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近況

 すごくすごく健康に気を遣った生活を半年余り送ってきて、だいぶ元気になったと安心していたら、突然体調を崩しました。原因不明。

 年に1、2回あるんですが、目に見える不調(熱が出たとか、胃や腸がおかしくなったとか、アトピーが極端に悪化したとか、しばらく不眠が続いたとか)がないのに、ある日突然、やたらと怠くなって動けなくなる。
 困るのは、普段は毎日かなりの運動(有酸素運動と筋トレとヨガ)で体調を維持しているので、怠くてしんどいので有酸素運動ができない、腹に力が入らないので筋トレもできない、身体がガチガチに硬くなるのでヨガもできない、となって、運動不足でさらに不調になる。

「ガーヤト・アルハキーム」解説は、先日、ルーターだがモデムだかの不調で家からココログに数日間アクセスできなくなった間の書き溜め分があったので、不調になってからも連日更新できていたんですが、書き溜め分もなくなったので、ちょっと更新をお休みさせていただきます。
 わざわざ「解説」を読みに来てくださる方がいたのかどうかわかりませんが、「連日更新」と宣言したからには、それができなくなったので(前回と違って今回は自分の都合ですし)、謝罪させていただきます。申し訳ございません。

 どうにも怠いんですが、だらけずに規則正しい生活を維持し、ちょっとずつでも運動を続けていればそのうち回復しますので、1日でも早く回復できるよう頑張ります。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十三

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段14行
不干渉
 現代のイスラムの「常識」では、「異教徒」は信徒(ムスリム)に税を納める代わりに庇護してもらうが、「異教徒」として認められるのは「啓典の民」だけである、とされる。「啓典の民」とは、①一神教、②預言者を通じてもたらされた神の啓示を記した聖典すなわち「啓典」を有する、という条件を満たす宗教(いわゆる「啓示宗教」)の信者である、とされる。「啓典の民」ではない多神教徒や偶像崇拝者は強制改宗の対象となる、とされる。
 が、本作の舞台であるハッラーン(トルコ西南部)で、古代バビル(バビロニア)とユーナーン(ギリシア)の宗教が混淆した独自の多神教が、イスラム支配下で100年以上も堂々と存続していることからも明らかなように、初期イスラム時代(AD7、8世紀)には上記のような「常識」は存在しなかった。
 ハッラーンの多神教徒は、ファールス(ペルシア)のマギ(ゾロアスター)教徒と同じように扱われたのだろう。サーサーン朝が定めた「正統教義」のマギ教は、最高神オフルミスド(アフラ・マスダー)と、それに仕える中級・下級の神々という体系で一神教に近く、偶像崇拝も禁じられていた。しかしそれが徹底されたのはファールスの西部だけであり、他のイラン(現イラン・イスラム共和国ではなく、インド・アーリア民族と分かれたイラン・アーリア民族のこと)文化圏では偶像崇拝を伴う多神教的マギ教が信仰されていた。どのみち「正統教義」にしても、「預言者」や「啓示」という概念は持たなかったので、マギ教は明らかに「啓示宗教」ではない。
 しかしイスラムの支配者たちは、ファールス各地のマギ教徒の命と安全と心身の自由(つまり信教の自由も)を保障し、代わりに税を納めさせた。そのためファールスのイスラム化は進行が遅く、改宗が人口の50%を超えるのは9世紀に入ってからである。
 このように総督や司令官など、実際に統治を行う地位にある者の多くは、「啓典の民」でない住民が大半を占める広大な地域で強制改宗を行う危険を弁えていた。それ以前に、改宗者が増えれば税収が減ってしまうのである。しかし一般信徒はマギ教徒に対し、しばしば「犬いじめ」などの嫌がらせを行ったし(解説その二の「犬のように無視される」の項参照)、宗教的情熱から強制改宗を試みる者も地位を問わずいた。
 そのような狂信者が統治者となった不運な地域が、ファールス東部のホラーサンとその向こうのソグディアナ(現在のウズベキスタンとタジキスタンを中心とする地域)である。上述のようにこれらの地域では偶像崇拝を伴う多神教的マギ教が信仰されていたのだが、8世紀初め(本作の時代の3、40年前)にホラーサンの総督となってソグディアナを征服したその人物は、強制改宗を断行し、多数の偶像と神殿を破壊した。以後この地域では、住民が棄教して反乱→鎮圧して強制改宗→棄教して反乱→鎮圧して……がルーティンとなる。彼の後任となった総督たちも、棄教だけは認めるわけにはいかなかったので、数世代にわたって反乱と鎮圧が延々繰り返されたのだった。
 ホラーサンとソグディアナについては、後ほど改めて解説する。
 イスラム世界全体でも、9世紀以降は非「啓典の民」に対して、建前だけでも「啓典の民」を装うよう圧力がかけられるようになる。こうしてマギ教は宗祖ザラスシュトラ(ゾロアスター)を「預言者」、聖典を「啓典」、オフルミスド以外の諸神は「天使」として、「啓示宗教」の体裁を整えていく。この手法は後に仏教やヒンドゥーにも用いられる。ハッラーンの多神教徒たちも「啓典の民」を装うことになるのだが、とりあえず先の話である。
 参考:メアリー・ボイス『ゾロアスター教』(講談社)、青木健『ゾロアスター教史』(刀水書房)、青木健「ザラスシュトラの預言者化」(『宗教研究』82巻4号)、清水宏祐「イラン世界の変容」(『西アジア史Ⅱ』山川出版社)

