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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その七

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。

目次 

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.59
下段14行
気づいていないんですか?
 顔が似てるか似ていないかの判断は主観に拠るところ大きい、というのもあるが、それ以上に、鏡の映りが悪いので自分の顔をよく知らないのである。
 本作の世界は、現実の歴史よりも幾らか科学が発達しているし、大導師(イマーム)の嫡子であるイスマイールは最高品質の鏡を使えたはずである。とはいえ、金属鏡はおそらくルーム(ローマ)以来の、銅(または青銅)板に錫を鍍金したもので、像の鮮明さには限界がある。アルミニウムの精錬法もステンレス鋼もまだ発明されていない(史実では共に19世紀)。
 史実では、ガラスに鉛を鍍金したルームの鏡も中東で継承されていたが、無色透明で気泡も歪みもない板ガラスを作る技術がなかった。
 本作の世界で現実よりも科学が発達している理由は、一流の錬成術(錬金術)師とは科学的思考のできる人々であることと、「霊的存在」が「実在」し、それを操作することが可能であるという二点である。
 しかし後述するように「霊」は非常に扱いづらいため、生産力や平均寿命の引き上げにさほど貢献することはない。現実において、気象条件などで一時的に向上した生産力を、持続させさらに向上させるには教育の普及が必須だが、そのためには平和の持続と賢明な為政者が必須である。少数(あるいはたった1人の)科学の天才がいるだけでは、どうにかなるものではない。
 というわけで、本作の世界ではAD8世紀半ばの中東で、円筒形の吹きガラスを切り開いて延ばす方法(史実では15世紀初頃のヨーロッパ)や不純物を減らす方法(同じく15世紀半ばのイタリア)を考案できる人物がいた可能性はある。また気泡や原料の融け残りを減らせるだけの高温を実現する熱源には、「霊」が利用できるだろう。しかしそれだけでは、「歪みのない鮮明な像を映すガラス鏡」は作れないのである。
 参考:マーク・ペンダーグラスト『鏡の歴史』河出書房新社

フサイン家
 中世のタージク(アラブ)は姓を持たなかったが、著名な人物の子孫はその名を取ってバヌー某と呼ばれた。直訳すれば「某の息子たち」だが、「某家」「某一族」と訳すのが普通。
 フサインは「最後にして最大の預言者」ムハンマドの孫であり、イスマイールの曽々祖父である。詳しくはまた後ほど。
 ところで「アラブ」はそれだけで「〜人(たち)」という意味も含む。「アラブ人」だと「日本人人」というのと同じになる。「アラビア」は「アラブの」の意。「1人のアラブ」だと「アラビー」になるので、「アラブ人」という表現もおかしくはないけど、「アラビア人」は明らかに変だ(「日本人の人」)。
「タージク」も「〜人(たち)」の意味を含むんだが(タジク/ペルシア語でもアラビア語でもロシア語でも)、ややこしくなるし、あくまでフィクション中の語なので「タージク人」という表現もする。

混血を厭いません
 前項のフサインが異民族の女性を娶った(その息子がイスマイールの曽祖父)という記録は、本作より半世紀以上後のAD8世紀末〜9世紀初めまでしか遡れない。それ以前の史料が存在しない理由の一つは、当時のタージク(アラブ)に著述の習慣がなかったことにある(後述)。
 
初期の史料では、その女性はファールス(ペルシア)もしくはシンド(インド)出身だったとされるのみだが、9世紀後半には、実はファールス最後の皇帝の娘だったということになる。
 この9世紀後半の同じ史料が伝えるところによると、フサインの兄ハサンの子孫でイスマイールと同年代の人物(フサイン家とハサン家はしばしば縁組をしているので、かなり血は近い)が本作から数年後、ある人物を母親が異民族だという理由で侮辱し、自らの純血を誇った。それに対し相手は、フサインの息子は混血だが、おまえより遥かに優れている、と反撃している。
 参考:清水和祐「ヤズデギルドの娘たち」(『東洋史研究』67-2)
 もっと後の時代でも、このフサインの息子は、タージク(アラブ)の混血差別に対する反論でしばしば引き合いに出されている。
 なおフサインを例外とし、以後のフサイン家の当主の母はいずれもタージクの名家の出である。その女性たちが異民族の血を引いていなかったとは言い切れないが、いずれにせよイスマイールが「ユーナーン(ギリシア)人の血を引いているかもしれない」というのは、ユーナーン人たちへのリップサービスである。

四年前
 錬成術(錬金術)師ジャービルの出自について同時代の史料はなく、後世の史料には「ファールス(ペルシア)生まれのクーファ(イラクの都市)育ち、父親はタージク(アラブ)」、「ハッラーンの異教徒で後に改宗」の二説が見られる。現在では前者がほぼ通説である。
 
またハッラーンは中東におけるユーナーン(ギリシア)の学術の中心地だったから、後者の説ではジャービルは故郷で錬成術を学んだことになるが、イスマイールの父親が師だったとする史料もある。いずれにせよジャービルの錬成術理論にはヒルミス(ヘルメス)主義の影響が色濃く、そしてハッラーンは中東におけるヒルミス主義の中心地でもあった。
 
これらの整合性を取って、本作では「ジャービルはファールス生まれのクーファ育ちで父親はタージク、イスマイールの父親の下で錬成術をはじめとする諸学問を学んだ後、ハッラーンに移住」ということにした。
「4年」というのは、そのくらいあれば錬成術研究で成果を出し、ユーナーン人の同業者たちにも受け入れられるだろう、という期間。

 続きます。

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