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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その三十五

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.64
上段13行
幾度となく政府転覆を試みたが
 本作p.64上段2行目以降で述べているように、アリー(第4代正統ハリーファ、イスマイールの曽々々祖父)の次子フサインは、クーファ(現イラク中部)の市民にハリーファとして推戴され、クーファに向かう途中でウマイヤ朝第2代ハリーファの軍に惨殺された(AD680年)。クーファ市民はハリーファの軍隊がフサインに差し向けられたことを知っていながら、これを座視した。フサインの死後、深い悔悟に囚われた彼らは「悔悟者」を名乗り、4年後の684年、ウマイヤ朝に戦いを挑んで大敗した。
 この「悔悟者たちの乱」を皮切りに、本作の時点(745年夏)までに起きたアリー派の反乱すべてを網羅した書籍あるいは論文には、お目にかかったことがない。史料によって記録されていたりされていなかったりする反乱が少なくないのである。
 解説その三十二で述べたとおり、この時代の記録は基本、口伝されて8世紀後半以降にようやく文字で書き記されたものだから、どの史料にも記録されていない反乱もあるかもしれない。数が多いのもあるが、この箇所で述べたように、ほとんどが短期間で鎮圧されているせいでもあるだろう。蜂起の前に首謀者が逮捕・処刑された例もある(後述)。
 本作の5年前の740年には、フサインの孫でイスマイールの大叔父に当たる(アリー一族の先代当主の弟)ザイドが反乱を起こした。この「ザイドの乱」の発端については後述するが、例の如くたちどころに鎮圧され、ザイドは処刑された。
 ザイドの息子はホラーサン(ファールス=ペルシア東部)へ逃亡したが、3年後、現地の総督に捕らえられ、処刑された。しかし「ザイド派」の残党は性懲りもなく、今度はアリーの兄の曾孫(ザイドと同世代)を奉じ、744年、つまり本作の前年に再び反乱を起こした。
 アリーの兄の子孫であってアリーの直系の子孫ではないのだが、アリーの兄も預言者ムハンマドの従弟ではある。神輿に乗ってくれるアリーの子孫が払底していたためであろうが、こういう場合も広義のアリー派に含まれる。
 で、例によってあっと言う間に蹴散らされるのだが、このアリーの兄の曾孫は案外強かで、マダーイン(ファールス西南部)に逃れると、現地のファールス系ムスリムの支持を集めるのだった。つまりイスマイールは、不満分子たちが政府転覆の旗印と仰ぐ一族の嫡男であるだけでなく、身内が首謀者の反乱が現在進行形なので、警察(シュルタ。解説その三の「警察」の項参照)に目を付けられるのも致し方ない立場なのだった。
 アリーの兄の曾孫および「ザイド派」のその後については、後ほど改めて解説する。

彼らの敗因は
 研究者の方々の見解が概ね一致しているので、本作ではそれに従ったが、私見を述べさせてもらえば、アリー派の最大の敗因は、揃いも揃って無計画だからである。「アリーの後裔のうち誰を大導師と仰ぐかで分裂し、団結を欠く」のも、後述するように「無計画」の表れである。「大導師(イマーム)」については次回解説(解説その一の「大導師」の項も参照のこと)。
 アリー派の最初の反乱である「悔悟者たちの乱」は、上述したようにアリーの次子フサインを無責任に担ぎ上げておいて見殺しにしたことへの贖いが目的であり、最初から玉砕覚悟だったようだ。しかし以後の反乱はことごとく、自分たちが正義であり唯一神の御心に適っていると信じ込んでいるので、まともに計画を立てないのである。こういう連中に担がれるほうも担がれるほうである。

 続きます。

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