 続きます。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十二

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段11行
ファールスは滅んでしまいました
 前回解説したように、サーサーン朝ファールス(ペルシア)の皇帝ホスロー1世(在位AD539年-576年)は、ユーナーン(ギリシア)やシンド(インド)の学術を熱心に導入し、また口承のみで伝えられていたマギ(ゾロアスター)教の「聖なる知識」を文書化し聖典とする事業に取り組んだ。しかし彼の死後、内憂外患が続いて帝国は弱体化し、644年、新興のイスラム勢力にニハーヴァンドの戦いで大敗し、事実上滅亡。651年には最後の皇帝ヤズデガルド3世も逃亡中に殺害される。
 イスマイールはこのヤズデガルド3世の血を引くという伝説が生まれるのは、本作の時代(8世紀半ば)より100年ほど後のことである。

あなた方の慈悲によって……
 本作の舞台であるハッラーン(現トルコ南西部)は、前イスラム時代にはサーサーン朝とルーム(東ローマ帝国)の境界地域にあり、奪ったり奪われたりを繰り返していたが、最終的にサーサーン朝領となった。
 サーサーン朝滅亡に先立つ640年、街はイスラムの軍勢によって平和裡に占領された。その後の支配も平和的だったのは、100年後の本作の時代にも古来の多神教が生き延びていたことからも明らかである。

外来の学問
 イスラムでは伝統的に、学問分野を「固有の学問」と「外来の学問」の2つに大別する。
「固有の学問」とは、聖典を基礎とした「イスラム固有の学問」のことである。聖典を正しく誦む(音読する)ためのタージク(アラビア)語学、聖典から導き出される神学、聖典を補完するための諸伝承(預言者ムハンマドの言行を中心とする)についての伝承学、聖典とそれら伝承から導き出される法学、聖典と伝承で語られる歴史についての歴史学などである。
 一方、「外来の学問」とは異民族(タージク=アラブにとっての)の学問のことで、主にユーナーン(ギリシア)とシンド(インド)由来の科学、哲学、文学などだ。
 この分類法と呼称はAD10世紀後半以降のものらしいが、本作の時代である8世紀半ばには、「固有の学問」の諸分野はすでに確立されつつあった。それに対する「異民族・異教徒の学問」といった意味で、作中では「外来の学問」という呼称を使っている。

