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情報受容体

「にんげんのくに」の主人公である異人は、己の五感を通じて収集した情報を「ある存在」に提供する「情報受容体」である。異人自身がそのことを知ったのは、10歳の時、幻覚剤を吸引させられたことがきっかけだった。
 異人は己が情報を提供する相手を「彼ら」と呼ぶが、それは「彼ら」の正体も情報収集の目的も一切不明だからである。情報受容体の脳が受容した情報はすべて、周囲の環境からのものも受容体自身の体内からのものも含めて、「彼ら」の許に送信されるが、その仕組みについても異人自身が知ることはできない。

 情報受容体から常時、「彼ら」に情報が送信されるだけでなく、情報受容が支障なく行われるよう、「彼ら」からも常時、受容体の感情・思考・行動を制限または補助する指令が送信されている。ただし受容体に常時張り付いているのは「彼ら」自身ではなく、コンピュータ・プログラムである。
 いずれにせよ、受容体とプログラムの間に最初から双方向の情報の遣り取りがあったため、強力な幻覚剤の作用によって新たな回路が開き、本来なら受容体には送信されない(もしくは、送信されても受容体自身には認識できない)情報までもが漏出するようになったのである。

 この「事故」はすでに、同じく情報受容体であった異人の母にも起きていた。二度と同じ事故が起きないようプログラムを修正し、受容体の記憶も書き換えることは「彼ら」にとって容易だと思われる。それをしていないということは、経過を観察するつもりなのであろう。
 幻覚剤を一度しか吸引しなかった母よりも、常習することになる異人のほうが遥かに大量の情報を随意に引き出せるようになっていくのだが、その彼でも、得られる情報は空間的にも時間的にも自分の周囲のことに限定され、それ以上のことはおぼろげにしか知ることはできない。特に、「彼ら」に関する情報は完全に遮断されている。
 そのことに異人が不満を抱かないのは、プログラムによって感情・思考を制限されているからである。制限されていると知ってなお不満を抱かないのも、制限のうちだ。

「にんげんのくに」の舞台はブラジル北部、ベネスエラとの国境地帯辺りである(作中、明記はしていないが間接的な記述はある)。ちなみに「人間」族のモデルであるヤノマミ族が居住するのもこの辺り。
 異人が知ることができた森の歴史と、これまでのHISTORIAシリーズで語られたことを突き合わせると、次のようになる。

 アマゾンの熱帯雨林は一見豊かなようでいて実は非常に脆弱で、いったん大規模に伐採すると不毛の地と化してしまうのだが、「森の外からやってきた人々」による森林破壊が時代とともに加速度的に拡大していったことは、現実の歴史と同じ。20世紀末からのオルタナティブ・ヒストリーにおいては、環境保護政策によって森林破壊が終結するだけでなく、改造微生物によって土壌の生産性が高められる。森は速やかに回復しただけでなく、かつてとは異なり、見た目どおりの豊穣の地となる。
 しかし22世紀末、世界各地で生物の変異による災害が始まる。アマゾンは最初に災害が発生した地域の一つで、それは植物の強毒化と異常繁殖という形で始まった。
 やがて原因は土壌微生物の変異であることが判明するが、かつての森林再生プロジェクトとの関係が解明されることはなかった。その頃にはもはや深刻なパンデミックが多発し、世界は混沌に陥っていたからである。

『グアルディア』の時代(2640年代)、災厄はすでに何世代も前から小康状態に入っていたにもかかわらず、南米北部の人々にとってアマゾンは未だに、猛毒植物だらけで疫病の温床というだけでなく、怪物と化した生き物(人間のなれの果てを含む)の巣窟であり、いつ異常繁殖を再開して自分たちの町や村を飲み込むかわからない魔境のままである。

