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『SFマガジン』10月号

 本日発売の『SFマガジン』10月号は、伊藤計劃特集です。
 10月から3ヵ月連続で公開される劇場アニメ『屍者の帝国』『虐殺器官』『ハーモニー』の紹介、評論などとともに、伊藤計劃氏と同世代の作家、20代の作家、現役学生による3つの座談会が収録されています。

 私は藤井太洋氏、長谷敏司氏とともに、同世代作家の座談会に出席しました。あんまり喋ってませんが、あれでいっぱいいっぱいです。藤井さんの「公正的戦闘規範」について一言も述べていないのは、長谷さんが先に私が言いたかったこと+実のある感想をさらにいろいろを述べられたからです。だいぶ短縮されて収録されてますが。

 とにかく、たいへん中身の濃い特集です。

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 以下は座談会記事を前提としています。

 親しい人を亡くした時、人は合理的でない反応をしてしまいがちで、その死に罪悪感を抱くのは典型的な例である。
 もちろん私は、伊藤氏と「親しい」間柄ではなかった。にもかかわらず氏の訃報に接し、まさにその典型的な反応をしてしまったのは、一度だけの出会いが、自覚していた以上に強く印象に残っていたからなのだろう。
「親しい人の死への反応例」の知識は当時からあったのだが、自分がそうだと気づくことはできなかった。そんな余裕はまったくなかった。その後、「気づいた」瞬間があったわけではなく、何年もかけて徐々に納得していった、という感じだ。

 だから、この話は座談会の時まで誰にも(塩澤編集長を例外として)話したことがなかった。六年も経てば話せるようになるものだな――とこの時は思った。座談会後は藤井氏と長谷氏、編集者の方々と和気藹々と会食し、その夜は穏やかな心持ちで就寝したのだが……翌朝、全身筋肉痛で動けない。
 どうやら、座談会で伊藤氏の話題の間中、無意識に身体を強張らせていたせいらしい。強いストレスが掛かると、そうなることがある。ストレスは精神的なものとは限らなくて、真冬の戸外に長時間いただけでなったりもする。が、精神的なストレスでは、そうそうなるものではない。
 六年では全然足りなかったらしい。

 私がお会いした計劃さんは、とても元気で明るくて、“死”はおろか、“病”の影すら結びつけることのできない人だった。だから、近いうちにどこかで再会できると思っていた。実際、逸してしまったがその機会は幾度かあった。
 そんな呑気な気持ちでいたところを訃報に打ちのめされ、そこから立ち直らないうちに、なおも「近いうちにどこかで再会できる」と思っている自分に繰り返し気づかされることになった。

 願望なのだろう。だが意識の上では、予測であり確信だ。気づくたびに、そうではないと自分に言い聞かせる。だが未だに、さすがに間遠にはなったものの、ふとしたはずみにこの感覚は頭をもたげてくる。

 そういうことを、繰り返している。

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『伊藤計劃トリビュート』と『SFマガジン』10月号 『伊藤計劃トリビュート』

 いよいよ明日21日金曜日に刊行です。
 真っ赤な地にシンプルなデザインが目を惹く書影はネットで確認済みでしたが、実物は700頁超という分厚さもあって、文庫とは思えない重厚感です。

 作家は逸早く自著の新刊を手にできるわけですが(いや、一度だけ発売日の翌日に届いたことがありましたが。書店に並んでいるのに作者の手許にはないという)、これが自作だけ収録された本の場合、確かに装丁の実物を目にできる喜びはありますが、中身については誤字脱字チェック以外、することはありません。実際に見つけてしまうと落ち込むし。
 でも今回はアンソロジー、しかも8分の1なので、ほぼ一読者として新刊を手にする喜びがありましたよ。
 皆さんも明日、是非お手に取ってみてください。

