「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十八
『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。
頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.63
上段23行
唯一なる神(アルイッラーフ)
イスラムで唯一神を指す「アッラー」(より原音に忠実に表記するなら「アッラーフ」)の語源はタージク(アラビア)語の定冠詞「アル」+普通名詞「イッラーフ(「神」)」、つまり「the God」である……というのは割りとよく知られていると思うが、実は確たる証拠があるわけではない仮説、解釈に過ぎない。提唱したのはドイツの学者ユリウス・ヴェルハウゼン(1844-1914)。「確たる証拠」というのは、まあたとえば初期イスラム時代(AD7‐8世紀)かそれ以前のタージク語で「アル・イッラーフ」、つまり「定冠詞」と「(普通名詞の)神」とを分けて表記した例が見つかっているとか、そういうことだ。
証明されたわけではないものの説得力があるので、今日ではムスリムの間でも「定説」となっているのである。
イスマイールは「多神教徒が神と呼ぶもの」という大神官の発言(12行前)を受け、「そなたらの神々(「ラリーハ」=「イッラーフ」の複数形=gods)」に対し、イスラムの唯一神を「アル・イッラーフ」(the God)と呼んだのである。「アッラーフの語源はアル+イッラーフ」という認識がなくても、「アル・イッラーフ」という表現は不自然ではあるまい。
追記
タージク(アラビア)語の普通名詞「神」は、より原音に忠実に表記するなら「イラーフ」である。本作で「イッラーフ」としたのは、間違えたのではなくて、そのほうが「アッラー(フ)」との繋がりが解りやすいだろうと思ったからである。
「外国語の原音に忠実な日本文字表記」にはこだわらない、と本作の解説だけでも再三述べているので、今回わざわざ断り書きする必要もないだろうと思っていたんですが、気づいた人に誤字・誤表記だと思われるのもなあ、と思い直したのでした。
それと、この解説を書くために読み返したら、「イラーフ」の表記でもよかったんじゃないか、という気もしてきたので。外国語のカタカナ表記をどこまで「原音に忠実」にするかは、いつもこんな感じでその場のノリで決めています。
世界に遍在する唯一なる神は、全エネルゴンの総体
イスラムの聖典にある次の言葉から導き出された見解。
「東も西も唯一なる神のもの。それゆえに、汝らいずこに顔を向けようとも、必ずそこに唯一なる神の御顔がある」(第2章115節)
多神教は唯一なる神という多面体の各面を……
イスラムへの改宗は至って簡単で、「唯一神のほかに神はなし(ラー・イラーハ・イッラッラーフ)、ムハンマドは唯一神の使徒なり(ムハンマドゥン・ラスーッラーヒ)」と唱えるだけでよい(棄教は原則として死罪とされるが)。
この「唯一神(アッラーフ)のほかに神はなし」という言葉はやがて、「唯一神のほかに存在はない」、すなわち唯一なる神のみが存在し、他のいかなるもの(被造物)もすべて、唯一神の一部に過ぎない、という発想を生み出す。
これを理論化したのが、イブン・アラビー(AD1165-1240)の「存在一性論」である。彼はさらにそこから、「すべての被造物は唯一なる神に等しいのだから、なんであれ被造物を信仰するのは唯一なる神を信仰するのと同じ」というラディカルな思想を導き出す。
しかしこれは決して突然変異的に生まれたのではなく、イスラム神秘主義(スーフィズム)の潮流の中で必然的に花開いたのである。たとえば11世紀の詩人バーバー・ターヒルは「ムスリム、マギ(ゾロアスター)教徒、メシアス(キリスト)教徒、外の形がなんであれ、汝(唯一神)は我らが真性の信仰」と詠んだ。
イスラム神秘主義において、唯一なる神への信仰とは神を愛することである。これはイスラム正統派から異端と見做されがちだった。そこで迫害を避けるため、特にファールス(ペルシア)語圏では、唯一神への愛の隠喩としての恋愛詩が発達した。意中の美女(あるいは美少年。ファールス語には三人称代名詞に性別がない)への愛や讃美に見せかけて、唯一神への愛や讃美を詠うのである。また詩に詠まれる佳人は、(異教の)偶像に喩えられた。「偶像=美しいもの」と認識されていたからだが、これは同時に唯一神を偶像に喩えていることにもなる。
こうして詩人たちもまた、「すべての被造物は唯一なる神に等しいのだから、なんであれ被造物を愛するのは唯一なる神を愛する(信仰する)のと同じ」という結論に達するのである。
「唯一神への愛」を初めて説いたのは、バスラ(現在のイラク南東部)のラービアという女性だとされる。数百年後に書かれた伝記を信じるならば生年は710年頃で、イスマイールたちより10歳ほど年長だということになる。しかし若い頃は奴隷だったというから、仮に本作の時代(8世紀半ば)にはすでに解放されて神秘家としての活動を始めていたとしても、ハッラーン(トルコ南東部)やマディーナ(イスマイールの故郷。タージク=アラビア半島西部)まで名が知られていたとは考えがたい。
本作においてイスマイールが数百年分を飛躍してイブン・アラビーの思弁へと到達し得たのは、ユーナーン(ギリシア)錬成術の「万物(物質のみならず霊的存在も)はエネルゴンで構成される」という理論を踏み台としたためである。
その結果、「唯一なる神すらもエネルゴンから構成される(したがってその他のあらゆるものと同じく人間に操作可能である)」という、大神官らが恐れる結論に行き着いてしまうことにもなったのだった。
そしてこれこそが、私が4半世紀余り探し求めてきた「あらゆる神話・信仰を包括するシンクレティズム神学体系の原理」なのである。
| 固定リンク
「「ガーヤト・アルハキーム」解説」カテゴリの記事
- 「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十六(2020.01.21)
- 「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十五(2020.01.14)
- 「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十四(2019.12.14)
- 「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十三(2019.12.13)
- 「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十二(2019.12.12)