「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十二
『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。
頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段11行
ファールスは滅んでしまいました
前回解説したように、サーサーン朝ファールス(ペルシア)の皇帝ホスロー1世(在位AD539年-576年)は、ユーナーン(ギリシア)やシンド(インド)の学術を熱心に導入し、また口承のみで伝えられていたマギ(ゾロアスター)教の「聖なる知識」を文書化し聖典とする事業に取り組んだ。しかし彼の死後、内憂外患が続いて帝国は弱体化し、644年、新興のイスラム勢力にニハーヴァンドの戦いで大敗し、事実上滅亡。651年には最後の皇帝ヤズデガルド3世も逃亡中に殺害される。
イスマイールはこのヤズデガルド3世の血を引くという伝説が生まれるのは、本作の時代(8世紀半ば)より100年ほど後のことである。
あなた方の慈悲によって……
本作の舞台であるハッラーン(現トルコ南西部)は、前イスラム時代にはサーサーン朝とルーム(東ローマ帝国)の境界地域にあり、奪ったり奪われたりを繰り返していたが、最終的にサーサーン朝領となった。
サーサーン朝滅亡に先立つ640年、街はイスラムの軍勢によって平和裡に占領された。その後の支配も平和的だったのは、100年後の本作の時代にも古来の多神教が生き延びていたことからも明らかである。
外来の学問
イスラムでは伝統的に、学問分野を「固有の学問」と「外来の学問」の2つに大別する。
「固有の学問」とは、聖典を基礎とした「イスラム固有の学問」のことである。聖典を正しく誦む(音読する)ためのタージク(アラビア)語学、聖典から導き出される神学、聖典を補完するための諸伝承(預言者ムハンマドの言行を中心とする)についての伝承学、聖典とそれら伝承から導き出される法学、聖典と伝承で語られる歴史についての歴史学などである。
一方、「外来の学問」とは異民族(タージク=アラブにとっての)の学問のことで、主にユーナーン(ギリシア)とシンド(インド)由来の科学、哲学、文学などだ。
この分類法と呼称はAD10世紀後半以降のものらしいが、本作の時代である8世紀半ばには、「固有の学問」の諸分野はすでに確立されつつあった。それに対する「異民族・異教徒の学問」といった意味で、作中では「外来の学問」という呼称を使っている。
無関心
作中の時代(AD8世紀半ば)における名代(ハリーファ。イスラム世界の最高統治者の称号。誰の「名代」なのかは後ほど解説)であったウマイヤ家の人々は、学問全般に無関心だったとされる。ただしウマイヤ朝は後世の信徒(ムスリム)たちにあまり評判がよろしくなく、ことさらにマイナスイメージが強調される傾向があり、「学問に無関心」もその一環と言える。
実際には、少なくとも前項の「固有の学問」のうち、聖典を正しく誦む(音読する)ためのタージク(アラビア)語正書法に関しては、国家規模で改革に取り組んでおり、無関心だったとは言えない。
「外来の学問」については、確かにウマイヤ一族は異民族の芸術(美術や歌舞音曲)は愛好したが、学問には無関心だった。一方、ウマイヤ家を滅ぼして新王朝を建てたアッバース家の名代たちは、「固有の学問」の発展にも「外来の学問」の導入にも熱心だった。
しかしアッバース朝の場合、多様化した帝国を統治するためにいろいろ理論武装が必要で、そのために外来の高度な学問を導入し、「固有の学問」にも磨きをかけなければならなかった、という事情があった。ウマイヤ朝はまだその段階には達していなかったため、外来の学問への関心も低かったのである。
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