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 私の収録作「にんげんのくに」は、前にお伝えしたとおり、HISTORIAシリーズに属します。
 本来は『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』の連作(連作名は〈The Show Must Go On〉)の一篇として、「はじまりと終わりの世界樹」の次に脱稿した作品でした。
 HISTORIAシリーズは、各作品の繋がりが緩く、単独で読めることを大原則としていますが、〈The Show Must Go On〉は連作なので、それなりにまとまりがあります。
 この連作のテーマは、もともとは“暴力”でした。「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」と「はじまりと終わりの世界樹」が“現代の暴力”、「The Show Must Go On!」以下三篇が“その延長線上にある暴力”、そして「にんげんのくに」が“原始的な暴力”です。
 “原始的な暴力”とは、その言葉から連想されるような“無秩序”、“本能的”、あるいは“動物的”な暴力では決してなく、非常にシステマティックで“文化的”で“人間的”、つまり根本的なところで“現代の暴力”となんら変わりはない……という構成だったんですが。

 しかし「にんげんのくに」は例によって長くなりすぎた上に、「ミーチャ」をはじめとする他の収録作が〈絶対平和〉の構築から崩壊(前夜)まで、というまとまりがあるのに対し、これだけいきなり〈絶対平和〉崩壊から数百年後。作品としてもカラーが違いすぎるし、HISTORIAシリーズを初めて読まれる方々には不親切かな、というわけで、とりあえず外しましょう、ということになったのでした。

 その後、『伊藤計劃トリビュート』に入れたいというお話があって、ああ、言われてみれば確かに「伊藤計劃的」だな、と。計劃さんにお目に掛かったのは一度だけですが、その死には私なりに思うところもあったので、自分にできることはしたいという気持ちから、参加させていただくことにしたのでした。
 この『トリビュート』のために書かれた作品として読んでも、違和感はないと思います。  

 HISTORIAシリーズとしては、時間軸で最新(『グアルディア』より後)になりますので、これまでシリーズを読んできてくださった読者の方々の中には、その点に興味を持ってくださる方もおられるのではないかと。例によって物語的には直接の繋がりはありませんが。

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 さて、去る7月9日、『トリビュート』執筆者で行う座談会に出席してまいりました。世代別ということで、伊藤計劃さんと同世代組(1970年代前半生まれ)は私、藤井太洋さん、長谷敏司さんの三人です。
 それぞれの収録作品について話しましょう、ということで、これに先立ってお二方の収録作品(藤井さん「公正的戦闘規範」、長谷さん「怠惰の大罪」)を読ませていただいたのでした。両作品とも凄くてかっこいい、かっこよくてすごいのに、私は読んだ小説について喋るのが苦手なので碌なことが言えず、そこで藤井さんと長谷さんが二人して「にんげんのくに」を是非アニメ化してほしいとか冗談を言わはるので一層困惑したり(いや、無理ですヴィジュアル的に……全裸だから)しましたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 しかし主題はやはり伊藤計劃さんについてで、6年も経っているにもかかわらず、あるいはたった6年しか経っていないから、塞がっていた傷を開くのに似た体験で、なかなかきついものがありました。私よりも長谷さんのほうが、作品(『メタルギアソリッド』ノベライズなど)を通じて伊藤計劃さんと深く向き合っていた分、あそこまで心情を吐露するのは つらかったのではないかと思います。

 座談会の内容は、25日発売の『SFマガジン』10月号に収録されます。あの場で語れることはすべて語り、同じ話を繰り返す気力も少なくとも当分はありませんので、「にんげんのくに」著者後記(この座談会より後に書きました)では、伊藤計劃さんのことには一言も触れることができなかったのでした。

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『早稲田文学』と『伊藤計劃トリビュート』

 まずは明日発売予定の『早稲田文学』秋号。

 小特集「昏い部屋の女たち」にアンナ・カヴァン論を寄稿しています。
 なぜ私がアンナ・カヴァンかと言いますと、一昨年、SFセミナー2013夜の部でアンナ・カヴァン読書会に参加したんですが、その際、「アンナ・カヴァンとサーデグ・ヘダーヤトは似ています」と発言したものの、ヘダーヤトを読んだことのある人がその場に誰もいなくて、で、その日は体調がかなり悪かったこともあって、ヘダーヤトとカヴァンの対比については「う……と、とにかく似てます」という以上のことは言えなかったのでした――という経緯をこのブログに書いたのを、『早稲田文学』の編集者の方が目に留めてくださって、今回、お声を掛けていただいたという次第です。

