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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十一

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次 

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.62
下段9行
ファールスの皇帝
 サーサーン朝皇帝ホスロー1世(在位AD531-579)のこと。529年にアカデメイア(学園)を閉鎖された哲学者たちが、亡命先にファールス(ペルシア)を選んだのは、彼が異文化の庇護者としてつとに名高かったからである。
 以前述べたとおり、この時代のファールスへのユーナーン(ギリシア)文化の移植に大きな役割を果たしたのは、ルーム(ローマ)で異端とされたメシアス(キリスト)教諸派であり、アカデメイアの哲学者たちは大したことはしていない。それでもホスロー1世がハッラーンに「ユーナーン人の学校」を建てたのは、哲学者たちの受け入れと関連していたと思われる。
 この学園は本作の時代(8世紀半ば)より後まで存続しており、9世紀の著名な天文学者、数学者にして翻訳者のサービト・イブン・クッラは、この学園の出身者である。
 ホスロー1世はユーナーンだけでなく、シンド(インド)の学問芸術の導入にも熱心だった。天文学や医学、数学などだけでなく、チェスや動物寓話(「ねずみの嫁入り」など。そのタージク語版からの邦訳が、平凡社の『カリーラとディムナ』)も彼が採り入れたものである。しかしその動機は決して「外国かぶれ」ではない。「先祖の叡智を取り戻す」ためだったのである。
 サーサーン朝は、古代のハカーマニシュ(アケメネス)朝の後継者を任じていた。したがってハカーマニシュ朝を滅ぼし(BC330年)、その都(ペルセポリス)を破壊したアレクサンドロス(イスカンダル)は、まさに大悪魔アーリマンの手先にほかならなかった。
 その悪行は誇張され、やっていないことまで付け加えられる。ハカーマニシュ朝最後の皇帝ダーラヤワウ(ダレイオス)3世の殺害はその一つだが(実際には自らの臣下に背かれ、殺された)、ホスロー1世に関わってくるのは、「マギ(ゾロアスター)教の聖典を焼き捨てた」ことである。
 もちろんそんな事実はなく、そもそもマギ教の「聖典」はマギ (神官)によって口伝され、書物のかたちでは存在しなかった。文書化が開始したのは、ようやくホスロー1世の時代になってからである。サーサーン朝がイスラムに滅ぼされる百年足らず前のことであり、しかもとうとう完成しなかったらしい。
 なぜそんなに遅かったのかというと、まずサーサーン朝の前のアルシャク朝(いわゆる「パルティア」。BC3世紀-AD226)は、マギ教の体系化や教義の統一といったことに無関心だった。一方、サーサーン朝はマギ教を国教と定めたため、「正統教義」を確立する必要があった。それなのに聖典の文書化が遅れたのは、紀元前より口伝されてきた古代ファールス語を書き記すための文字が存在しなかったので、先にそれを開発しなければならなかったのである。
 それから、これは私見なのだが、マギたちの抵抗もあったのではないだろうか。「聖なる知識」が口承である限り、それは部外者に漏れる恐れはない(ごく短いものでない限り)。ところが文字で書き記されてしまえば、その文字を知る者には誰でも読めてしまう。マギたちは、「聖なる知識」を独占できなくなることを恐れたのではないだろうか。
 さらに膨大な量の情報を暗記し、暗誦できるようになるための労力と、文字(表音文字)を読めるようになる労力とでは、後者のほうがまだ楽である。サーサーン朝時代、すでに文字はそれなりに普及していたので、マギたちは識字習得にかかる労力を知っていたはずだ。「聖なる知識」が文字化されたら、それを暗記した自分たちの努力が無駄になってしまう。後輩に楽をさせたくない、という心理は人類の大半に共通している。
(この「文字化への抵抗」現象は、藤原書店から出ているオングの『声の文化と文字の文化』で述べられていたと思うんだが、違ったかもしれない)
 しかし一方で、当時の中東にはユダヤ教、メシアス(キリスト)教、マーニー(マニ)教と、「聖なる書物」を有する宗教が幅を利かせていた。それらに対抗するのに、一握りの聖職者だけが独占する「聖なる口伝」ではいろいろ不利であったろうし、羨む気持ちもあっただろう。
 こうして、「書き留められた聖典はあったんだけど、大悪党イスカンダルに燃やされてしまった」という物語が作られたのである。
 まったく同じことが、中東の少数民族ヤズィーディーの信仰に起きている。この宗教はおそらく古いかたちのマギ教が原型で、イスラムやハッラーン(本作の舞台)の混淆宗教の影響を受けたものだが、マギ教と同じく、「聖なる知識」は一握りの聖職者たちによって口伝のかたちで独占されてきた。しかし近年のヤズィーディーたちは、「文字で記された聖典があったのだが、西洋人によって奪われてしまった」と信じているのである。
 ヤズィーディーについては、『トーキングヘッズ叢書』№76所収の拙文「イスラムの堕天使たち」を御参照ください。
 サーサーン朝のマギ教に話を戻すと、イスカンダルの悪行はそれだけではない。聖典を焼き捨てる前に、それをユーナーン語に翻訳させ、持ち去った。それが現在(サーサーン朝時代)、世界中に分散している「叡智」なのである――
 つまりユーナーンやシンド(インド)、キーム(エジプト)、バビル(バビロニア)、さらには中国まで、当時知られていた文明国の学問(科学や哲学、文学)はすべて、マギ教の聖典に記されていたものだということになったのである。ホスロー1世が熱心に収集していたのは、これらの「先祖の叡智」だったわけだ。
 というわけで、本作において「ファールスの皇帝」がユーナーンの錬金術を庇護した背景には、このような「他所者が持ってる素敵なものは、実は俺たちの先祖から奪ったもの」というカーゴカルト的イデオロギーがあったのでした。
 参考:山中由里子『アレクサンドロス変相』(名古屋大学出版会)、ディミトリ・グダス『ギリシア思想とアラビア文化』(勁草書房)、青木健『ゾロアスター教史』(刀水書房)
 なお以前解説したように、タージク(アラビア)語ではルーム(ローマ)の皇帝の称号として、「カエサル」から転訛した「カイサル」が使われる。イスラム以前のファールスの皇帝の称号もあって、「キスラー」というのだが、これは「ホスロー」の転訛である。ホスロー1世が非常に偉大だったため、タージク人にとってファールス皇帝の代名詞となったのである。
 しかし「カエサル」→「カイサル」なら解りやすいし、「カイザー」「ツァーリ」など、カエサルの転訛が皇帝の称号となっている例はほかにもあるので、本作でも「ルームの皇帝(カイサル)」とルビを振ったが、「ホスロー」→「キスラー」は解りにくいし、そもそもホスロー1世の日本における知名度はカエサルに比べて遥かに低い。そういうわけで、「ファールスの皇帝(キスラー)」とはしませんでした。

 一項目だけですが、長くなったので今回はここまで。また明日お目にかかりましょう。

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