ヤズィーディーの信仰について Ⅰ
2018年10月30日発売
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『TH』№76に掲載の拙文「イスラムの堕天使たち」は、この主題の下に4つのトピックを取り上げた。①ヤズィーディー、②ハッラージュ、③イスラムにおける一般的な堕天使/悪魔観、④ハールートとマールート、である。
好きなことを好きなように書かせていただいたので満足だが、如何せん詰め込みすぎて説明不足になっている嫌いはある。
といわけで、日本語文献の少ないヤズィーディーを中心に補足。
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『TH』拙稿末尾の文献案内では、ヤズィーディーに関する学術テキストとしてジェラード・ラッセルの『失われた宗教を生きる人々』を挙げた。ヤズィーディーの教義、歴史、現状について報告されており、かつ比較的入手しやすい日本語テキストは、この1点しかない。とはいえ、全7章中の第2章(約50頁)+エピローグ(わずかな言及)だけだ。
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そもそもヤズィーディーに関する日本語テキスト自体が少なく、教義や歴史については『講座 世界の先住民族 ファースト・ピープルズの現在 04 中東』(2006年)収録の宇野昌樹氏による「ヤズィーディー 孔雀を崇める人々」(十数頁)と川又正智氏による論文「境界世界の一事例――悪魔教徒・悪魔崇拝者と呼ばれるヤズィーディー(ヤズィード教徒)紹介」(2012年 数頁 オンライン閲覧可)くらいしかない。
ヤズィーディーの現状については、林典子氏の写真集『ヤズディの祈り』(2016年)がある。ネット上のニュース記事およびwikiは、いずれも英語記事を基にしているようである。
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というわけで日本語テキストがあまりに少ないので、オンラインの英語のニュース記事と学術記事を数本、および英語版wikiも参照したんだが、ヤズィーディーの教義・歴史についての記述は、全部食い違っていると言って過言ではない。
仕方ないので拙稿には可能な限りそれらの最大公約数的な見解をまとめておいたが、違うことを述べているテキストも幾つかはある。
つまりそれくらいヤズィーディーについての研究は進んでいないということだが、それ以前の問題として、そもそもヤズィーディーという集団自体、一枚岩ではない。
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彼らの故地と言えるのはクルディスタンだが、トルコ、イラン、イラク、シリアの4ヵ国に跨る広大な山岳地帯で、そこに小さく閉鎖的な村が点在している状態だ。加えて、少なくとも数百年にわたる迫害と各国の政情不安によって、現在では文字どおり世界中に離散してしまっている。
コミュニティ同士を結ぶネットワークは存在してこなかったし、無文字文化だった上に厳格な階級制度があるので、教義や歴史は一握りの聖職者たちによってのみ口承されてきた。
元々、統一された教義があったかどうかも不明だし、そのようなものがあったとしても、孤立した各小集団の中で、それぞれ独自の変化を遂げているだろう。遂げていないほうがおかしいが、そのことを考慮しているテキストは少ないようだ。
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さらに、ヤズィーディーに関するテキストを読む際には、その著者の持つバイアスにとりわけ注意が必要であるように思う。
『失われた宗教を生きる人々』の著者は元外交官でアラビア語とペルシア語に堪能だそうで、取り上げている7つの少数派宗教の信徒らに直接聞き取りを行っているという点で、非常に貴重な資料である。
しかし例えばヤズィーディーについてだと、決して多くはない紙幅のうち、彼らの歴史や教義について直接触れている部分は、実はあまり多くない。それより遥かに多く紙幅を割いているのは、ヤズィーディーの教義に似ている、と著者が考える別の宗派についての解説だ。
挙げられているのはローマ帝国でキリスト教と覇権を争ったミトラ教、古代メソポタミアの流れを汲むとされ、12世紀頃まで存続したハッラーンの星辰信仰、イスラムの少数派アラウィー派である。
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ヤズィーディーに関する欧米の(私が一応読めるのは英語だけなんだが、英文テキストでドイツ人とかの研究が紹介されてたりもするのだ)テキストでは、彼らの信仰の起源や影響源として、メソポタミアの古代宗教とミトラ教(およびその基となったゾロアスター教)、イスラムなどが挙げられている。ほかには輪廻転生はインドからの影響だとか。
ところで、いわゆる「西洋」の研究者が、「東洋」(=非西洋)の事物について、ことさらに起源や影響源を外部に求めるのは、つまるところその事物を「不純である」「独自性がない」と見下しているということだ。最近ではさすがに少なくなったものの、「日本の文化は独自性がない」「伝統文化は中国の亜流」「近代化以降は欧米の猿真似」だと腐すのも、同じ発想からだ。
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『失われた宗教を生きる人々』の著者は、上記の「似ている」宗派とヤズィーディーとには直接関係があるかどうかはわからない、と一応断りを入れてはいるものの、一方では無理やり過ぎるこじつけもしている。ヤズィーディーが崇拝する天使の一人、「シャイフ・ハッサン」は「シャイフ・シン」と言っているように聞こえる、きっと古代メソポタミアの月神シンと関係があるんだ! とか。
