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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その三十七

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
P.64
上段21行
救世主(マフディ)
 解説その十六の「メシアス教」の項で述べたが、日本では一般に「救世主」の意だとされる「メシア」の語源はヘブライ語の「マシアハ」で、「(聖油を)注がれた者」の意。タージク(アラビア)語「マシーフ」も同じ意味だが、「救世主」の意味は薄く、イーサー(イエス)の別名のような扱いである。
 イスラムにおいて「救世主」に当たる呼称は「マフディ」で、「(唯一神に)導かれた者」を意味する。ヘブライ語「マシアハ」は元来、理想の君主を指し、「救世主」の呼称となったのは終末論においてだが、イスラムにおける「マフディ」も当初は理想の君主を意味するに過ぎなかった。
 アリー派(解説その三十四参照)の最初の反乱は、解説その三十五で述べたように「悔悟者たち」による玉砕(AD684年)だったが、その翌年に反乱を起こしたのが、「悔悟者たち」と同じクーファ市民だが玉砕には加わらなかったムフタールという人物である。ムフタールはアリーの息子の一人イブン・ハナフィーヤ(ハサンとフサイン兄弟とは異母兄弟)を「マフディ」として奉じたが、この場合の「マフディ」に「救世主」的イメージはなかったと思われる。
 結局、ムフタールは2年後にかつての仲間と同じく玉砕し、イブン・ハナフィーヤは祀り上げられただけで反乱には参加していないということで赦免された。
 その後、ウマイヤ朝の幾人かの名代(ハリーファ)たちが「マフディ」と自称したり他称されたりしたが、いずれも救世主ではなく「理想の君主」の称号としての使用である。
 一方、イブン・ハナフィーヤは700年代初めに死去したが、彼の支持者たちの一部はその死を認めず、いずれ「マフディ」として再臨すると信じた。この「マフディ」には明らかに「救世主」のイメージが付与されている。
 彼らのこの願望はアリー派に共有され、「預言者ムハンマド(あるいはその従弟アリー)の血を引く大導師(イマーム)が一度死んだ後、マフディとして再臨し、正義を実現し物質的繁栄をもたらすと同時に、ウマイヤ家をはじめとするアリー派の敵を滅ぼす」という独自の思想へと発展した。
 アリー一族の当主として「イマーム」と呼ばれる第5代ムハンマド・バーキル(713年に就任)と第6代ジャアファル・サーディク(733年に就任。イスマイールの父)は、まさにこの「マフディ思想」形成の時代を生きたわけだが、武力蜂起を戒め、いつの日かマフディが再臨するまでイマーム(つまり自分)の導きに従うよう説いたという。
 参照:菊池達也『イスラーム教 「異端」と「正統」の思想史』(講談社)および『イスマーイール派の神話と哲学 イスラーム少数派の思想史的研究』(岩波書店)

 切りがいいところまで来たので、続きはまた明日

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