無関心
 作中の時代(AD8世紀半ば)における名代(ハリーファ。イスラム世界の最高統治者の称号。誰の「名代」なのかは後ほど解説)であったウマイヤ家の人々は、学問全般に無関心だったとされる。ただしウマイヤ朝は後世の信徒(ムスリム)たちにあまり評判がよろしくなく、ことさらにマイナスイメージが強調される傾向があり、「学問に無関心」もその一環と言える。
 実際には、少なくとも前項の「固有の学問」のうち、聖典を正しく誦む(音読する)ためのタージク(アラビア)語正書法に関しては、国家規模で改革に取り組んでおり、無関心だったとは言えない。
「外来の学問」については、確かにウマイヤ一族は異民族の芸術(美術や歌舞音曲)は愛好したが、学問には無関心だった。一方、ウマイヤ家を滅ぼして新王朝を建てたアッバース家の名代たちは、「固有の学問」の発展にも「外来の学問」の導入にも熱心だった。
 しかしアッバース朝の場合、多様化した帝国を統治するためにいろいろ理論武装が必要で、そのために外来の高度な学問を導入し、「固有の学問」にも磨きをかけなければならなかった、という事情があった。ウマイヤ朝はまだその段階には達していなかったため、外来の学問への関心も低かったのである。

 続きます。

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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十一

