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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十七

ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
上段17行
数量化された魔術
 古来、ユーナーン(ギリシア)では実学が軽んじられ、学者は机上の空論を弄ぶばかりで、実験、実証、実用を怠ってきた。ヘレニズム時代、ユーナーン本国を遠く離れたアレクサンドリアでは、ユーナーン人たちによって実験・実証を伴う数学、機械工学、そして錬成術(錬金術)が花開いた。
 しかしそれらの学術も、ルーム(ローマ)帝国の衰退に伴い、空論に堕した。化学(ケミカル)の原型と呼ぶに相応しかった錬金術(ケメイア)も例外ではなかった。魔術的・哲学的錬金術が再び科学的錬成術に回帰するのは、イスラムに継承されてからである。
 とはいえイスラムの錬金術(アルキーミヤー)も、多かれ少なかれ魔術的・哲学的であることは免れ得なかった。その程度は錬金術師個人の資質に負うところが大きく、本作の登場人物であるジャービル(AD720頃‐805頃)は、(本人の作である可能性の高い文献を見る限りでは)科学的であると同時に哲学的・魔術的でもあった。ジャービルに次ぐ著名な錬金術師であり、西洋ではラーゼスの名で知られるラーズィー(AD865-925)は、錬金術から魔術的・哲学的要素を排したが、その後のイスラム科学全体の衰退により、アルキーミヤーはついにケミカルになることはできなかった。なお、現代タージク(アラビア」語で「化学」は「アルキーミヤー」である。
 十字軍とモンゴル襲来を経たAD14世紀、イスラムの知の精髄あるいは最後にして最大の輝きとも言えるイブン・ハルドゥーンは錬金術について、次のように述べている。
「錬金術が魔術に付随したものであるのは、ある特定の物体をある形相から他の形相へ帰るに際し、実際的な技術によるものではなく、心霊力を用いるからである。したがって、錬金術は一種の魔術であると言えるのである」(『歴史序説』第6章 岩波書店)
 科学と魔術を分けるものは、数量化である。本作の原点となるのは「イスラム世界でスチームパンク」というアイデアであり、さらに遡れば『屍者たちの帝国』(河出書房新社)所収の拙作「神の御名は黙して唱えよ」である。あれは『屍者の帝国』の「屍者」とその技術をイスラムに結び付けることには成功していると自負しているが、スチームパンク的要素が薄かったのが惜しまれる。いや、50枚の短篇だからあまり詰め込み過ぎてもあれだし、あれはあれでいいんですが、もう少し枚数があればスチームパンク的要素ももっと前面に出せたのに、とちょっと引っ掛かっていたのですよ。
 その「ほんのちょっとの引っ掛かり」が、去年の秋頃、「イスラムでスチームパンク」のアイデアとなったものの、それ以上の具体化にはなかなか至らなかった。
「スチームパンク」といっても、いわゆる「ネオ・スチームパンク」で、ヴィクトリア朝でないのはもちろん、蒸気機関にも限定されない。まあ蒸気機関自体はアレクサンドリアのヘロン(AD3世紀?)が発明していて、イスラムはヘレニズム科学を継承しているから問題ないんだが。
 ヘレニズム科学を発展させたイスラム科学は、「(ネオ)スチームパンク」の第一条件である「現実とは異なる方向に発展した科学」を充分満たすことができる。特に錬金術と、『千夜一夜』の多くの物語で重要なガジェットとなっている自動機械の数々は、強い独自性がある。
 史実よりも科学を発展させる駆動力として、「より科学的な錬金術」は最初から念頭にあった。「錬金」だけが目的ではない、化学の原型としての「錬成術」。しかし、それだけでは史実よりも科学を発展させる駆動力たり得ない。「イスラム/中東的スチームパンク」の最重要ガジェットである自動機械を動かす動力が必要だ。
 すでに解説したように、中世の中東では錬金術師によって石油が精製され、限定されたかたちとはいえ実用化されていた。それに何しろ中東だし、ということで「石油(ナフサ)パンク」というのも考えたが、「燃料が石油」というだけでは、あまりにもおもしろみがない。普通すぎる。
 ……というところで行き詰まってしまったので、そのまま放置していた。行き詰まったアイデアは放置しておくと、ある日突然、あっさりと打開案が降って湧くものである。
 本作の場合は、『ナイトランド・クォータリー』のお話をいただいた時だった。『NLQ』は「ホラー&ダーク・ファンタジー専門誌」である。つまり、厳密な定義におけるSFでなくてもい
いのだ。
 何をもってSFの「厳密な定義」とするかは人それぞれであろうが、少なくともこの時の私は、「魔法」を出してもいいんだ、と解釈した。
 かくなる次第で、「史実よりも進んだ科学」の動力源として、「魔法」を採用することにした。「より科学的な錬金術」である「錬成術」は、この「魔法」をも数量化して扱うのである。数量化せずに「感性」だけで扱うのが「魔術」である。「魔法」が存在するスチームパンクだから、サブジャンルとしては「マジック・パンク」ということになるようだ。
 では本作における魔法は、単に「史実よりも科学を発展させる動力」として都合がよかったからというだけで採用されたのか、というと、もちろんそんなことはない。それについては、また後ほど。
 1項目だけですが、長くなったので今回はここまで。また明日お目に掛かりましょう。
 
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