またそれに続けて、別の天使「シャイフ・シャムス」は同じく古代メソポタミアの太陽神シャマシュに名前が似ている、とも述べている。いや、何言ってんだ、この人。「シャムス」ってアラビア語で「太陽」のことだよ。「シャマシュ」もアッカド語の「太陽」で、発音が似てるのはアラビア語もアッカド語も同じセム語だからだよ。しかも「シャイフ・シャムス」が太陽と関係があるかどうかすら言及してないしな。
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こういう具合に、ヤズィーディーの信仰を固有・独自ものではなく、古代宗教の変形(≒劣化版)であるとし、太陽に牡牛を捧げるヤズィーディーの儀式は「ギルガメシュ叙事詩に描かれているものそのまま」などと述べる。
「東洋」の事物を「古来、連綿と受け継がれてきただけで、変化も発展もない」とするのもまた、典型的なオリエンタリズムである。
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上記の「文化の純血主義」からすると、文化や宗教の混淆は忌むべき現象ということになる。しかし私自身はというと、神仏習合の国に生まれ育ち、大学では中国文化と西域文化の混淆について研究し、「混血の文化」を誇る中南米を舞台に小説を書いているくらいだから当然、文化混淆は「良いこと」だと思っている(まあ中南米の「混血の文化」は「純血の文化」へのカウンターだということは理解しているが)。
特にシンクレティズム(宗教混淆)は、本来はまったく別々の神様たちが、「属性が同じ」くらいならまだしも、「名前が似ている」等のまったくのこじつけで融合されてしまうから、すごくおもしろい(興味深いという意味でも、笑えるという意味でも)。
もちろん、こういう「こじつけ習合」と、上記の「シャイフ・ハッサン」→「月神シン」のような「こじつけ解釈」とはまったくの別物である。大学で受けた神話学の講義で、先生が同業者について「日本神話とギリシア神話など、まったく異なるもの同士を、表面的に似た要素があるからといって安易に結びつけている」と苦言を呈しておられたなあ。
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というわけで、以上を踏まえてヤズィーディーの信仰についていろいろ推測してみる。
(以下、「アーリア民族」というのは、現代の言語・民族学における分類であって、19世紀以降のヨーロッパの人種分類学=疑似科学とは関係がなく、「イラン民族」というのはアーリア民族のうちイラン高原方面へ移動した集団とその子孫を指し、イラン・イスラム共和国の国民に限定されない)
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ヤズィーディーへの「影響源」としてどの研究者も挙げるのがゾロアスター教であるが、これはヤズィーディーたちが火を礼拝することを根拠としている。ヤズィーディーの大多数の第一言語であるクルド語がペルシア語と同じ西イラン語群に属していること(ゾロアスター教はイラン民族固有の宗教)や、階級制があることも傍証として挙げられる。
ここで注意しておけねばならないのは、ゾロアスター教にもさまざまなヴァリエーションがあるということだ。
「ゾロアスター」というのは英語の発音に従った表記で、古代ペルシア語(アヴェスター語)だと「ザラスシュトラ」となる。そのザラスシュトラは、紀元前のいつかに中央アジアにいたイラン系遊牧民から出た宗教改革者である。
アーリア民族のうち中央アジアから西方へ移住した古代イラン民族の信仰は、善なる神々と火を礼拝し、牛を犠牲とする儀式を特徴とするものだった。また善なる神々と対立する悪魔の軍勢がいると信じられていた。
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古代イラン民族の中でも比較的遅くまで中央アジアに留まっていた部族の出身であるザラスシュトラは、古来の宗教を改革し、善なる神々の中でも崇拝に値するのはアフラマズダだけであるとし、また犠牲獣の儀式も否定した。
このザラスシュトラの教え(以下、「ゾロアスター教」)を受け入れた中央アジアのイラン系集団が西方へ移住し、先に移住していたイラン系部族の宗教や他民族の宗教と習合することによって、さまざまなヴァリエーションが生まれた。多神教や犠牲獣の儀式の復活、曝葬(遺骸を野晒しにして鳥や犬に食わせて骨だけにしてから埋葬する)や近親婚、および偶像崇拝の採用などが挙げられる。
ペルシアにおけるゾロアスター教は、イラン系国家のアケメネス朝とアルシャク朝(パルティア)、およびその間に挟まれたギリシア系国家セレウコス朝を経て、AD3世紀に成立したサーサーン朝で国教に採用された。
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この「国教化」により、「正統」教義が確立されることになった。礼拝対象は聖なる火だけとされ、偶像は禁止された。「正統」から外れた「異端」は、キリスト教やマニ教などの異教とともに弾圧された。しかし何世紀もの間、神官たちが口伝してきた『アヴェスター』を書き留めた「正典」の完成によって、国教化事業がようやく完了したのは6世紀になってからである。