 アンナ・カヴァンとイラン人作家サーデグ・ヘダーヤトは、同世代であり、共に「カフカ的」と称されますが、並べて論じた人はあんまりいないんじゃないでしょうか。
 カヴァンは近年、新刊・復刊ラッシュと言っていい状況ですが、私の拙文(この記事じゃなくて『早稲田文学』掲載のほう)を読まれて、カヴァンだけじゃなくヘダーヤトにも興味を持たれた方は是非、短篇集『生埋め――ある狂人の日記より』だけでも読んでみてください。いわゆる「カフカ的作品」だけじゃなく、ホラーやSFもありますよ。特に「S.G.L.L.」は1930年代に書かれたとは信じがたいほど先駆的な終末SFです。

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『早稲田文学』2015秋号 amazon 公式ページ(内容の詳細はこちら) 

51tc2vqac5l アンナ・カヴァン『氷』

41bbqs2emdl_2 サーデグ・ヘダーヤト『生埋め』

 続いて、8月21日発売予定の『伊藤計劃トリビュート』(早川書房)

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 御覧のとおり、他の執筆者の方々が大変豪華です。文庫なのでお値段もお手頃な1188円。
 ちなみに私の「にんげんのくに」はHISTORIAシリーズですが、例によって単体で読めます。『グアルディア』より後の、南米アマゾンの話です。このトリビュートのために書いたのではないのですが、期せずして相応しい作品になっていると思います。

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健康第一

 どうも、御無沙汰しております。珍しく仕事が重なってました。近々お目見えできるはずです。

 山育ちなので身体は頑丈、大きな病気や怪我は一度もしたことがないのですが、高校の時に自律神経をおかしくして以来、しょっちゅう体調を崩します。気分が落ち込むと体調を崩すし、体調を崩すと気分が落ち込む。
 下手をすると、この負のループから何か月も抜け出せなくなるので、まともに機能するためには、規則正しい生活に健康的な食事、充分な睡眠、適度な運動が欠かせません。が、ちょっと仕事が忙しかったり、ストレスになることがあるだけで、そんな健康生活を維持するのが困難になります。そうすると覿面に体調を崩し、そして負のループへ……というのを、過去何度も繰り返してきました。

 運動は子供の頃から苦手だったのですが、大学の演劇部でトレーニングにはまり、以来、断続的にですが、軽い運動(ダンベル運動か自重筋トレに有酸素運動)を続けています。まあ山育ちなので、保育園への通園が往復4キロ、小学校までの通学が往復6キロ、中学と高校(電車に乗っている時間を除く)で往復8キロ、基礎体力はできてたんでしょう。
 断続的なのは、体調が悪くなるたびにサボるからですが、断続的なりに長年続けてきたお蔭でそれなりに筋力はあり、体調がいい時期は調子に乗って、運動の負荷をガンガン上げる。なので、ちょっと体調を崩しただけで、(負荷を上げすぎた)運動を続けることができなる。そうすると、ますます体調が悪くなり負のループへ……(いや、それは単なる馬鹿だろう)

 特に夏は、まだ充分に涼しい5月頃から、血行が悪くなり、手足がむくむし、だるいし、アトピーは悪化するしで機能不全になり、これが秋まで続く……。しかも年々ひどくなり、去年はついに手足を動かすだけで痛むので運動がまったくできなくなり、さらに血行が悪くなって夜も眠れなくなる、という事態に至りました。

 とにかく楽にできそうな運動を、ということで試しにヨガをやってみたら、おお、血行がよくなってアトピーも改善するではありませんか。それまでストレッチはやってたので、それで充分だと思ってたんですが、全然違う。

 というわけで、去年は8月頃から始めたヨガのお蔭で、秋までには体調が戻ってたんですが、元気になってくると、ヨガでは物足りなくなって、もっと負荷の高い運動がしたくなる。それはいいんですが、ヨガをやめると、代わりにほかの運動をやっても体調が悪くなるようになってしまいました。
 ということに今年の春に気づくまで、二度ほど体調を崩しました。馬鹿です。