「にんげんのくに」では時代設定の手掛かりは、災厄が何世代も前から小康状態にある、という以上のことは明かされず、これだけでは『グアルディア』の以前なのか以後なのかも不明である。
 明らかなのは、災厄の時代、アマゾンに住んでいた人々の大半は死ぬか逃げるかしたが、わずかな人々は生き延び、子孫を残したということである。それが「人間」族をはじめとする各部族であり、異人が知る限りでは、どの部族も新石器時代レベルにまで退行してしまっている。
 無脊椎動物から人間を含む脊椎動まで、森の外の人々が恐れるような怪物にはならなかったものの、変異は確実に起きており、最も顕著なのは植物毒に対する耐性である。森の外の住民にとって、森の植物の大半は未だに猛毒のままで、それが森と外界とを隔てる障壁の一つとなっている(最大の障壁は、外部の人々の森への恐怖であろう)。
 また植物毒(主にアルカロイド)の影響は、特に人間のニューロン・ネットワーク形成にも及んでおり、それは主に幻覚という形で表れている。

 なお本作は、いわゆる心霊現象も神秘体験もすべて「脳の誤作動による幻覚」というスタンスを取っている。ヒトの脳は生得的にこの誤作動が組み込まれているが、変異した森に住む人々は、向精神性のある植物毒を生涯摂取し続けるため、先天的にも後天的にもこの誤作動が非常に起きやすくなっている、という設定である。
 異人と彼の母が、情報受容体としての自覚を持ったのは幻覚剤の吸引によるが、おそらくこれは単なるきっかけ、もしくは最後の一押しに過ぎず、すでにそれ以前から脳の器質的な変異は形成されていたと思われる。

 異人の情報受容体としての機能は母から受け継いだものであり、母はその母から受け継いでいる。「彼ら」によって最初の情報受容体とされたのは、異人の祖母(母の母)である。
 彼女が生まれたのは、ギアナ高地のサバナ地帯にある小さな村の一つである。生後数日で「彼ら」によって情報受容体に改造されたのだが、その手段は今のところ不明である。  
 アマゾン低地のほとりに位置するこれらの村々でも、一握りの交易商人を例外として、森に入る者はいない。交易商人たちにしても、移動はカヌーに限り、交易相手も川沿いの部族だけ、携行食料以外は口にしないので、滞在もせいぜい数日に限られる。
 森の住民が森から出てくることもないが、これは開けた場所を恐れているからだと思われる。

 異人の祖母は幻覚剤を使用する機会が生涯なく、己の正体を知ることも生涯なかった。10歳で故郷を出て森に入ったのは好奇心のためだと信じ、森で一人で生き延びられたことに疑問を抱くこともなかった。
 彼女が危険を避けることができ、毒に中ることもなかったのは、プログラムによる干渉のお蔭だが、後者に関しては、森のほとりの住民であったために多少の耐性ができていたためでもある。サバナ地帯の植物にも、強毒化はいくらか及んでいたのである。

「彼ら」が情報受容体をアマゾンに送り込んだのは、「彼ら」の力をもってしても、アマゾンの詳細な情報を入手する手段がほかにないからだ、と異人は理解している。 「彼ら」が異人の祖母のほかにも情報受容体を造ったのか否か、異人は知ることができない。森の外がどうなっているのかもまた、知ることができない。

 情報受容体は、すでにHISTORIAシリーズに登場している。『ミカイールの階梯』のハーフェズである。「ハーフェズ」はアラビア語「ハーフィズ」のペルシア語訛りで、「保管者」。転じて「保護者/守護者」、さらには「記憶(を保つ)者」を意味する。
 現実のイスラム世界においては、ハーフィズ/ハーフェズはクルアーンを丸暗記した者に与えられる称号である。