しかもこの「正統」教義が実践されたのはサーサーン朝ペルシア帝国の中心部のみであり、地方や属領では依然として独自のゾロアスター教が信仰されていた。前述のとおり、開祖ザラスシュトラは古代イラン民族の多神教を否定し、アフラマズダへの崇拝のみを認める一神教的改革を行ったわけだが、後世のゾロアスター教は古い多神教と妥協して「最高神アフラマズダと多数の従属神」というパンテオンを形成することとなった。しかし地方や時代によっては、アフラマズダより他の神々への崇拝が盛んだった。
「正統」教義の完成から1世紀ほどで、サーサーン朝は新興のアラブ・イスラム軍によって滅ぼされてしまう。
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上述したとおりゾロアスター教はイラン民族固有の宗教であり、他民族への布教は行われなかった。他民族が自ら進んでゾロアスター教に改宗したという例もなかったようであるし、他民族の宗教へのゾロアスター教からの影響も、ユダヤ・キリスト教の悪魔像の変化(神の僕から神の敵対者へ)といった間接的なものに留まる。
例外はローマ帝国領内でキリスト教と覇を競ったミトラ教で、これはゾロアスター教というか、古代以来のアーリア民族の太陽神ミスラ信仰が、他の諸宗教と習合し、発展した一神教である。
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ヤズィーディーの信仰への「影響源」として、このミトラ教もしばしば挙げられている。根拠としては、例えば『失われた宗教を生きる人々』で挙げられているのは、太陽崇拝、泉や川の傍に礼拝堂を建てること、階級制、信徒にしか教義を明かさない、いわゆる秘教であり階級が上の者ほど重要な「秘密」を知ることができること、牛を犠牲することなどである。
まあ一言で言って、こじつけくさい。どれも他の多くの宗教にも共通して見られる要素である。著者ラッセル自身も、「似ている要素があるからと言って、まったく同じものだと考えるのは誤りだろう」と述べているくらいだ。
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上述したように、そもそもアーリア民族の太陽崇拝はミトラ教やゾロアスター教より遥かに古く、インド・アーリア民族とイラン・アーリア民族に分かれる前にまで遡る。牛の犠牲もその頃から行われていた(イラン高原では畜牛が困難なため、羊の犠牲が主流になったが)。階級制も、インドとイランに共通する古代アーリア文化の特徴の一つだ。
泉や川の神聖視は、例えばイスラムにも見られる。秘教的側面については後述するが、とりあえずミトラ教の専売特許ではない。
太陽崇拝と牛の犠牲は、メソポタミアの古代宗教にもこじつけられている(『失われた宗教を生きる人々』でも)。ヤズィーディーの信仰のうち「メソポタミア起源」とされているものに、「天体(太陽・月・星)崇拝」が挙げられるが、どのテキストでも、ヤズィーディーの「天体崇拝」として挙げられているのは太陽崇拝だけで、メソポタミアの古代宗教に見られる月や星への崇拝はない。
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私見としては、ヤズィーディーの信仰の原形は、「ゾロアスター教から影響を受けた何か」ではなく、ゾロアスター教のヴァリエーションの一つだろうと思う。
ヤズィーディー(「ヤズィーディーの徒」を意味する)という名は、ヤズィーディー自身にすら実在を疑われている開祖スルタン・エズィード(ヤズィード)ではなく、古代イラン語で「神」を意味する「ヤザダ」に由来するという説が有力であり、ゾロアスター教よりも古い、古代イラン民族の宗教まで遡れる可能性もある。
しかし古代イラン民族はことごとくゾロアスター教をなんらかの形で受け入れており(アルメニア、中央アジアのソグディアナ、アフガニスタン、北インドまで)、ヤズィーディーの母体であるクルド人もかつてはゾロアスター教徒だった。これは「クルド的ゾロアスター教」だったはずである。
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また宇野昌樹氏の「ヤズィーディー――孔雀像を崇める人々」では、「ある(ヤズィーディー)信徒」から聞いた話として、ヤズィーディーの信仰の「創始者はザラーダシュト(zaradashut)という人でマラク・ターウースとして崇められている」と述べられている。
宇野氏は「ザラーダシュト」になんの注釈も加えていないが、ゾロアスター/ザラスシュトラのことと考えて間違いないであろう。ザラスシュトラは例えば現代ペルシア語では「ザルトシュト」というように、時代/言語によってさまざまな発音のヴァリエーションがある。普通に人名として使われた例もあるのでややこしいが、とりあえず「ザラーダシュト」がゾロアスター教の開祖であることを否定する材料もない。
ちなみに「yazidi zaradashut」でググっても1件もヒットしないんだが、まあzaradashutという表記は、日本人である宇野氏が「ザラーダシュト」と耳で聞いた音にラテン文字を当てはめたものと思われる。
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なお、幾つかのテキストにはヤズィーディーたちは彼らの唯一神を「xedê」(「ハデ」かそれに近い発音らしい)と呼ぶ、とある。これは明らかにペルシア語で唯一神を指す「ホダー」の転訛だが、この「ホダー=神」の用法はイスラム期に入ってからのもので、サーサーン朝期には「フワダーイ」という発音で、単に「王/主人」を意味し、「神」という意味でもその別称でもなかったという。
要するに、ヤズィーディーの起源は一筋縄じゃ行かないってことですね。
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