 というわけで、ここ数ヵ月の日課の運動は、起床後と就寝前にヨガを各10分、日中(だいたい午前中)に有酸素運動をウォームアップとクールダウンも入れて45分、自重筋トレを15分、といったところです。体調が悪い日でもヨガだけでもやるとか、毎日続けるようにしています。
 お蔭で体調がいい日々がこれまでになく長く続き、また調子に乗って運動の負荷を上げていったら、先月とうとう右ふくらはぎの毛細血管を切りましたよ。

 運動のしすぎで毛細血管を切るのは二度目です。前回は腕立て伏せで右腕をやりました。27、8歳の時です。今回はショルダーブリッジの片足つま先立ちでしたが、もう42歳です。いい齢して何やってんだか。
 てゆうか、自重筋トレってそんなに負荷が高くないはずなのに、私の自重はそんなにすごいってことか。手のひらサイズの痣ができて、まあ痛みは大したことなかったんですが、消えるのに10日以上かかりました。

 何はともあれ、これまでになく体調がいいお蔭で、仕事も捗っています。先月下旬から追い込みに加えて夏バテで、ヨガと有酸素運動は軽いものに変えましたが、筋力まで落ちたわけではないので、筋トレはこれまでと同じメニューでやってます。
 これ以上毛細血管を切らないよう気を付けつつ、多作な作家を目指して頑張ります。

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ターミネーター5

 「3」をなかったことにした「4」だったが、本作は「3」ともども「4」もなかったことにされている。なかったことにされたスタッフやキャストたちがお気の毒なのはともかく、この世界では過去に介入するたびに世界が分岐する、というならば、いくらでも旧作をなかったことにできるわけなんだが、どうもその辺の設定に脳味噌を使っている気配がない。

 今回も、時間が分岐して、スカイネットの誕生が1997年から2017年に変わった、ということなんだけど、「なぜ変わったか」の理由がまったく説明されていないし、時間が分岐するなら、この時間軸で世界を救っても、救われていない他の時間軸はどうなるんだとか、誰も気にしていない。これだからSF素人は……

 以下、ネタバレ注意。

 ターミネーターをターミネーターたらしめているのは、「倒しても倒しても追ってくる」ことであって、すぐに壊れて動かなくなるターミネーターなんかターミネーターじゃない。

 ジョン・コナーをああいうことにしたのは、オリジナル(1と2)への敬意を欠く。キャメロン監督はあれで満足してるらしいが、監督(作者)が自作への愛を失ってしまうのはよくあることだ。作品への敬意というのは、作者への敬意ではなく、ファンへの敬意であろう。

「ターミネーター4」感想

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アウトロー(トム・クルーズ)

 トム・クルーズが主演してるほう(2012)。

 イラク帰りのヒーロー、ジャック・リーチャーは、地に足がついたイーサン・ハントといったところで、アクションも手堅い。

 BGMが全然ないのが渋くていいと思ってたら、クライマックスになったら急にそれらしい音楽が掛かり始めて少々興ざめだった。

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アウトロー(クリント・イーストウッド)

 クリント・イーストウッド監督主演(1976)。

 北軍に家族を殺された農夫ウェールズが、復讐のために南軍に入隊するも、当の仇には巡り会えないまま月日は流れ、南軍は敗北する。仲間の兵士たちは北軍に投降することを選ぶが、ウェールズは独り拒絶。投降した仲間たちは(予想どおり)惨殺され、救出に赴いた(が間に合わなかった)ウェールズは追われる身となる。追っ手はかつての仲間と仇。
 逃避行の先々で、インディアンの老酋長、白人に虐待されていたインディアン娘、カンザスから来た老婦人と孫娘、と仲間がどんどん増えていく。しかし、その間にも追っ手は迫り……

 
 適度にクリフハンガーしつつ、すべてが収まるところに収まる手堅い展開は、後年のイーストウッド作品のような衝撃性はないものの、様式美の域に達している。イーストウッド作品らしく、体制(本作では北軍)への反発と弱者(インディアンと女性)への目配りも忘れない。

『小さな巨人』のチーフ・ダン・ジョージがチェロキーの老酋長が印象的。『カッコーの巣の上で』のチーフ役のウィル・サンプソンも、ちょっとだけ出てる。

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