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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その二十七

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.63
上段14行
哲学者(ファイラスフ)
 φιλοσοφος(philosophos ピロソポス 英語形はphilosopher)「知恵を愛する者」のタージク(アラビア)語形。タージク語はP音がないのでF音に変わる。
 まあこの発言はシャーム(シリア)語で為されているし、そもそもAD8世紀半ばに「ピロソポス」のタージク語形発音が存在したのかは定かではないのだが(「ピロソポス」という語を知っているタージク人は、本作のジャービルやイスマイールのように外国語の知識があったはずである)、そこはそれ、雰囲気を出すためである。
 史実においても本作においても、ユーナーン(ギリシア)の学問領域では伝統的に「実践」が蔑まれてきた。理論の構築には熱心だが、実験、観察・観測、計量・計測という「肉体を使う作業」による実証は軽んじられてきたのである。だから錬成術(錬金術)が発展したのも、ユーナーン本土ではなく、ルーム(ローマ)時代のキーム(エジプト)だった。
 4世紀以降、ユーナーン錬成術が実践を軽んじるようになったのは、ルーム全体の衰退が背景にあるのはもちろんだが、ユーナーンの伝統的価値観が根強かったのも一因かもしれない。
 本作の舞台である都市ハッラーンはヘレニズム時代、キームのアレクサンドリアと並んで、錬成術が盛んだった。錬成術はヒルミス(ヘルメス)信仰と密接に結びついており、この時代にバビール(バビロニア)以来のシン信仰とヒルミス信仰とが混淆した可能性がある(解説その二十の「父祖たちは東方へ逃れ……」の項参照)。ハッラーンのシン神殿は、シン=ヒルミス信仰の中心だった。
 またサーサーン朝皇帝ホスロウ1世(在位539-628年)は異国の学問導入の一環として、ハッラーンに「ユーナーン人の学校」を建てたが(解説その二十一参照)、こちらは古代およびヘレニズム時代のユーナーンの学問継承の中心となった。
 しかし10世紀の記録によると、ハッラーンの神殿と学園は対立していたという。またユーナーンの学術書を数多くタージク語に翻訳し、自身も優れた数学者、天文学者だったサービト・イブン・クッラ(826-901)は、ハッラーン古来の宗教を信仰しており、『ヒルミスの教え』という書を著してもいるが、教義上の意見の不一致のため、神殿への出入りを禁止されたという。
 ハッラーンのシン神殿で人間の犠牲を伴う秘儀や妖術が行われていた、という後世のムスリムによる報告は中傷にしても(解説その四の「偶像に生贄を捧げて……」および「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)、ヒルミス=シン信仰に秘教的な色彩が強かったのは確かだろう。そもそもこのヒルミスは、ヘルメス・トリスメギストスなわけだから。
 前近代のムスリムは概して異教に無関心で、それぞれを区別しない。だからたとえばハッラーンの宗教について、9‐10世紀の知識人の間では、「ボザスプ(菩薩=ボディサットヴァ)の僧侶たちが、ファールス(ペルシア)のジャムシード(『王書』に登場する伝説上の王。善政を敷いたが後に堕落し、暴虐なザッハークに王位を奪われる)の父(または兄)を改宗させたのが始まりで、太陽を崇拝する(ミトラス教と混同している?)」という妄説が流布していた(『伝ウマル・ハイヤーム ノウルーズの書』東アジア人文情報学研究センター)。
 しかし例外的に信憑性が高いと思われるシャフラスターニー(1153年没)や、ムスリムでありながらハッラーンの叡智を継承したと称する10世紀の異端者たち(後述)の著作によると、ハッラーン人たちの教義は、ヒルミス主義の中でも特にピュタゴラス主義の比重が高く、輪廻転生を信じ、数学(および数秘術)、天文学(および占星術)、音楽を重んじていた。またピュタゴラスをヒルミスやアガトダイモーン(元来は古代ユーナーンの神だが、ヘレニズム期には実在の錬成術師と見做された)と並ぶ自分たちの祖先だと信じていた。
 解説その九の「預言者」の項で見たように、ヒルミスはマーニー教(マニ教)において預言者の一人に数えられ、やがてムスリムたちにも預言者として崇敬されるようにになった。シンクレティズム(諸教混淆)の一例である。9世紀以降、一神教を装うようになるハッラーン人たちも、ヒルミスを預言者だと見做すようになり、さらにはピュタゴラスも預言者だとすることもあったという。
 ヒルミス主義には実にさまざまな(言い換えれば雑多な)要素が詰め込まれているが、なかでもピュタゴラス主義は秘教の代表と言っていいだろう。ちなみにピュタゴラスのタージク語形は「フィタグルス」である。
 ハッラーンで継承されてきたユーナーンおよびヘレニズム文化のうち、秘儀を伴う神秘主義を担ったのが神殿で、理性(ロゴス)を重んじる哲学を担ったのが学園だったのだろう。同じ宗教の信者でも、両者の間には必然的に「教義上の見解の違い」が生じたと思われる。
 大神官が同胞である哲学者たちを悪しざまに言ったのには、こうした事情があったのですよ、という話。

 続きます。

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