『ミカイールの階梯』(2440年代)におけるハーフェズは、アポカリプス以前の文明「絶対平和」の知識と技術を保有するミカイリー一族の間に生まれてくる、ある遺伝子(「ハーフェズ遺伝子」と呼ばれる)の持ち主である。
 特殊な遺伝子といっても、それは表立った形質は何一つ現さない。ハーフェズ遺伝子はX染色体上にあるが、一族の伝承によればハーフェズ遺伝子を二つ持つ者(普通はハーフェズを両親に持つ娘)は、一度だけ知性機械ミカイールにアクセスすることができるとされ、「階梯(メァラージュ)」と呼ばれる(階梯一人につき一度ではなく、一度でもアクセスしてしまえばお終いである)。  もう一つ、ハーフェズたちの脳が受容する情報は「管理者たち」へ送信されている、という伝承もあるのだが、どうやって送信されているのか、そもそも本当に送信されているのか、ハーフェズ自身を含めて誰も知らない。
 そのため一族は後者の言い伝えを重視せず、また前者の伝承についても試しにアクセスしてみるわけにもいかないので、ハーフェズを失われた文明の象徴とのみ見做してきた。    

 ミカイリー一族は、「絶対平和」体制が崩壊を始めた22世紀末、密かにハーフェズを開発・製造した科学者たちの末裔である。自ら生み出した遺伝子改造体を、自らの血統に組み込むことで継代してきたのだ。
 彼らにハーフェズを開発させたのは、「遺伝子管理局」の「管理者たち」である。絶対平和を支配する組織とそのトップだが、絶対平和当時には実在しないとされていた。絶対平和体制を運営するのは、12基のスーパーコンピューター知性機械に補佐された各国の協議だったからだ。

 そもそも遺伝子管理局や管理者たちの存在を最初に唱えたのは、21世紀初頭の旧体制派の陰謀論者たちだった。絶対平和確立後は、冗談の種として見做されていなかった。
  しかし遺伝子管理局は妄想だったが、12基の知性機械を支配する管理者たちは存在した。絶対平和が揺るぎなかった間の活動は一切知られていないが、22世紀末、ウイルス禍とそれによる社会不安が広がり始めると、絶対平和崩壊を見越した活動を密かに開始している。それが「ハーフェズ」、そして「生体端末」の開発である。

『グアルディア』と『ラ・イストリア』に登場する生体端末は、中南米地域を管轄する知性機械サンティアゴの、文字どおり生きた端末である。中央アジア・西アジアの知性機械ミカイールの階梯と違い、何度でもアクセスでき、ある程度ならサンティアゴを操作することすらできる。
 サンティアゴに生体端末が造られたのに、ミカイールには造られなかった理由は、それぞれのCPUの特性の違いによる。サンティアゴにあってミカイールにないこの特性は、残りの10基にも存在しないため、生体端末が造られた知性機械はサンティアゴ1基だけ、ということになる。

 生体端末にしてもハーフェズ/階梯にしても、その存在意義は「文明の遺産の守り手」たることだと考えられてきた。
 また管理者たちは、2239年に「封じ込めプログラム」を発動させて以後、完全に消息を絶っており、2440年代の中央アジア(『ミカイールの階梯』)でも2640年代の中南米(『グアルディア』)でも、彼らがなんらかの形で存在し続けていることを示す手掛かりは一切ない。  

 しかし「にんげんのくに」で明らかになったのは、管理者たちは永く沈黙してきただけだったということである。さらに、生体端末やハーフェズ/階梯が「文明の遺産の守り手」だという解釈は誤りもしくは事実の一部でしかなく、管理者たちの真の目的は、災厄によって変容する世界を観察することだった、ということだ(生体端末の脳も、ハーフェズや情報受容体と同じく情報は双方向である)。
 このことから、残りの10の地域でも、ハーフェズに相当する遺伝子改造体が造られたのではないか、という推測が成り立つ。

 以下、ハーフェズや生体端末と「にんげんのくに」の情報受容体との違いは何か、そもそも中南米地域には生体端末があるのに新たに情報受容体を投入したのは何か、「にんげんのくに」のサブタイトル(Le Milieu Humain)の意味は何か、といった問題については、『グアルディア』のネタバレや、まだ作中で語られていない設定に関することになるので、それでもいいという方はどうぞ。

