「ガーヤト・アルハキーム」解説 その一
『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」に、短篇「ガーヤト・アルハキーム」が掲載されています。
以下、つらつら解説というか、こぼれ話的なものを書いていきたいと思います(9月10日、目次のupに伴い、前置き的な文章を削除しました)。
p.56(頁数は『ナイトランド・クォータリー』vol.18本体のものです。以下同)
ガーヤト・アルハキーム
「note」で注記したとおり、西洋中世のラテン語魔術書『ピカトリクス』の原典タイトル(言語については後述)。
ただし魔術書自体は作中に登場しない。タイトルに選んだのは、そこに掲載された魔術の一つを題材にしたのと、「ガーヤト・アルハキーム」という語句そのものを作中で使いたかったからである。魔術書そのもの、題材にした魔術、「ガーヤト・アルハキーム」の意味についても、追って解説する。
なお、魔術書『ガーヤト・アルハキーム』は「ガーヤ・アルハキーム」と表記されることもあるが、どちらも正しい。「ガーヤト」の「ト」は発音してもしなくてもいいのである。ただし「ト抜き」は口語的であり、中世の魔術書のタイトルとしては発音したほうがそれっぽいんじゃないかと思う。あと、語呂もいいし。
p.57
錬成術師(アルキーミヤーイ)
「錬成術」は「錬金術」の言い換え。「アルキーミヤーイ」は「アルケミー」の直接の語源である「アルキーミヤー」の派生語。
「錬金術」ではなく「錬成術」としたのは、この世界における「アルキーミヤー」は錬金を最終目的としてはいないこと、また史実における「アルケミー/アルキーミヤー」の語源であるギリシア語「ケミア」あるいは「キュメイア」のそもそもの語源には諸説あるが、私としては金属加工・鋳造を意味する「キュマ」とする説が妥当だと考えるからである。
「アルキーミヤー」の語源については作中で解説する場面があるので、そこの解説でまた。
ジャービル
中世最大の錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーン。西洋ではラテン語名「ゲーベル」で知られる。
ジャービルを著者とする錬金術文献は膨大な量が伝えられ、その翻訳と称する欧文文献もまた大量にある。20世紀の一時期には、これらはすべて後世の偽作で、そもそもジャービル・イブン・ハイヤーンなる人物は実在しなかった、という説もあったが、近年ではジャービルは実在し、現存する「著作」群の少なくとも一部は実作(改竄が少ない)、というのが定説と言ってよいだろう。
「イブン・ハイヤーン」は「ハイヤーンの息子」という意味なので、父の名はハイヤーンである。ジャービルの出自については作中で語られるので、そこの解説で改めて。とりあえず生年はAD721年か722年頃、没年は815年、というのがだいたいの定説である。
大導師(イマーム)
「イマーム」の本来の意味は「礼拝の指導者」。つまり宗教的指導者であり、その意味では「導師」と訳すのが妥当である。
一般的には小は小さなコミュニティから大は全信徒まで、とにかく「礼拝を指導」する地位に在る者なら誰でも「イマーム」と呼ばれるわけだが、後述するある派の人々にとっては、「全信徒の長(となるべき人物)」限定の称号である。本作ではこちらの意味で使うので、「大導師」の語を当てた。
「第六代」とか「第七代」とかについての解説は後ほど。
絹
高級品だが、ペルシアや中央アジアなどで生産が盛んなので、富商レベルなら手が届く。最高級品はもちろん中国産。三枚重ねしても黒子が透けて見えるほど薄手なんだそうな。
この時代この地域(後ほど解説)の衣服の素材で一般的なのは毛織物、亜麻、麻といったところ。木綿はまだ普及途上で、ベンガル(現在のバングラデシュ)からの舶来品は超高級。それで作った衣服は指輪を通せるほど薄かったとか。ほんまかいな。
イスマイール
「アサシン教団」として悪名高いイスマイール派の名祖。イスマイール派については後述するが、作中の時代に「イスマイール派」と呼ばれ得る集団はまだ存在しない。
イスマイール本人についての解説も追々していくが、とりあえず彼に関する記録は、信憑性の低い伝承レベルまで含めても非常に少ない。生年はAD719年あるいは722年とされ、それほどずれはないが、没年は754年から813年頃までと幅がある。
