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小説家への迷い道③

 私はまったくの無神論者で、信仰というものが理解できない。大学で正規の仏教教育を受けたわけだが、釈尊にせよ親鸞上人にせよ(大学ではこう呼んでいた)、その説法の多くには感心するものの、だからと言って、なぜそれが「信仰」となるのか理解できない。だいたい、仏教は無神論だしね。
 仏教のように合理的なものが信心できないのだから、非合理なものはなおさらである。私が作品に原理主義者や陰謀論者を登場させるのは、非合理なものを信じる心性を解析したいからだ。

 しかしその私が、「自分はいつか小説が書けるようになり、小説家になれる」と固く信じていたわけで、それは一切根拠もなく、また一度として信じようと努力したわけでもない。信じるのをやめようとしたことは数限りなくあるが、不可能だった。まるで、未来の既成事実であるかのように、心から消すことができなかった。 
 あるいは、信心とはそういうもの、理屈じゃないものかもしれない。ということは、信じようと努力する必要があったり、信じることをやめられるのなら、それは本物の信心ではないということになるのだろうか。

 もちろん、「本物の信心」だったとしても、それが事実である、あるいは事実となる保証など一切ない。確かに私は信じていたからこそ努力してこられたのだが、その努力ができるようになったのも、まずは「小説が書けるようになる」という最初の壁を突破できてからのことで、そもそも小説が書けない段階では、小説を書く努力すら不可能である。少なくとも私はそうだった。
 じゃあ小説を書けるようになる以前は何をしていたのかと言えば、これまで述べたように、いつか小説を書く役に立つと信じていろんなことに手を出してきた。それらの経験が役に立っているのは事実だが、それがなかったら小説家になれなかったというわけでもないしな。

 だから、「信じて努力すれば叶う」なんて、無責任にもほどがある言葉だ。「信じる」ことはなんの保証にもならないし、努力してどうにかなることもあるが、どうにもならないこともある。で、駄目だったとしても、信念か努力のどちらかが(あるいは両方)が足りなかったんだと本人のせいにして、言った奴は責任を取らなくていいんだからな。
 だから私は、もし小説家になれていなかったら、いやそれ以前に小説を書けないままだったら、今頃どうなっていたか、恐ろしくて想像もできない。

 さて、本屋の女王様によって就職氷河期の只中に蹴り出された私(当時25歳)は、なおも「いつか小説が書けるようになり、小説家になれる」と頑迷に信じ続けていたものの、「いつか」がいつなのか判らないので、とにかく一番近い職種として編集者を目指すことにしたのであった。
 とは言うものの、関西で編集者の求人は少ない。とりあえずそれを第一志望として、自分にできそうな仕事があれば片っ端から応募した。もちろん連戦連敗である。

 そんなある日、とある出版社の求人を見つけた。一般書籍のほか学習教材も出版している、かなりの大手である。ダメ元で説明会に行ってみると、最初の一年は営業、すなわち教材の訪問販売をしなければいけない、と言う。しかし二年目には希望の職種に移れるという。
 一年くらい耐え抜いてやる、と面接を受け、無事採用と相成った。初日、営業所に出勤した私に所長が告げたのは、「一年半経ったら、職種異動願いを出せる」。
 詐欺じゃねーかよ、と唖然としたが、そう言って席を蹴って立つには、もはや切羽詰まりすぎていた。

 少しして知ったことだが、異動願いを出したところで、長い人で七年も訪問販売に釘付けにされていたし、最も成績優秀な人は勤続三年目だったが、「来期は異動確実」と羨望の目で見られていた。
 訪問販売員として日々は、思い出したくないので思い出さない。とにもかくにも、きっかり二ヶ月で解雇されたため、それほどダメージを受けずに済んだのだった。これを不幸中の幸いなどと言いたくはないが、実際、心身ともに変調を来した子もいた。
 

