「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十九
『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。
頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.63
下段12行
最後にして最大の預言者
イスラムの預言者ムハンマド(AD570頃-632)のこと。「最後」というのは、聖典の第33章40節で唯一なる神がムハンマドを「預言者の封印」と呼んだことに基づく。「封印」とは、アーダム(アダム)以来続いてきた預言者の系譜の「打ち留め」(井筒訳ではこの訳語を当てる)という意味である。預言者とは啓示(唯一なる神のお告げ)を下される人間のこと。
なおイスラムではアーダムをはじめ、ヌーフ(ノア)、イブラヒーム(アブラハム)、ルート(ロト)、イスマイール(イシュマエル)など、ユダヤ教の聖書に登場する著名な人物が預言者とされる一方、ユダヤ教の預言者たちとはほとんど一致しない。確実なのはユーヌス(ヨナ)とザカリーヤー(ザカリヤ)だけで、後はエノクなど異説のある人物が数人。メシアス(キリスト)教の聖書からは、ヤフヤー(ヨハネ)とイーサー(イエス)の2名のみ。
イスラムによる定義では、メシアス(キリスト)教はユダヤ教の改良版であり、さらにその改良版がイスラムで、もはやこれ以上改良の必要がない完璧な宗教である。だから、これ以上啓示が下されることはないのだ。
「最大」については、聖典において唯一なる神が否定している。(「(ムハンマドは)古今東西未曾有の使徒なぞというものではない」(第46章9節)「使徒」とはこの場合、「預言者」と同義と考えてよい。伝承によれば、ムハンマド自身も自分が先行する預言者たちより偉大であることを否定したという。
しかし信徒の心情としては……というわけで、「最後にして最大の預言者」なのである。
このように、どちらも聖典の記述であるにもかかわらず、信徒たち自身によって「最大の預言者でない」のほうは無視(否定)されている一方、「最後の預言者」のほうは否定したら、つまり632年に没したムハンマドよりも後の人間に唯一神の啓示が下ったと認めたら、イスラムそのものを否定したことになってしまう。新たな啓示は、イスラムの聖典を改良するものになるはずだからだ。
ところでイスラムの民間信仰では、「聖者」と呼ばれる人々が崇拝される。聖者とは唯一なる神から分け与えられた力(バラカ=神寵)によって奇蹟を起こすことのできる人物で、メシアス(キリスト)教の聖人と似たようなものだと考えていいだろう。教会の認定は必要ないので(イスラムには教会組織に該当するものが存在しない)、聖者の誕生は遥かにフリーダムである。広い地域で崇敬されている聖者もいるが、ごく狭い地域・共同体でのみ崇敬される「ご当地聖者」はそれこそ無数だ。
「聖者」と訳される語は、地域や時代によってさまざまだが、聖典やムハンマドに関する伝承の中でこれに該当するのは「ワリー」である。これは「(唯一なる神の)友」という意味で、友達だからバラカ(神寵)が分け与えられるのである。そして友達なので当然、交流もある。
しかし上述したように、ムハンマド以降のムスリムが唯一神の「声」を聞いた、すなわち啓示が下ったと主張することは、背教行為にほかならない。だから聖者伝などでは、「天の声」「姿なき声」「どこからともなく聞こえる声」という感じで誤魔化してある。
聖者とイスラム神秘主義(スーフィズム)の関係はややこしいので解説は省くが、イスラム神秘主義教団は、その教団と関わりのある独自の聖者(教団の開祖など)を持つことが少なくない。また神秘主義独自の聖者論には、「聖者の封印」というものがある。
これは「預言者の封印」と同じく、「最後の聖者」ということで、「最後の預言者」が「最大の預言者」であるのと同じく、「最大の聖者」だということになっている。
で、神秘主義教団ごとに、自分たちの聖者を「最後の聖者」だと主張してたりするのであった。
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