なお、原語に忠実に表記すると「イスマーイール」となるが、冗長なのでこの表記。
砂利と漆喰
庶民向けの床材。
真鍮
日用品に使われる金属としては最も一般的なもの。
銀貨
この時代この地域の通貨、ディルハム。すぐ後で改めて解説。
その腰に三重に巻かれた白い帯は、マギ教徒の印だ
「マギ」はゾロアスター教の神官階級で、原語は「マグ」。その転訛である「マジュース」はゾロアスター教徒全般を指す。
「マギ」は「マグ」のラテン語形(正確には「マグ」のギリシア語形「マゴス」がラテン語では「マグス」となり、その複数形)。キリスト教では東方三博士を指し、そのまま英語にもなっている。言うまでもなくmagicの語源。
「マジュース」そのままでは馴染みがなさすぎるし、「マグ教徒」も同様。「マギ」なら何十年も前から異世界ファンタジーで時々使われてきた語であり(私が最初に出会った使用例は『ドラゴンランス戦記』)、「マギ」という語とゾロアスター教が結び付かない読者にとっても、「馴染みのある響きで、なんとなくイメージの湧く語」であろう、ということで採用。
「腰に巻かれた三重の白い帯」は、ゾロアスター教徒が身に着ける「クスティ」のこと。
名代(ハリーファ)
「ハリーファ」はこの時代この地域を支配していた帝国の最高権力者の称号。直訳すれば「代理」だが、肩書名っぽくするために「名代」の語を当てた。
作中での現「名代」が誰なのかは、もう少し後で解説します。そもそも誰の名代なのかは、作中後半で解説しているので、そこで改めて。
一枚だけだが、煌きは銀貨二十枚分だ
この時代の相場は金貨(ディナール)1枚=銀貨(ディルハム)20枚が基本。地域によって多少の変動はあったが、すぐに作中で述べられるように舞台は首都なので。なお作中の時代より10年ほど後に生まれた詩人アブー・ヌワースは、バグダードで葡萄酒およそ1ラトルが金貨1枚だったと詠んでいる。1ラトルは約3キロである(岩波書店『アラブ飲酒詩選』)。
当時の葡萄酒のアルコール度数とか、澱の含有率とか、秤の正確さとか諸々の条件は差し引いて、約3リットルと考えていいだろう。作中の時代:内憂外患で物価は不安定だが、酒への規制はゆるゆる。アブー・ヌワースの時代(3、40年後?):平和で繁栄しているが、規制は厳しくなりつつある――という史実を踏まえ、2つの時代の葡萄酒の相場がほぼ変わらないと想定した上で、イスマイールが支払った銀貨が7枚だったとすると、約1リットル分である。買って帰るのと店で飲む(美女や美少年のお酌つき)のとでは値段も当然違うはずだが、その差も無視することにする。
アブー・ヌワースは甕で保存されている生(き)の葡萄酒を量り売りで買ったが、飲む時は水で割るのが普通である。したがって、イスマイールはすでに相当量を飲んでいたことになる。すぐ後で明らかになるように、イスマイールはこの日、この街に到着したばかりで、酒場に入ってからそれほど時間は経っていないはずである。ジャービルが眉をひそめたのは、酒量に顰蹙しただけでなく訝ったためでもある。
窓が小さく薄暗い店内
暑熱を避けるため、住宅の窓は小さい。高級店ではないので、日中から灯りを点したりもしない。
服装から半数は異教徒、半数は信徒と……
「信徒」は「(神への)服従者」を意味する語に当てた語。たいがいの宗教、特に一神教では、信仰する神には服従するものだから妥当であろう。この時代にはまだ、異教徒に特定の服装を強制することはなかったが、上記のマギ(ゾロアスター)教徒の例のように、自主的な選択によって服装で所属集団の見分けはつけやすかったはずである。
なお、この宗教では飲酒は厳禁じゃないのか、と思われる方もおられるかもしれないが、一言で言えば時代や地域ごとによる。
そもそも聖典で述べられている酒についての神の言葉(啓示)は、「神から与えられた棗椰子や葡萄から作られるよいものであり、神の偉大さを証明する徴」「天国では酒が飲み放題」→「どちらと言うとよくないもの」→「酩酊した状態での礼拝禁止」→「悪魔の行いであり絶対禁止」と変遷している。これは信徒の増加に伴って有象無象も増え、飲酒による問題が目に付くようになったからである。
