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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十四

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.61
下段6行
発現
 この世界における錬成術(錬金術)用語。「霊的存在」がこの「炎」やp.59の「防護霊」のように、「個別のまとまった状態」で現れ出ることを言う。詳しくは次々項から。

銀のように白い
 日本語では、「銀」を「白いもの」の比喩に使うことはあまりない。「しろがね」とは言うし、「銀世界」とか「銀シャリ」といった表現もあるが、それくらいだろう。
 p.58でイスマイールの容姿を表現する際に使った比喩は、実際に中世の中東文学で使われていた表現から、現代日本人に違和感がないであろうものを採っている。白い肌を真珠に喩えるのは、欧米文学にも見られる表現であり、特に奇異な印象は受けないだろう。しかし実は中東文学ではあまり一般的ではなく、多くの場合、銀に喩えられる。
「肌は銀」と言われたら、大半の日本人は違和感が先立つと思われるので使わなかったが、このような文化/感覚の違いを出すために、「霊的」な炎の色に対しては「銀のように白い」という表現を選択した。

理性の徒は……
「霊的存在」が各人の性格や心理状態によって各様に見える、という設定は、『伊藤計劃トリビュート』所収の拙作「にんげんのくに」と同じ。あちらでは、アルカロイドを多量に含む食物を常食しているために脳が変性して幻覚を見やすくなっている、つまり「霊的存在」は実在しない。一方、こちらでは「霊的存在」は実在する。
「にんげんのくに」では、各人の恐怖や願望、そして閾値下の情報が幻覚を生み、それが各人の性格(一言で言えば論理的かそうでないか)によって、ぼんやりした影のようなものから生々しい実在感を伴ったもの(たいていは異形)までさまざまな姿を取る。論理的な人物でも、たとえばひどく動揺している時などは、生々しい幻覚を見るだろう。
 一方、本作「ガーヤト・アルハキーム」では、「霊的存在」は実在するので、見えるか見えないかは各人の心理状態とは関係ない。しかし、「どのように見えるか」は各人の性格による(おそらくは心理状態にも)。

妖霊(ジン)
「ジン」には「魔神」「幽精」などの訳語も当てられるが、「妖霊」を選んだのは、続いて挙げている「精霊」「善霊」などと「霊」の字を揃えるためだが、まあ単にほかの訳語より好きだからでもある。1957年の井筒俊彦訳の『コーラン』(岩波書店)は「妖霊」だから、井筒氏の造語だろうか。私が最初に出会ったのはF・マリオン・クロフォードの『妖霊ハーリド』(早川書房)。
 1891年だから、『ヴァテック』や『シャグパットの毛剃』といった欧米の「千夜一夜ゴシック」の系譜に属する。邦訳は1985年、出てすぐに読んでるんだな。ジンの訳語は「魔神」しか知らなかったから、「妖霊」という見慣れない字面が新鮮だった。『魔神ハーリド』とかだったら、たぶん読んでない。カバーイラストの天野喜孝氏はこの頃、レオン・バクスト風だから、西洋の「千夜一夜もの」に実に相応しいですね。
 ところで「イスラムの堕天使たち」(『トーキングヘッズ叢書』№76)でも書いたことだが、ジャーヒリーヤ(前イスラム)時代のタージク(アラブ)は、「霊的存在」を「ジン」と総称した。その中でも特に強力なもの、あるいは人間に友好的なものを「神(イッラーフ)」として崇拝したが、区別は曖昧だった(小笠原良治『ジャーヒリーヤ詩の世界』至文堂、フィリップ・K・ヒッティ『アラブの歴史』講談社など)。
 聖典でも、多神教徒のタージクは「唯一神とジンを並べて拝む」と非難されている。したがって、ジャーヒリーヤ時代、あるいは多神教という設定の「中東風異世界」が舞台なら、ジンの訳語として「魔神」は適切である。しかし言うまでもなく、一神教においては不適切だ。
 話を「ガーヤト・アルハキーム」に戻すと、イスラムではジン(ジン以外の名で呼ばれる魔物全般も含む)は「生き物」に分類される。だからジンの登場する本作は、『ナイトランド・クォータリー』vol.18のテーマ「想像界の生物相」に合致してるんですよ。

 続きます。

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