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『ミザリー』に見るハーレクイン・ロマンス観

 今、「シークもの」読んでます。
 ……つらいです。つくづく恋愛小説は性に合いません。読者レビューなどを参考に、このジャンルの「典型」だと判断した3冊を読むことにしたんですが、1冊読んでは気力をごっそり削られ、他ジャンル(主にSF)を何冊も読んで回復してから次の1冊に挑んでいます。
 というわけで、「シークもの」評はもう少し先になります。

 さて今回は、アメリカでは一般的にハーレクイン・ロマンスすなわち女性向け紋切り型量産ロマンスがどのように評価されているのか、翻訳小説を例に見ていきたいと思います。一応ネタバレ注意。

 まずはスティーヴン・キングの『ミザリー』(1987)。主人公のポール・シェルダンは、女性向け通俗ロマンス「ミザリー・シリーズ」の作者である。このシリーズはハーレクイン・ロマンス・レーベルから出ているとされてはいないものの、「女性向け紋切り型量産ロマンス」なのは明白で、ポールの口を借りてその「くだらなさ」を散々に腐される。彼が志向するのは、「文学的」な作品である。
 尾崎俊介氏によると、ロマンス作家はごく少数の例外を除いてほぼ全員が女性だそうなので、ポールはその数少ない例外の一人ということになる。

 ところでこれを読んだのは20年余り前、確かハードカバーではなく文庫だったが、口絵付きであった。白黒写真で、胸を肌蹴た逞しい男性と長い髪をなびかせた美女が抱き合っているという構図だが、男性は顔だけキング本人というコラージュである。
 巻末解説によると、これはポール・シェルダンのミザリー・シリーズ「最新作」『ミザリーの生還』の表紙、というキングのお遊びで、ハーレクイン・ロマンスの表紙のパロディなのだという。

 ……と鮮明に記憶しているのに、ググってもこの「『ミザリーの生還』の表紙」であるところの口絵は画像が見つからないどころか、存在の確認すらできない。んんん~?
 判明したのは、文藝春秋社刊のハードカバー版には、カバー下の本体表紙が『ミザリーの生還』の表紙となっているが、写真ではなくイラストで、カバーイラストを手掛けた藤田新策氏によるもののようだ。文庫版にはこのような仕掛けはないとのこと。

 英語サイトでオリジナル(原書)版と思しき画像も見つけたが、これも写真ではなくイラストだ。

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 まあ明らかに顔だけキングだし、構図も記憶にあるものと同じである。写真だと記憶違いしていたにしても、いったいどこで見たんだろうという疑問は残るが。

 とにかく、ここまでなら「お遊び」で済むんだが、問題は狂気のおばちゃんヒロイン、アニーがミザリー・シリーズの熱狂的ファンだということだ。
 つまり「ハーレクイン・ロマンスの愛読者」であることは、彼女の狂気を構成する小さからぬパーツなのである。
 以前の記事で述べたように、アニーは「男性を精神的に導く女性」像のホラー版である。彼女はポールを、「芸術の高み」へと導く。さらに、身体の自由を奪われた(当初は事故によって、後にはアニー自身によって)ポールを、献身的に世話し、かつ支配する。ロチェスターに対するジェイン・エアのように。

「男性を精神的に導いてくれる女性」への希求と、その裏面である「男性を躾けて軟弱にする女性」への恐怖・嫌悪は、換言すれば「完全なman(男/人間)になる手助けをwo-manにしてもらいたい」願望と「wo-manによってun-man(軟弱化、男らしさの喪失、去勢)される」恐怖であろう。
(ポールやロチェスターが負わされる身体欠損は、去勢の暗喩だと読める)

 このように『ミザリー』では、ハーレクイン・ロマンスは「女の欲望」を象徴する小道具である。ただし先日の記事で述べた、ハーレクイン・ロマンスのヒロインと読者の「関係性」の問題、つまりアニーがミザリーに「自己投影」(自分とキャラクターを同一化するという意味での)していたかどうかは、あいにく忘れてしまった。
 いや、図書館から借りるなりして確認すれば済む話なんですが、あれを再読するのはちょっと……あの閉塞感にもう一度耐えるのは無理です。「暗くて狭い」というシチュエーションは、物理的なのだけじゃなく精神的なのでも駄目なんだよ。以前、手放したのも、二度と読み返せないのが自分でわかってたからだよ……

 というわけで、次回は同じくキングの『ローズマダー』(1995)について。

関連記事:「本当は怖い『ジェイン・エア』

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