておらず、それゆえ零級 は無印(ムジルシ)と通称される。

 美容目的も含めて肉体改造をしたければ等級を上げなければならないが、これは等級を上げたければ肉体改造をしなければならない、ということでもある。等級が高い、すなわちエネルギー消費量が多いということを、一目瞭然にするためである。
 したがって能力増強など、見た目だけでは判別できない改造をした場合は、それに付随して装飾的な改造(装飾改造:デコレーション)を行わなければならない。結果として、等級が高いほど能力も外見も「人間離れ」していくことになる。四級くらいまでは見た目で判る改造もそうでない改造も、軽微なレベルである。
 なお、出生後の遺伝子改造は体細胞のみに限られ、一代限りのものである。

 額のスティグマは、一級で中央に描かれた縦長の種の形、二級以降はその種から左右対称に蔓草模様が展開していくデザインで、等級が上がる(数字が大きくなる)ほど複雑化していく。
 四級くらいまではスティグマのデザインは比較的単純なため、等級間の違いも簡単に見分けられる。しかしそれ以上になるとデザインが複雑になりすぎ、たとえば九級と十級の違いなど、訓練でもしない限り一目で見分けるのは不可能になる。
 装飾改造は、スティグマだけでは不充分な等級の区別も目的としている。防寒服や防護服が必要な環境でない限り、額のスティグマや装飾改造を隠すのは違法である。

 このように等級が一目で判るようになっているため、当人の性向も一目で判る、という仕組みである。高等級(七級以上)に三年以上留まる者が非常に少なく(22世紀末時点で全成人の2%)、十級となるとさらにその1%にしかならないのは、実際に人間が欲望を持たなくなってきているということもあるのだが、それ以上に、貪欲な「旧人類的」人物と見られたり、人間離れした姿になることが恥ずかしい、という抑制が働いていることが大きい。
 等級が上がるほど能力増強もできるし、装飾改造のデザインも専門のデザイナー(設計者)によって行われる「かっこいい」ものではあるのだが、あまりに人間離れした外見となると、躊躇する者は多いのである。

 絶対平和において、人は他人(あくまで人間)を傷つけるのは絶対に許されないが、自らを傷つけるのもまた同様である。いくら遺伝子工学が発達し、安全性が高められているとはいえ、遺伝子改造のリスクはゼロではない。高度な遺伝子改造が高等級にしか許されないのは、そのためでもある。
 ちなみに高脂質・高カロリーといった健康上のリスクが高い食品も、低等級には禁止されている。
 向精神性薬物、アルコール、煙草などは、所属する文化と等級次第で使用可。ただし、依存症因子の除去や治療法の発展、教育の徹底、そして何よりも亜人のお蔭で充足した精神はこれらの物質を必要としないことから、依存症は事実上存在しない。ギャンブル等、特定の行動の依存症も同様である。

 なお、額の蔓草模様の名称「スティグマ」と「認証印」であるが、前者はそれが大きく目立つ(すなわち等級が高い)ほど罪深い「旧人類的」人物であるという「烙印」を意味することから。後者は、クレジット支払いなどサービスを受ける際に額に「読み取り機」をかざして「認証」を行うことからである。実際に読み取られているのは皮下の個人番号であって蔓草模様ではないので「認証印」という名称は不正確なのだが、まあ名称なんてそんなものである。
 また亜人は、どの人間にどのレベルのサービスを行うべきか判断するのに、いちいち読み取り機を使うわけにはいかないので、スティグマを見て判断しているはずである。人間は基本的に図形の細かな違いなどを見分けるのは苦手だが、人間以外の哺乳類(類人猿など)や鳥類にはむしろそのような能力のほうが高い種が少なくない。亜人の認知能力はさまざまな制御が掛けてあるが、その分、図形の識別能力は高められていると思われる。

 ちなみに作中の表記が「サーヴィス」ではなく「サービス」なのは、主人公らが日常的に使用する言語が日本語経由の英語句や和製英語が多用される「日本語をベースとした混成語」だからである。

関連記事: 「絶対平和の社会」 「亜人」 「等級性‐‐概念」 

       「連作〈The Show Must Go on〉」 (『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』)

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