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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その三

『ナイトランド・クォータリー』vol.18掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。

その一
その二

p.58(頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。以下同)
上段23行~
ユーナーン
 ギリシアをタージク(アラブ)人はこう呼んだ。アナトリア半島にあったギリシア人植民地「イオニア」の転訛。
 しかしこの由来はすぐに忘れられたようで、「ユーナーン」(ヤワン)はヌーフ(ノア)の子ヤーフス(ヤペテ)の子の名だと伝えられていた。彼の子孫がユーナーン人である。()内は旧約聖書における該当人物名。「ヤワン」も「イオニア」の転訛である。

彼らの趣味
 少年愛。ユーナーン(ギリシア)人の錬成術(錬金術)師たちは、自分たちの父祖の文化に強い誇りを抱いているので(後述)、少年愛についても実践しているかどうかは別にして、無駄に理想化して「学者の嗜み」くらいには思っていそうである。

同い年
 本作ではジャービルとイスマイールが同年生まれだという説を採っている。したがってAD722年生まれということになり、本作の時点では23歳になる。現代日本の23歳は大卒新人のひよっこだが、中世の23歳は(中東に限らず)結構いい齢である。成人年齢が明確に決まっていなくても、15歳を過ぎれば大人扱いだったからな。
 本作ではイスマイールはあくまでも「美青年」であるという設定上、実年齢は明確にせず、23歳より2、3歳若いイメージの描写にしてある。とはいえ20歳にはなっているわけで、ニートをしていていい齢ではない。

警察(シュルタ)
 現代タージク(アラビア)語でも警察は「シュルタ」であるが、中世のシュルタは公共機関というよりは名代(ハリーファ)の個人的な治安部隊だった。学術書などで「警察」と訳すのが定着しているし、特に不都合もないので本作でもこの語を当てる。
 なぜイスマイールが警察に目を付けられているのかは、後ほど改めて解説。

不肖の息子
 後述するようにイスマイールの父である第6代大導師は、その地位と高貴な血筋もさることながら、有徳者として広く尊敬されていた。一方、イスマイール自身は、飲酒癖のために廃嫡されたとされる。その時期は不明だが、本作ではまだということにしてある。
 作中後半でも言及されるように、イスマイールを救世主(マフディ)として反政府運動の旗頭に祀り上げようとする動きもあったことから、それが廃嫡の真の理由だったとする研究者もいる(アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』岩波書店)。
 ところでイスマイールには、AD738または740年生まれの息子がいる。この息子は生まれてすぐに祖父(イスマイールの父)に引き取られ、養育されたと伝えられる。飲酒癖と反政府活動、そして自分の跡継ぎの養育すらしない、という3点が、本作におけるイスマイールというキャラクター造形の基礎となる「史料上の情報」である。別に悪い情報だけを選んだんじゃなくて、とにかく彼に関する情報自体が極端に少ないのです。

神殿
 
月神シンの神殿。古代からシン信仰の中心の一つだった。後述。

ルーム
 ローマのこと。ファールス(ペルシア)ではサーサーン朝時代からローマを「フローム(あるいはフルーム)」と呼んだが、ローマ領となってすでに久しかったギリシアも「フローム」に含まれた。イスラム成立後のタージク(アラブ)人たちにとっても、「ルーム」は東ローマ帝国もしくはイタリアのローマを正確に指すというよりは、漠然と西方のキリスト教諸国を指し、ユーナーン(ギリシア)もその中に含まれる。
 なぜシンの神殿にルーム人がいるのかは後述。

 続きます。明日も更新予定。

その一
その二

 

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