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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その十一

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.60
上段20行
本尊
 ヒルミス(ヘルメス)は青年の姿、トフト(トート)は朱鷺または狒々(あるいは両方)と人間が混合した姿、シンは老人の姿で表される。中世のハッラーンで崇拝されていたのは、この三柱が習合した神だったと推測されるが、習合したからといって、それまでの本尊であるシン像を廃棄したりはしなかっただろう。習合の時期は早くてもAD3世紀と考えられるので(後述)、本作の時代(8世紀半ば)でも残っていた可能性は充分ある。
 なお古代(紀元前)メソポタミアでは、各神殿の本尊である神像は木製で、布や金属などの衣装・装飾品が着けられていた。石や金属に比べて耐久性が劣るのと、各都市の守護神という役割上、戦争で負けると破壊されたり持ち去られたりしたため、本尊と断定できる神像は一つも現存していないそうである(松島英子『メソポタミアの神像』角川書店)。

最上層の至聖所
 ハッラーンの神殿は現在跡形もなく、どんな外観だったのかという記録もないようである。古代以来のメソポタミアの神殿なので、本作では解りやすくジッグラト(聖塔)を採用。
 ジッグラト型の神殿では、本尊の神像が安置される至聖所は最上層にあった。

祭日以外は……
 古代メソポタミアでは、神殿の至聖所(本尊の神像が祀られる場所)に入れるのは神官と身分の高い信者に限られていた。祭礼の日には本尊を担いで市中を練り歩いたので、庶民も本尊を拝むことができた。
 しかし本作の時代であるAD8世紀半ばに、偶像を担いで街を行進することなど不可能である。また王族や貴族の信者も、もはやいない。
 したがって本作では、
 一般信者にも至聖所を解放するが、聖性の保持も必要なので祭日に限定。
 神殿の第一層にユーナーン(ギリシア)風のヒルミス(ヘルメス)像を安置し、平日参詣する一般信者にはこれを拝んでもらう。
 ということにした。なお古代のジッグラト型神殿でも、第一層は一般信者に解放されていたとの説が有力だそうである。

シャーム語
「シャーム」は現在のシリア・アラブ共和国を中心とした東地中海沿岸地域を指すタージク(アラビア)語。日本では「大シリア」「レヴァント」などの呼称が一般的である(歴史書などでは)。したがって「シャーム語」は「シリア語」のこと。
 シャーム(シリア)語は、現在ではシャーム(大シリア)地域を中心とした中東のキリスト教徒が典礼に用いるだけであるが、中世にはこの地域の共通語だった。タージク語と同じセム語系であり、遡れば古代メソポタミアの言語を直接の祖とする。
 高橋英海「ユーラシアの知の伝達におけるシリア語の役割」(『知の継承と展開』明治書院)によれば、聖書をはじめとするキリスト教文献(ギリシア語)のシリア語への翻訳はAD2世紀に始まり、5世紀以降は非キリスト教系のギリシア語文献(古典作品も含む文芸書や学術書)も翻訳された。
 したがって後世のヨーロッパにおけるラテン語と同じように、この時代のシャーム語は中東全域における知識人の共通語でもあった。作中、イスマイールとジャービルがシャーム語に通じているのは、そのためである。

 続きます。

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