関連記事: 「にんげんのくに」  「遺伝子管理局」  「大災厄」 

設定集INDEX

 これまで管理者たちは、ハーフェズや生体端末を通じて情報を収集する以外は、世界に対して干渉を行った形跡が一切なく、またハーフェズや生体端末に対しても、どんな形にせよ干渉してこなかったようである。
 生体端末が30体以上も造られたのも、ハーフェズ遺伝子が目に見える特異な形質を一切持たない(遺伝子検査をしない限り判別できない)のも、彼らが各地に拡散して広く情報を収集することを期待したからだと思われるが、ミカイリー一族がハーフェズ遺伝子を厳重に管理して拡散しないようにしていたのを、ハーフェズの行動に干渉して阻止しようとした形跡はない。
 生体端末に至っては、1体を残してすべて廃棄された時も放置していたし(生体端末たちを操って、逃げるなり抵抗するなりさせることは可能だったはず)、その後、その最後の1体がクローニングを重ねるたびに徐々に意志を獲得していったのも放置、終いには生体端末自らが知性機械サンティアゴを破壊するのも放置したくらいである(アンヘルが受けたサンティアゴからの抵抗は、元からあったセキュリティ・プログラムである)。  

 それが「にんげんのくに」では、少なくとも情報収集に関しては情報受容体に常時干渉して積極的に行うようになった。
 ここからは「にんげんのくに」の続きで明らかになる予定の設定なのだが(どうもすみません)、「にんげんのくに」の時代は『グアルディア』(2642~43年)より100年余り後である。『グアルディア』で最後の生体端末が破壊されてしまったため、情報収集のための新たな端末が必要となり、それが情報受容体である。

『グアルディア』で、知性機械サンティアゴおよび生体端末の破壊によって明らかになったのは、すべての知性機械に共通する、文字どおり致命的な欠陥である。
 それは、知性機械のCPUに使用されている生体パーツが抱える自殺願望である。管理者たちがサンティアゴの破壊を黙認したのは、どうせ全面的に「修理」しなければならないのだから壊されても構わない、とでも考えていたのかもしれない。

 というわけで、『グアルディア』と「にんげんのくに」の間には、すでに壊れてしまったサンティアゴと、まだ壊れていない残り11基の知性機械CPU生体パーツの「修理」の話が来ることになる。サンティアゴ以外の知性機械は衛星軌道上にあり、そこまでロケットを打ち上げる技術は管理者たちでさえもはや失っているので、「修理」するにはいったん地上に降ろさないといけない、ということになる予定で、ということは管理者たちがいるのは地球上のどこかということになったりもするのですが、それはまた別の話。どうもすみません、頑張ります。

 ともかく、そこまで世界に干渉してしまったのなら、ということで、情報収集に関しても方針を変えたのかもしれない。
 いずれにせよ管理者たちが非常に気長なのは確実で、これは彼らが非常に長命であることと関連していると思われる。どんな形で生き続けているのかは、「にんげんのくに」の続きで明らかにされる予定。  

 最後に、副題「Le Milieu Humain」について。
 テイヤール・ド・シャルダン(1881~1955)の著作『神のくに』の原題「Le Milieu Divin」に因む。「milieu」は英語にもなっているが、「環境」や「場」といった意味で、これを「くに」と訳したのは秀逸だと思う。「人間」族の「くに」は「国家」という要素はまったくないので、milieuの語をあてるのは相応しいと思い、使わせていただいた(作中では「邦」の字をあてている)。
「にんげんのくに」の物語そのものとテイヤール・ド・シャルダンの著作とは、直接には関係がないが、間接にはある。たとえば、絶対平和体制を打ち立てる活動を最初に始めたとされる人々は、後に「創始者たち」と呼ばれ、彼らこそが「遺伝子管理局」の「管理者たち」の正体だ、と(冗談で)言われたものだが、この「創始者たち」は、テイヤール・ド・シャルダンの弟子だと自称していた。

 というわけで、「にんげんのくに」とその続きは、『グアルディア』以来延々と張り続けてきた伏線の多くを回収する長篇になる予定なので、発表できるといいですね。頑張ります。

関連記事: 「管理者たち」 「ハーフェズ」 「階梯」 

       「生体端末」 「知性機械」 

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