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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その五十四

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

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note
『賢者の究極目標(ガーヤト・アルハキーム)』
 マスラマ・マジュリティー(AD950-1007.より原語に忠実な表記はマスラマ・アル・マジューリティー)はスペイン(後ウマイヤ朝)の数学者。
 イブン・ハルドゥーン(1332-1406)は『歴史序説』(岩波書店)で、マジュリティーにたびたび言及しているが、魔術師あるいは錬金術師としている。イブン・ハルドゥーンは中世においては稀有な合理的思考の持ち主だが、彼の時代にはすでに科学全般が衰退しつつあり、数学や錬金術(化学の原型としての)を含む科学と魔術との区別が曖昧になっていたのである。
 イブン・ハルドゥーンは、マジュリティーを魔術書『賢者の極み』(本作では「極み」を「究極目的」とする)ならびに錬金術書『賢者の階層』の著者としている。これはイブン・ハルドゥーンひとりの見解ではなく、当時の通説であろう。
 現在では、タージク(アラビア)語魔術書『ガーヤト・アルハキーム』の著者はマジュリティーではなく、12世紀の無名の人物だとされている。イスラム支配下のスペインのユダヤ人だという説と、ハッラーンの多神教徒だという説があるようだが、妥当なのは前者である。後者については、12世紀にはハッラーンの異教徒のコミュニティはとうに消滅しているし、自らを誹謗中傷する (解説その二の「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)というのもおかしな話である。
『ピカトリクス』は『ガーヤト・アルハキーム』のラテン語版タイトル。

イスマイール派
 解説その四十五の「アブー・ハッターブ」の項で述べたように、イスマイールの生前から彼をイマーム(大導師)に望む人々がいた。その中心的人物であるアブー・ハッターブは、イスマイールの死が父である第6代イマーム、ジャアファル・サーディクによって公表されると、今度はサーディクをマフディ(救世主)または神に祭り上げようとして失敗し、処刑された。
 しかしイスマイールの死を信じず、彼は一時的にこの世を離れただけで、やがてマフディとして再臨すると信じた人々もいた。また別の一派はイスマイールの死を認めたものの、彼は生前にイマームの地位を父から譲り受けていた、すなわち第7代イマームとなっていた、と主張した。この二派が後の「イスマイール派」の原型である。
 いずれにせよ事実としては、アリー一族当主としての第7代イマームの地位はイスマイールの弟に受け継がれた。この弟の血統は4代もしくは5代後に断絶するが、この5代目の子孫を第12代イマームとし、いつの日かマフディとして再臨すると信じるのが十二イマーム派であり、現在に至るまでアリー派の主流である(イラン・イスラム共和国の国教である)。
 一方、イスマイール派についての記録は、100年以上後のAD9世紀末になるまで現れない。899年、イスマイールの子孫を称する人物がシャーム(シリア)に現れた。政府に逐われた彼はチュニジアに逃れ、現地民の支持を得て王朝を設立した。これがファーティマ朝(909-1171)であり、969年にはエジプトのカイロを攻略して首都とする。
 この王朝が国教とする教義もイスマイール派と呼ばれるが、奇妙なことにアリー派第6代イマーム、ジャアファル・サーディクの跡を継いで第7代イマームとなったのはイスマイールではなく、彼の息子だとしている。イスマイールの存在が無視されているのである。
 実は「イスマイール派」というのは他称であって、ファーティマ朝では「教宣組織」と自称していたそうだが、イスマイールがイマームにならなかったことが分派の発端となっているのは事実なので、「イスマイール派」という名は他称としては適切であろう。
 イスマイールの死後の8世紀後半から、ファーティマ朝のイスマイール派が出現するまでの100年余り、第7代イマームをイスマイールとするかその息子とするかを巡って水面下で争いがあり、後者が勝利したと考えられる。この期間はアッバース朝によるアリー派弾圧が非常に厳しかったため、アリー派の中でも少数派だったイスマイール派の史料はまったく残っていない。
 イスマイール本人についての史料も非常に少ないのは、こうしたアッバース朝による弾圧に加えて、イスマイール派の主流が彼の存在を無視したことも大きいかもしれない。
 また10世紀に入ってファーティマ朝が成立すると、アッバース朝は非常に警戒し、反イスマイール派プロパガンダを展開した。イスマイール派を誹謗中傷する文書がこの時期、大量に作られ、同派の起源に関する伝承も捏造された(ファーティマ朝の開祖はイスマイールの子孫などではなくユダヤ人だ、等々)。初期イスマイール派の研究を困難にしている一因である。
 ところで、ファーティマ朝君主の称号は、アリー派(の分派)らしく「イマーム(大導師)」またはアッバース朝に対抗して「ハリーファ(名代)」だが、彼らはイスマイールの子孫ということになる。その6代目、ハーキムという人物は強烈な個性をもって知られる。996年に11歳で傀儡としてハリーファ位に就けられ、政治は宦官に牛耳られた。在位4年で自ら宦官を殺害し、以後は親政を行う。当初は異教徒も含めすべての人民に対し寛容だったが、数年で異教徒弾圧に転じる。この頃から夜な夜な街を徘徊するなどの奇行が目立つようになる。1017年頃には一部の熱狂的な信奉者の支持を得て自己神格化に至り、1021年、謎の失踪を遂げた。
 参照:菊池達也『イスマーイール派の神話と哲学』岩波書店
 このハーキムを主人公にした短篇小説が、ジェラール・ド・ネルヴァル(1805-1855)の「カリフ・ハケムの物語」(筑摩書房『ネルヴァル全集Ⅱ』所収)である。
 解説その一の「美青年」の項で、イスマイールに関する情報があまりに少ないので、彼の弟の末裔を自称し自己神格化を含めたエキセントリックな言動で知られるファールス(ペルシア)のサファヴィー朝の始祖イスマイール1世(AD1487-1524.在位1501-)のイメージを重ねていると述べた。それに加えて、このハーキムのイメージも少し重ねている。まあ本作のイスマイールは、エキセントリックではあるがこの二人とは方向性が違うんだが。

 次回で完結です。 

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