 彼女は短大を出て新卒で、つまり私より半年ほど早い採用で、その半年間の成績はそう悪くもなかったらしい。私が入社した当初の彼女は、明るくて礼儀正しい子だった。
 それが、半月ほどして突然成績が下がり始め、比例してどんどん雰囲気が暗くなっていった。菓子を貪る姿が目に付くようになり、痩せて細面だったのが、体型は変わらないのに顔だけが日に日に丸くなっていった。同時に、顔色はどす黒く変わっていった。皆の挨拶に返事もしなくなり、ある日、トイレに行った私が見たのは、鏡に向かって何やら呟いている彼女だった。挨拶は、もちろん無視された。私がトイレを出る時も、呟きは続いていた。
 彼女が辞めたのは、それから数日後のことだった。

 その一ヶ月後、私は解雇され、そして突然小説が書けるようになった。単に一定量の「作文」ができるようになったというのではなく、「本当に」小説が書けるようになったのだということは、二ヶ月で書き上げた350枚ばかりのその原稿が、日本ファンタジーノベル大賞の一次選考を通過したことから明らかである。ちなみに、日本ファンタジーノベル大賞は一次選考の次が最終選考ですよ。
 書けるようになった理由は、いろいろ考えられる。一番大きいのは、「私は小説を書ける人間だ」と自己暗示を掛ける方法を編み出したことである。実は、未だにこの自己暗示は必要である。自己暗示が巧く掛かれば巧く書けるし、掛かり方が今いちだと、書きあぐねて地獄の苦しみを舐めることになる。

 最初に、「小説を書くのは念動力で建物を屋根から下に向かって造っていくようなもの」云々と与太を飛ばしたが、この喩えに従うなら、私の「念動力」は「私は小説を書ける人間だ」という自己暗示があってようやく発動するのだということになる。
 あるいはひょっとしたら、これも「主体として行動するのが苦手」であることと関係しているのかもしれない。「主体として行動するのが苦手な私」と「小説を書く(主体として行動する)私」とを切り離す必要があるのかもしれない。
 それとクビになる少し前、大学時代の先輩から中古のワープロを譲ってもらったのだが、そのお蔭で自己暗示を掛けるのが容易になったのだろう。私はひどい悪筆である。丁寧に書いても悪筆な上に、特に小説を書いて(書こうとして)いる時など、考えるのと同じ速度で書こうとするため悲惨なことになる。下手っくそな自分の字を見ると、げんなりして我に返らざるを得ないのである。手書きしかない時代だったら、作家になれなかった可能性は高い。

 しかしひょっとすると、初めて就職した会社を短期間でクビになったことで、もう本当に後がないのだと腹を括ったのかもしれない。自覚はないんだが。
 学生時代に熱心にやってきたこと(漫画、映画、演劇、歴史研究)はどれ一つとしてモノにならず、巧くいっていると思っていたアルバイト先(本屋)からは追い出され、ついには社会人として無能だということも証明されてしまった、もう小説を書くしか道はない、と。
 小説を書けなければ、もう私には何一つ残らない、という自覚こそなかったものの、社会人として無能なんだという意識がはっきりと刻み込まれたのは確かである。

 そして、時は流れて2010年代、「ブラック企業」という名称を耳に(目に)するようになり、挙げられている条件を眺めてみると…………くっそー、あの会社、ブラック企業そのものじゃねーか。あそこでやっていけなかったのは、私に問題があるからだと十年以上も思い込んでたけど、問題があったのは会社のほうじゃねえか。

 ……まあね、あの会社の後もバイトや契約社員として職を転々として、どれも長続きしなかったから、やっぱり私は社会人として無能なんだろうけどさ。それに、あの時「もう後がない」と思わせてくれたお蔭で小説が書けるようになったのだとすれば、そのことについてはどんなに感謝しても感謝しきれない……わけねーだろ、クソ会社め。

 ちなみにその後の仕事の中で一番長続きしたのはパンフレット制作会社で、そこでの肩書きは「エディター」でしたが、メインの仕事は校生でした。その経験は小説家として役に立っているはずです、たぶん。

 もう少し続く。

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