野蛮なやつら
社会派映画監督オリヴァー・ストーンがたまーに撮りたがる、メッセージ性皆無のB級バイオレンス風映画。『ナチュラル・ボーン・キラーズ』では説教臭がまだ鼻についたが、『Uターン』では方向性が明確に。スタッフもキャストもA級で、かつタランティーノほど「B級性の再現」にこだわらないので、あくまで「B級風」なんだが。
それにB級映画にしては、よくも悪くも軽さに欠ける。で、全体にそこはかとなく理屈っぽい。紛うかたなきオリヴァー・ストーン印だ。
大学で植物学と経営学を学んだ若者がイラク帰りの幼馴染と組んで、アフガニスタンの大麻を品種改良して新ブランドを開発する。その儲けに目をつけたメキシコのカルテルが、処刑の動画を送りつけた上で、手を組めと強要する。二人は時間稼ぎをして逃亡しようとするが、彼らが共有する女オフィーリアが拉致されてしまう。
カルテルのボスが、サルマ・ハイェック。いつの間に、と思うほどの貫録を身に着けている。汚職塗れの麻薬捜査官がジョン・トラボルタ。せこくて小心、しかし良心も捨て切れていない、という役はトラボルタならでは。
一方、カルテルの始末人で、残虐非道なだけじゃなくて徹底した下種野郎を演じるのがベニシオ・デル・トロ。こういう悪役というのは、突き抜けてしまっていっそ清々しいほどだったり、役者が嬉々として演じているのが微笑ましかったりするものだが、このベニシオ・デル・トロは、そういう観点からですら好感情をまったく持てないという徹底ぶりである。唯一の「隙」と呼べそうなのは、始末されそうになったジョン・トラボルタの必死の舌先三寸に、いつの間にか丸め込まれてしまっている時の間抜け面くらいなものである。
ヒロイン役が地味な金髪碧眼で、若い頃のグウィネス・パルトローに似ている。社会派だったり芸術性が高かったりする監督が目先を変えて撮るバイオレンス映画、という選択も若い頃のパルトローっぽい。実はお嬢様、という役どころも。
二人の男が一人の女を共有する関係は成り立つのか、という問題は、フィクションだから、という解答を避けるならば、劇中でサルマ・ハイェックが述べているとおり、男たちが互いの絆を深めるための方便と解釈するのが妥当だろう。一人の女をめぐって対立する二人の男にとって、重要なのは実は互いの関係であり、女はダシにすぎない、というのは現実でもフィクションでもありがちだからな。
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