しかし後代の信徒は、こうした時系列には頓着せず、自分に都合のいい啓示を根拠として酒を飲んだり飲まなかったり、また他人にもそれを押し付けたりしてきたわけである。
作中の時代について言えば、史上最も規制の緩い時代であろう。特に、「厳罰を伴う厳禁」という「先例」がなかったのは大きかったと思われる。飲酒禁止はせいぜい「建前」としか見做されず、「悪癖」くらいにしか思われていなかった。もちろん建前と本音を一致させている信徒もいて、彼らは「禁欲主義者」と呼ばれ、時に尊敬され、時に煙たがられた。
そしてまた、建前とは言え禁止されてはいるので、酒に関わる職業(酒の製造、販売など)に就くのは、ほとんどが異教徒だった。またこの建前を官憲が振りかざせば、厄介なことになったはずである。
イスマイールの飲酒については後ほど。
蜜菓子
砂糖はまだ高級品である。一般的な甘味料は蜂蜜のほか、果物を煮詰めたシロップなど。
化粧墨(クフル)
主にアイライナーとして使われる伝統的な化粧品。アンチモンを主原料とする黒い粉。化粧水等で練って使う。「コホル」という表記もあるが、地域よる発音の違いだろう。アイライナー以外の用途については後述。
満月の如き豊頬だの……
後述。
ハッラーン
現在のトルコ南東部にあった都市。詳しくは後述。
登極したばかりの新名代によって……
ハッラーンを首都とした名代は、ウマイヤ朝最後の君主マルワーン2世(在位AD744-750)。ウマイヤ朝はわずか2年の間にクーデタや名代の早逝が相次ぎ、混乱していた。マルワーン自身も叛乱を起こし、勝利したのである。
ハッラーンが本拠地であり、その武力を背景に即位したのだが、永らく首都だったダマスカス(シリア)から遷都したことで、シリアの信徒らから背かれた。こうしてその治世の間中、叛乱鎮圧に明け暮れることになる。生年ははっきりしないが、即位時に50歳を越えていたことは確実で、当時の感覚ではすでに老人である。
マルワーンの即位はAD744年の10月以降。作中では夏なので、745年ということになる。詳しくは後述。
曲がりくねった路地
中東の街路は、伝統的に大通り以外は細く曲がりくねっているのが普通。高級住宅街でも貧民街でも、その点は変わらない。
p.58
ターバンの下から覗く巻き毛と弧を描く眉……
『ジャーヒリーヤ詩の世界』(小笠原良治 至文堂)で紹介されている事例から、現代日本人にも解りやすく違和感がないであろう表現を選択(「解りにくく違和感があるであろう表現」というのは、たとえば日本で知られていない植物を使った比喩とか、唇の色を赤黒いと表現したりとか)。
ジャーヒリーヤ(無明)時代とはAD621年以前を指すが、ジャーヒリーヤ詩は最古のものでもAD6世紀を遡らない。ちょうど作中の時代、8世紀半ば頃からようやく文字で記録されるようになり、それまでは口承で延々と伝えられてきた。その間、改竄された可能性はもちろんあるものの、ジャーヒリーヤ詩こそが詩の規範とされ、形式も表現も美意識も、そこからの逸脱は好まれなかった。
つまり作中の時代でも、100年以上昔のジャーヒリーヤ詩に詠われた美の基準が絶対だったわけである。
一世代後、上述の酔いどれ詩人アブー・ヌワースが、こうした紋切り型に反旗を翻して新境地を拓くのだが、美の基準だけは旧来のものを踏襲した。さらに後世の『千夜一夜』(最終的にまとまったのは15世紀頃)でも、ジャーヒリーヤ詩にあったような、豊かな髪を馬の尾、三つ編みを蛇に喩えるような野趣は廃れているものの、髪と瞳は黒く、肌は白く、眼は大きく、唇は小さく赤く……というタイプだけが美のスタンダードとされ続けた(体形については後述)。
頬の産毛
『ジャーヒリーヤ詩の世界』で挙げられているのは女性美だけだが、『千夜一夜』における美女と美青年の表現はまったく同じである。瓜二つの男女が互いに一目惚れする、という話が幾つもある(それどころか、美青年が「あなたにそっくりな美女がいる」と聞いただけで、会ったこともないその「美女」に恋をするケースさえある)。もちろん異性装もふんだんに登場する。
