「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二
『ナイトランド・クォータリー』vol.18掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。
p.58(頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。以下同)
上段11行~
ファールス
ペルシアのこと。原語は「パールス」で、「ペルシア」はそのラテン語形。タージク(アラビア)語にはPがFに変わるので「ファールス」となり、タージクに征服されたパールス人たちも「ファールス」を自称するようになった。
ファールスはアーリア系でタージクはセム系、などと言うつもりはないが、中世以前、ファールス人のほうがタージク人より色素が薄い傾向があり、顔立ちもそれなりに違っていたのは確かだろう。ジャービルの出自については、作中でその話題が出た時に改めて。
忌むべき混血
聖典が全信徒の平等を説いているにもかかわらず、中世のタージク人は異民族と混血を差別した。本作より100年余り後ですら、純血を誇るとあるタージク人の男が、混血が増えていることを嘆き、「どうか私を天国へ入れてください。混血は天国に入れないから(つまり地獄に落ちるから)会わなくて済みます」と神に祈った、という話が伝えられている。
イスマイールの血統については、作中でその話題が出た時に改めて。
犬のように無視される
「エフェソスの眠り人」の伝説は、ローマ皇帝に迫害されたキリスト教徒が神によって守られた話だが、この神はイスラムの神でもあるので、聖典にも採用されている。迫害された若者たちと共に1匹の犬が神によって眠りに就かされたのは、イスラムの独自要素のようだ。
つまり犬も神に守られたわけである。イスラムでは犬は不浄とされる、というのは結構知られていると思うが、この例で判るように聖典には犬に否定的な文言は見当たらない。
聖典に次ぐ権威とされるのが、最後にして最大の預言者ムハンマドの言行に関する伝承だが、その中には確かに犬を不浄だとするものはある。しかし別の伝承では、渇きで苦しんでいる犬に水を与えた男をムハンマドが祝福した、と伝えられる。
これらの伝承の真偽はさておき、犬が不浄という価値観が定着してしまった原因については、マギ(ゾロアスター)教迫害の一環、という見解が妥当であろう。マギ教は犬を聖獣として大切にする。そのため信徒(ムスリム)たちは嫌がらせとして犬を虐めたというのだ(森茂男「古代イランとイスラム」 春風社『イランとイスラム』所収)。
敢えて付け加えるなら、犬を貶めたのは悪質だが子供じみた単なる嫌がらせというだけではなく、マギ教徒との「差異化」も目的だったのではないかと思われる。
『イスラームの誕生』(フレッド・M・ドナー 慶応義塾大学出版会)によれば、名代(ハリーファ)アブドゥルマリク(在位AD685-703)は、治世前半に大きな内乱を鎮圧した後、その支配を強める政策の一環として、イスラムの独自性を強調し、キリスト教やユダヤ教との差異化を図ったという。これが、キリスト教徒やユダヤ教徒よりマギ教徒が断然多いペルシアや中央アジアでは当然、マギ教徒との差異化、というかたちになったのではないだろうか。
本作の舞台であるハッラーン(その独自の宗教については後述)はサーサーン朝と東ローマの境界(現在のトルコ南部)に位置し、獲ったり獲られたりを繰り返していたが、640年に平和裡に征服された時にはサーサーン朝領だった。だからマギ教徒住民はそれなりに多かっただろう(なおマギ教は民族宗教であり、異民族の改宗はない。例外はミトラス教)。
アブドゥルマリクの時代から約半世紀、「犬嫌い」は順調に進行中だったと思われる。というわけで、「犬」は侮蔑語である。
第六代大導師の下で共に学んでいた少年時代
イスマイールの父である第6代大導師(イマーム)は、錬成術(錬金術)師ジャービルの師だったと伝えられる。これについては、まったくの捏造だと断ずる研究者もいる。
とはい第6代イマームが当代屈指の学者だったのは事実であり、また「固有の学問」(「イスラム固有の学問」の意で、神学、法学、アラビア語文法学など)と「外来の学問」(異民族の学問)とを分け隔てしなかった、という伝承についても疑う理由はない。
第6代イマームについて詳しい解説は、後ほど改めて。
文化によって移ろう価値観
本作ではジャービルの母親がファールス人だったと想定しているが(後述)、豊満を「美」とするタージク(アラブ)に対し、ファールス(ペルシア)は伝統的にスレンダー好みであった。サーサーン朝の文学で詠われる美女は「脚は細く細腰で」あり(岡田恵美子「叙事詩『王書』における女人像」)、美術工芸品に描かれた女性も皆、ほっそりしている。
イスラム化以後の文学でも、黒い髪と瞳、白い肌、赤い唇といったパーツは『千夜一夜』などのタージク文学の美女と同じ紋切り型だが、「糸杉(のようにすらりとしている)」という形容はファールス独自のものである。また、腹やら尻やら太腿の肉付きが描写されることもない。細密画に描かれるのも、柳腰の美女や美少年である。
東インド会社のファールス駐在員だったジェイムズ・モーリアが1824年に刊行した『ハジババの冒険』(平凡社)にも、タージクやトルコと違ってファールスでは太った女は好まれない、とあったし。
ところがそれから半世紀余り経った19世紀末から20世紀初めには、豊満な女性が好まれている。何が起こったのかは解りませんが、とりあえず当時最高の美女とされた姫君についてのまとめ記事にリンクを貼っておきます。https://matome.naver.jp/odai/2155121136948978701
このタージ・アッサルタネ姫が何も「特別」だったわけではなく、彼女の自伝である『ペルシア王宮物語』(平凡社)には王宮のほかの女性の写真も掲載されているのだが、みんなふくよかさんである。
まあ私がショックだったのは、太ってることでも眉毛が繋がってることでもなく、このチュチュみたいなミニスカートですけどね。どういう経緯でこんな凄まじいファッションが19世紀末のイランに……。美意識は文化によって移ろうものだと、つくづく実感しましたよ。
均整
ジャービルの錬成術(錬金術)理論で最も重視されるのは、「ミーザーン」である。これはタージク(アラビア)語で「秤」、転じて「平衡、調和」といった意味になる。人体の形容とするために、「均整」の語を当てた。
水銀(女性原理)と硫黄(男性原理)を調和させ、黄金(完全な状態)とするのが彼の理論であり、物質だけでなく精神にも適用される。後にイスマイール派(後述)の教義に採り入れられた。
どうも長くなりそうなんで、まとめて更新するよりも、少しずつでも毎日更新したほうが早く、そして確実に完遂できるかと思いまして。
というわけで明日も更新予定です。
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