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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段6行
ところがその頃から……
 シンド(インド)から零と位取りの概念、計算術(筆算)を含む数学がアレクサンドリアに伝わった(かもしれない)AD5世紀は、メシアス(キリスト)教化したルーム(ローマ)による異教迫害が激化した時代でもあった。その頂点は415年、女性哲学者ヒュパティアの惨殺である。

父祖たちは東方へ逃れ……
 前項のAD415年のヒュパティアの惨殺、そして529年のアカデメイア(学園)閉鎖は、古来のユーナーン(ギリシア)文化の終焉を象徴する事件である。が、後者に関しては、解説その五の「彼らがルームの皇帝に逐われてから……」の項で解説したように、ファールス(ペルシア)に亡命した異教徒の哲学者たちはわずか7名で、大した事績も残さずに532年には帰国している。ファールスとルーム(ローマ)との協定により身の安全を保障され、改宗を強いられることもなく平穏に余生を過ごしたようだ。
 前者のヒュパティア殺害は確かに劇的な大事件だが、それでアレクサンドリアの異教やヘレニズム文化が根絶やしにされたというわけでもなく、フェードアウトしていって、いつ途絶えたとも定かでない、というのが正しい。
 解説その五の同項で述べたように、古代・ヘレニズムのユーナーン文化の東方移植の功績は、7名の亡命哲学者たちではなく、ルームで異端とされたメシアス(キリスト)教徒たちのものである。もちろん東方に亡命したユーナーン古来の多神教徒たちは、この7名以外にもいただろうが、ユーナーン文化の東方移植に果たした彼らの役割は見えてこない。
 そしてR・J・フォーブスの『古代の技術史』(浅倉書店)によれば、本作の舞台であるハッラーンを含むシャーム(現シリアを中心とする地域)はヘレニズム時代、キーム(エジプト)と並ぶもう一つのユーナーン錬成術(錬金術)の中心地だった。現存する最古の錬成術文書は、BC1世紀以前のハッラーンで書かれた『アガトダイモーン文書』だとする説もある。
 ハッラーンでは、バビル(バビロニア)とユーナーンの古来の信仰が融合した。この習合がいつ起こったのかは不明だが、ヘレニズム期初期(BC4世紀以降)にまで遡るかもしれない。ルーム(東ローマ)の支配下にあった時代、ここは「ヘレノポリス」すなわち「ユーナーン人の都市」と呼ばれていた。イスカンダル(アレクサンドロス)大王以来、ユーナーンの宗教と文化、そして血統が途絶えることなく保たれてきたのだろう。
 本作のハッラーンにおけるユーナーンの錬成術も、ヒュパティアの死後、あるいはアカデメイア学園閉鎖後に初めて持ち込まれたのではなく、それよりも数百年遡ると思われる。そして錬成術師/神官たちも、200年あるいは300年前の亡命者たちだけではなく、イスカンダル大王以来の入植者たちの血も引いているのだろう。
 しかし彼らは自らを「ルームおよびメシアス教の犠牲者」と位置づけ、受難の歴史をことさらに強調しているのである。

続きます。

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