美女と美青年を区別するものは、一方には乳房があり、他方には頬に産毛がある、という違いだけである(ごくごく稀に、性器に言及されることもあるが)。頬の産毛については、日本でも最近の作品では見かけないけど、古い作品だと少年少女の頬を桃に喩えた表現があったりしますね。イスマイールは20歳を過ぎてるんだが、とにかく古典の紋切り型表現に従えば、美青年には髭ではなく産毛が生えているのである。
タージク
アラブのこと。サーサーン朝時代から、ペルシア人はアラブをこの名で呼んだ。語源は不明。中国側史料に見える「大食」もこれに同じ。やがて中央アジアのイスラム系住民を指すようになり、「タジキスタン」の名が生まれた。「タジク」語はペルシア語の仲間なので、区別するために「タージク」の表記(ちなみにアラビア語とペルシア語はまったく別系統の言語である)。
美青年
残念ながら、第6代イマームの嫡子イスマイールが美青年だったという記録はない。容姿に関する記録は一切ないので、どう描こうが自由というのもあるが、そもそもプロフィール自体があまりに少ないので、同じ名であるペルシアはサファヴィー朝の創始者イスマイール1世(AD1487-1524.在位1501-)のイメージを重ねてある。
イスマイール1世は、神を自称するエキセントリックな性格と、「邪悪なほどの美しさ」と評された美貌で有名な人物。評したのは西洋人なので、次の項で解説する「体形」問題で現代日本の美意識に引っ掛かることもない。
2人のイスマイールの繋がりは、単に名前だけではない。イスマイール1世は、イマームの息子イスマイールの弟の血を引くと称していた。高貴な血筋の詐称はよくあることだが、イスマイール1世の場合はペルシアの支配に当たって、イマームの家系にはサーサーン朝皇帝の血が流れている、という伝説を利用するためでもあった。伝説によれば、初代イマームの息子フサインはサーサーン朝皇女を娶ったとされる。
この伝説は多くのムスリム、特にペルシア人に「事実」とされ、イスマイール1世もサファヴィー朝の創始者となったため、イマームとペルシア皇女の血を引くという主張も「事実」となった。この「事実」に従えば、2人のイスマイールは血が繋がっているのである。
なお本作の時代には、サーサーン朝皇女の伝説はまだ成立していない。
ただし肉付きが……
楊貴妃はふくよかだったし、小野小町も光源氏もそうだったはずである。ただし唐代でも平安時代でも、太っていれば太っているほどよいとされたわけではなかったはずで、たとえば楊貴妃と同時代の安禄山の肥満は、欠点として強調されている(腹が膝まで垂れ下がってたとか)。
しかしどうも前近代のアラブ文化圏では、太っていれば太っているほどよいとされていたように思われる。『ジャーヒリーヤ詩の世界』を参照すると、折り畳んだ衣服のように段になった腹、砂丘の如き豊かな尻、骨がないかのように柔らかい(脂肪の厚い)腕、蚕のようにむちむちした指、閉じると隙間のできない両腿……と、具体的すぎて身も蓋もない表現が並ぶ。
『千夜一夜』でも美女の尻は歩くのも困難なほど巨大で重い。もちろん美青年の尻も砂丘の如しであり、その背後を歩くエロ親父は揺れる尻に悩殺される。中にはあまりにも肉付きがよすぎてペニスが埋もれてしまっている「美青年」までいる。これはさすがに、目撃した風呂屋の親父に同情されるのだが、それは服を脱いだ場合であって、脱がなければそこまでの肥満も「美」とされるのである。
それだけではない。このように描写される腹やら尻やら太腿やらが、「手綱」または「蜘蛛の糸」の如きウエストや「パピルスの茎」の如き脛と同居してるんだから眩暈がしてくる。いや、誇張だとは解ってるんだが、東洋史学専攻で白髪三千丈式の誇張には慣れてる私でも、この組み合わせには引きます。
眉も繋がっていない
『ジャーヒリーヤ詩の世界』には、「弧を描く眉」が美しいとされたとはあるが、繋がっているかいないかまでは言及されていない。『千夜一夜』では美女の繋がった眉に言及されている。
眉が繋がっていない女性は繋げて描いていたわけで、化粧墨(クフル)のもう一つの使用法である。現在、この化粧法は中央アジアにしか残っていないようだが、この地域ではクフルを使わないので、黒い汁の出る植物の葉を絞って使うのだが、うっすらとしか色がつかないので何度も重ね塗りするそうである。
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