「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四
『ナイトランド・クォータリー』vol.18掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。
その一 p.56~(頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。以下同)
その二 p.58上段11行~
その三 p.58上段23行~
p.58
下段8行~
私に訊けばいいのに
これと前後の台詞によって、イスマイールは今日、ハッラーンに到着したばかりであり、ジャービルは住民になってしばらく経つことが判る。
大盤振る舞いしたお蔭で
これで、イスマイールが短時間で大量の酒を注文した理由が明らかにされた。
偶像に生贄を捧げて……
ディマシュキー(1256-1327)の地理書にある、ハッラーンのシン神殿(後述)についての記述に基づく(前嶋信次『アラビアの医術』中公新書)。
この神殿は11世紀に閉鎖されてしまっているので、ディマシュキーの記録は彼自身が目撃したことでないのは言うまでもないが、そもそもまったくの事実無根である可能性が高い。
「幕屋の偶像」(『トーキングヘッズ叢書』№79掲載)でも論じたが、ごく一部の例外を除き、信徒(ムスリム)は伝統的に異教に無関心だった。異教についての記述は、伝聞であろうと実体験であろうと、事実よりもむしろ「異教はこうであるべき」という偏見に基づいている……というか、事実を無視した偏見そのものであることが少なくない。異文化全般についてはかなり正確に記録している旅行記等でも、こと異教に限っては紋切り型の文言・エピソードが繰り返されている。
ディマシュキーの記録に似た例としては、『千夜一夜』に見られる類型の一つに、「信徒(ムスリム)の美青年(限定)を生贄にしようと目論む異教徒(たいていはゾロアスター教徒)」がある。『千夜一夜』は民衆向けのお伽話だが、一流の学者、たとえば中世屈指(中東のみならず世界レベルで)の知性であるイブン・ハルドゥーン(次項参照)ですらこの無関心は変わらず、平気で仏教とゾロアスター教を混同している。
一方、「ごく一部の例外」の代表は、『北人伝説』(早川書房)もとい『ヴォルガ・ブルガール旅行記』(平凡社)のイブン・ファドラーン(10世紀)であろう。異教の宗教儀礼に関する彼の観察の正確さは、考古学資料などから確認できる。
犠牲に選ばれるのは……
以下はタージク(アラビア)語魔術書『ガーヤト・アルハキーム』(詳しくは後述)に掲載されている魔術である。ラテン語版である『ピカトリクス』には掲載されていない。
『必携アラビアン・ナイト』(ロバート・アーウィン 平凡社)第8章で詳しく述べられている。また上述のイブン・ハルドゥーン(1332-1406)の『歴史序説』(平凡社)第1章でも、いくらか要約されたかたちで紹介されている。
『ガーヤト・アルハキーム』は12世紀の作とされ、また上述の理由からも、ハッラーンでこのような魔術が実践されていた可能性は低い。
ヒルミス
タージク(アラビア)語は母音がa,i,uしかなく、外国語の音写ではeがiに変わる。
「神あるいは預言者」も含めて詳しくは後述。
四十日
キリスト教では「40」という数字は特別な意味を持っている。大洪水は40日続き、モーセとイスラエルの民は荒野を40年間彷徨い、モーセは40日間シナイ山に籠り、イエスは40日間断食した。
タージク(アラブ)にもこの「40」は共有されており、イスラムの聖典では「40」は特別扱いされてはいないものの、葬儀では40日間喪に服すことになっているし、民衆文化のレベルではさまざまな「40」を見ることができる(「アリババと40人の盗賊」など)。
で、「特別な意味」とは何かというと、単に「たくさん」の象徴、というだけだろうけどね。
蒼白い炎
この世界には「霊的存在」が実在する。周囲の人々の反応から、「霊」の出現も、それを操る術も、さほど珍しいものではなく、ただイスマイールの「操霊術」は突出したものであることが判る。詳しくは後述。
本日はここまで。また明日。
その一 p.56~
その二 p.58上段11行~
その三 p.58上段23行~
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