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本当は怖い『ジェイン・エア』

 ネタバレ注意。

 前回の記事で紹介した『ホールデンの肖像』によると、サミュエル・リチャードソンの『パミラ』(1740)で創出されて以来、現在のハーレクイン・ロマンスまで連綿と受け継がれてきた「ロマンスの3条件」というものがあって、それはだいたい次のようなものである。

 ① ストーリーはすべてヒロイン視点で語られる。
 ② ヒーロー(ヒロインの相手役)はハンサムで傲慢な大金持ちとして登場するが、ヒロインの「愛の力」によって、最後には改心させられる。
 ③ ヒーローとの結婚によって、ヒロインの身分が上昇する(玉の輿)。
 そして『パミラ』に続く古典的ロマンスとして挙げられるのが、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』(1813)とシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』(1847)である。

『高慢と偏見』は、数年前に『高慢と偏見とゾンビ』の予習として読んでおり、言われてみれば確かに「3条件」を満たしているなあと納得したのだが、『ジェイン・エア』ってそんな話だっけ?
 読んだのは35年ほど前で、子供向けにリライトされたものだが、序盤のジェインの境遇が、子供向けフィクションではあまりお目にかかれないひどさだったのと、精神を病んだ妻の存在を隠して二重結婚を目論んだロチェスターの屑っぷりとで、強く印象に残っていた。
 火事で都合よく妻が死んでくれたものの、ロチェスターは屋敷も財産も失ったばかりか、一生介護が必要な身体障碍者となってしまう。
 そんな彼を支えて生きていくことがジェインの幸福となるので、ハッピーエンドではあるのだが、紋切り型ロマンスの紋切り型ハッピーエンドとは言い難い。
 まあ読んだのはだいぶ昔だし、ジュヴナイル版だしな、と、この機会に光文社の新訳を読んでみた。数ヵ月以上前なので「思い出し鑑賞記」。

 だいたい記憶にあるとおりだったが、再読してもまったく記憶が蘇らない箇所もかなりあった。昔読んだのは子供向けとはいえ対象年齢やや高めで分量も多かったが、それでも多少は省略されてたんだろうな。
 しかし、ロチェスターの妻の存在が暴露されてからジェインが彼の許に戻るまでの経緯がまるごと記憶になかったのは、省略されていたとも思えないので、当時の私にはよく解らなくておもしろくなかったから忘れてしまったのだろう。

 絶望の余り荒野をさ迷い、行き倒れかけたジェインを助けてくれたのが、これまで存在も知らなかった実の従兄だった、という古典的な御都合主義は、古典的すぎるがゆえに理解不能だったと思われる。えっ、そんな偶然ってあり得る? どういうこと??? と混乱したのではあるまいか。
 また、この従兄セント・ジョンは清教徒的という意味で狂信的で独善的な人物で、宣教師としてインドへ赴任するために妻を必要としており、ジェインに白羽の矢を立てる。貧困に慣れているジェインなら宣教師の妻に相応しいと考えたからだが、互いに恋愛感情がないことを理由に彼女が断ると、「神聖な使命のために愛のない結婚をすることは殉教である」という謎理論を持ち出して結婚を迫る。
 なかなか興味深い人物造型と展開だが、10歳かそこらの子供には、ただただ理解不能でおもしろくなかっただろうな。

 そんなわけでセント・ジョンに関わる情報はきれいさっぱり記憶から抜け落ちていたので、彼の父親すなわちジェインの叔父の遺産のことも忘れていたのであった。この遺産のお蔭で、ジェインはロチェスターを養っていくことができるようになったのである。

 憶えていた以上に御都合主義だった……というのが三十数年ぶりの再読の感想だったが、先日、偶々読んだ川本静子氏の『ガヴァネス ヴィクトリア朝時代の〈余った〉女たち』(中公新書)で考えが変わる。
「ガヴァネス(女家庭教師)小説」の古典として『ジェイン・エア』を論じているのだが、それによると、ジェインは①不美人である、②何よりも自立を望んでいる、という2点において、まったく新しいヒロインであった。

 ロチェスターに妻がいることが露見する以前、ジェインに彼との結婚を躊躇わせたのは、社会的および経済的な格差だった。愛する男性とは経済的にも精神的にも対等でありたい、というジェインの願いは、結局のところ時代の制約によって御都合主義(川本氏は「強引なプロットの展開」と表現する)でしか叶えることができなかった――と川本氏は結論する。

 ……あれ? ジェインが願ったのは「対等」だけど、結果はロチェスターが経済的にも精神的にもジェインに依存することになってるよね? これって「猿の手」的展開じゃね?

 ジェインが手に入れた遺産は絶縁状態だった叔父のものだが、これがすごく親しい間柄で、若くして非業の死を遂げてたりしたら、まるっきり「猿の手」だ。
 いや、「猿の手」なら、ジェインは「こうなることを望んだわけじゃ……」と絶望に沈むはずだが、それどころかロチェスターが彼女に依存せざるを得ないことになって、心から満足しているのである。「猿の手」より怖いじゃねえか。

『パミラ』は刊行後直ちに大ベストセラーになったが、「こんなに巧く行くわけがない」とか「道徳が押しつけがましい」と反発する読者も多かったそうだ。人気作家ヘンリー・フィールディングもその一人で、『シャミラ』と題するパロディを翌年発表する。パミラは実は計算尽くで玉の輿に乗ったのだ、という内容だそうだ(邦訳があるので、そのうち読みます)。
『ジェイン・エア』も、遺産が転がり込んできたのもロチェスターが金も健康も失ったのも彼の妻が死んでくれたのも、全部ジェインが仕組んだことだった、ということにしたら、立派なクライム・ノベルの出来上がりだな。
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