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段9行
ファールスの皇帝
 サーサーン朝皇帝ホスロー1世(在位AD531-579)のこと。529年にアカデメイア(学園)を閉鎖された哲学者たちが、亡命先にファールス(ペルシア)を選んだのは、彼が異文化の庇護者としてつとに名高かったからである。
 以前述べたとおり、この時代のファールスへのユーナーン(ギリシア)文化の移植に大きな役割を果たしたのは、ルーム(ローマ)で異端とされたメシアス(キリスト)教諸派であり、アカデメイアの哲学者たちは大したことはしていない。それでもホスロー1世がハッラーンに「ユーナーン人の学校」を建てたのは、哲学者たちの受け入れと関連していたと思われる。
 この学園は本作の時代(8世紀半ば)より後まで存続しており、9世紀の著名な天文学者、数学者にして翻訳者のサービト・イブン・クッラは、この学園の出身者である。
 ホスロー1世はユーナーンだけでなく、シンド(インド)の学問芸術の導入にも熱心だった。天文学や医学、数学などだけでなく、チェスや動物寓話(「ねずみの嫁入り」など。そのタージク語版からの邦訳が、平凡社の『カリーラとディムナ』)も彼が採り入れたものである。しかしその動機は決して「外国かぶれ」ではない。「先祖の叡智を取り戻す」ためだったのである。
 サーサーン朝は、古代のハカーマニシュ(アケメネス)朝の後継者を任じていた。したがってハカーマニシュ朝を滅ぼし(BC330年)、その都(ペルセポリス)を破壊したアレクサンドロス(イスカンダル)は、まさに大悪魔アーリマンの手先にほかならなかった。
 その悪行は誇張され、やっていないことまで付け加えられる。ハカーマニシュ朝最後の皇帝ダーラヤワウ(ダレイオス)3世の殺害はその一つだが(実際には自らの臣下に背かれ、殺された)、ホスロー1世に関わってくるのは、「マギ(ゾロアスター)教の聖典を焼き捨てた」ことである。
 もちろんそんな事実はなく、そもそもマギ教の「聖典」はマギ (神官)によって口伝され、書物のかたちでは存在しなかった。文書化が開始したのは、ようやくホスロー1世の時代になってからである。サーサーン朝がイスラムに滅ぼされる百年足らず前のことであり、しかもとうとう完成しなかったらしい。
 なぜそんなに遅かったのかというと、まずサーサーン朝の前のアルシャク朝(いわゆる「パルティア」。BC3世紀-AD226)は、マギ教の体系化や教義の統一といったことに無関心だった。一方、サーサーン朝はマギ教を国教と定めたため、「正統教義」を確立する必要があった。それなのに聖典の文書化が遅れたのは、紀元前より口伝されてきた古代ファールス語を書き記すための文字が存在しなかったので、先にそれを開発しなければならなかったのである。
 それから、これは私見なのだが、マギたちの抵抗もあったのではないだろうか。「聖なる知識」が口承である限り、それは部外者に漏れる恐れはない(ごく短いものでない限り)。ところが文字で書き記されてしまえば、その文字を知る者には誰でも読めてしまう。マギたちは、「聖なる知識」を独占できなくなることを恐れたのではないだろうか。
 さらに膨大な量の情報を暗記し、暗誦できるようになるための労力と、文字(表音文字)を読めるようになる労力とでは、後者のほうがまだ楽である。サーサーン朝時代、すでに文字はそれなりに普及していたので、マギたちは識字習得にかかる労力を知っていたはずだ。「聖なる知識」が文字化されたら、それを暗記した自分たちの努力が無駄になってしまう。後輩に楽をさせたくない、という心理は人類の大半に共通している。
(この「文字化への抵抗」現象は、藤原書店から出ているオングの『声の文化と文字の文化』で述べられていたと思うんだが、違ったかもしれない)
 しかし一方で、当時の中東にはユダヤ教、メシアス(キリスト)教、マーニー(マニ)教と、「聖なる書物」を有する宗教が幅を利かせていた。それらに対抗するのに、一握りの聖職者だけが独占する「聖なる口伝」ではいろいろ不利であったろうし、羨む気持ちもあっただろう。
 こうして、「書き留められた聖典はあったんだけど、大悪党イスカンダルに燃やされてしまった」という物語が作られたのである。
 まったく同じことが、中東の少数民族ヤズィーディーの信仰に起きている。この宗教はおそらく古いかたちのマギ教が原型で、イスラムやハッラーン(本作の舞台)の混淆宗教の影響を受けたものだが、マギ教と同じく、「聖なる知識」は一握りの聖職者たちによって口伝のかたちで独占されてきた。しかし近年のヤズィーディーたちは、「文字で記された聖典があったのだが、西洋人によって奪われてしまった」と信じているのである。
 ヤズィーディーについては、『トーキングヘッズ叢書』№76所収の拙文「イスラムの堕天使たち」を御参照ください。
 サーサーン朝のマギ教に話を戻すと、イスカンダルの悪行はそれだけではない。聖典を焼き捨てる前に、それをユーナーン語に翻訳させ、持ち去った。それが現在(サーサーン朝時代)、世界中に分散している「叡智」なのである――
 つまりユーナーンやシンド(インド)、キーム(エジプト)、バビル(バビロニア)、さらには中国まで、当時知られていた文明国の学問(科学や哲学、文学)はすべて、マギ教の聖典に記されていたものだということになったのである。ホスロー1世が熱心に収集していたのは、これらの「先祖の叡智」だったわけだ。
 というわけで、本作において「ファールスの皇帝」がユーナーンの錬金術を庇護した背景には、このような「他所者が持ってる素敵なものは、実は俺たちの先祖から奪ったもの」というカーゴカルト的イデオロギーがあったのでした。
 参考:山中由里子『アレクサンドロス変相』(名古屋大学出版会)、ディミトリ・グダス『ギリシア思想とアラビア文化』(勁草書房)、青木健『ゾロアスター教史』(刀水書房)
 なお以前解説したように、タージク(アラビア)語ではルーム(ローマ)の皇帝の称号として、「カエサル」から転訛した「カイサル」が使われる。イスラム以前のファールスの皇帝の称号もあって、「キスラー」というのだが、これは「ホスロー」の転訛である。ホスロー1世が非常に偉大だったため、タージク人にとってファールス皇帝の代名詞となったのである。
 しかし「カエサル」→「カイサル」なら解りやすいし、「カイザー」「ツァーリ」など、カエサルの転訛が皇帝の称号となっている例はほかにもあるので、本作でも「ルームの皇帝(カイサル)」とルビを振ったが、「ホスロー」→「キスラー」は解りにくいし、そもそもホスロー1世の日本における知名度はカエサルに比べて遥かに低い。そういうわけで、「ファールスの皇帝(キスラー)」とはしませんでした。

 一項目だけですが、長くなったので今回はここまで。また明日お目にかかりましょう。

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