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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十五

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.65
下段9行
酒場と偶像神殿
 解説その一の「服装から半数は異教徒、半数は信徒と……」の項で説明したとおり、本作の時代(AD8世紀半ば)、イスラムの飲酒禁止は建前に過ぎないような状態だった。このような風潮への反動として戒律の厳守を唱える禁欲主義が生まれ(解説その三十二参照)、またウマイヤ朝に不満を抱くアリー派(解説その三十四の「アリー派」および「不満分子」の項参照)も、禁欲主義ほど厳格ではないにせよ、戒律破りは快く思っていない。
 アリー一族の嫡子イスマイールには、飲酒癖があったと伝えられる(同時代史料ではない)。アリー派からすれば、イマーム(大導師)の後継者としてあるまじき悪癖である。
 ハッラーンのシン神殿、すなわち「偶像神殿」とイスマイールの関わりは創作だが、「偶像崇拝」は聖典において飲酒以上に明確に厳格に禁止されている。
 しかし解説その二十三で述べたように、当時はイスラム世界の大部分で異教徒の偶像崇拝はお目こぼしされていた。また後代の旅行記などから、ムスリムが異教の宗教施設を「観光」するのは珍しくなかったことが判る(「狡賢い神官」が「愚かな異教徒たち」をぺてんに掛けているのを著者が見破って悦に入る落ちがしばしば付くが、これは定番の嘘話である)。本作の時代(AD8世紀半ば)よりずっと保守化した時代でも、ムスリムが異教の宗教施設を訪れるだけなら、不信仰とは見做されなかった。
 とはいえ偶像神殿に足繁く通うムスリムがいたとしたら、当然非難されただろう。

貧相な骨柄
 解説その一 の「ただし肉付きが……」の項で見たように、タージク(アラブ)の伝統的価値観(前イスラム時代から近代に至るまで)では、男女とも太っているほど美しいとされていた。
『千夜一夜』をはじめとする古典文学では、美女も美青年も「月のように」美しいとされるが、この月は三日月じゃなくて満月で、しかも「満月のように光り輝く美しさ」というだけでなく、「満月の如く豊満」という意味でもあるからね。顔や髪などが「美」の条件を満たしていても、太っていなければ「貧相」となる。
 しかも中世には洋の東西を問わず、現代より遥かにルッキズムが支配的だったので、外見が貧相なら内面も貧相だと決めつけられたのだった。

アブー・ハッターブ
 イスマイールの父ジャアファル・サーディクの側近。生年不詳。没年は後述。
 アリー一族第6代当主(イマーム)の嫡子イスマイールについての、同時代史料は現存しない。生年はAD719年または722年だが、没年は754年説、756年説、760年説、大きく飛んで813年頃説とがある。父サーディク(765年没)より先に没したというのが定説なので、ほとんどの研究者から813年説は無視されている。
 確かな事実は、イスマイールが第7代イマームにならなかったことである。その理由については、単に父より早く死んだから、という伝承と、上記のとおり飲酒癖があったため廃嫡された、という伝承とがある。廃嫡の時期については伝えられていない。
 イスマイールとアブー・ハッターブの関係に注目したのが、アンリ・コルバン(1903-1978)である。サーディクの側近の1人だったアブー・ハッターブは、イスマイールをイマーム(この場合は「全信徒の長」の別称)として担ぎ上げようとし、748年(本作の2年後)頃、サーディクから絶縁された。イスマイールが早逝したため、今度はサーディクがイマーム(=全信徒の長)にして唯一神そのものだと主張し、仲間とともにイラクのクーファ(アリー派の最大拠点)で蜂起したが、例の如く直ちに鎮圧され、処刑された。
 彼の没年は755年または762年だとされる。前者ならイスマイールは754年に没したということになる(アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』岩波書店)。
 754年(または756年、または760年)、サーディクはイスマイールの死亡を公表し、それが事実であると、マディーナ(サーディクの居所)の総督をはじめとする有力者たちにも保証してもらった。にもかかわらず、アリー派の一部は、サーディクが政府の迫害を恐れてイスマイールの死を偽装したのだと信じた。
 ファルハド・ダフタリー(1938-。著書の邦訳なし)によると、イスマイールの死は実際に偽装で、その後彼は幾度かアリー派の反乱に関わった、との伝承もあるという。最終的に813年、首謀者として反乱を指揮したが、その後まもなく没したという。
 90歳以上というのは、当時としては長寿すぎるようだが、寿命は遺伝で決まるので運がよければ中世だろうと古代だろうと長生きはする。とはいえ、この時代に90代で反乱を指揮というのは、さすがに無理がありすぎる。
 アブー・ハッターブに話を戻すと、アンリ・コルバンはイスマイールは飲酒癖のせいなどではなく、アブー・ハッターブの反政府活動に積極的に関わったため廃嫡されたのだとする。アブー・ハッターブがサーディクから絶縁されたのが748年頃だから、イスマイールの廃嫡はその後、早くても同時期だろう。結局アブー・ハッターブは、公表されたイスマイールの死を信じ、サーディクに「鞍替え」したわけだが。
 いつからアブー・ハッターブがイスマイールの信奉者として活動を始めたのかは不明だが、本作ではすでに政府の注意を引いていることにした。少なくとも今のところ、イスマイール自身は担ぎ上げられる気はない。彼がハッラーンに赴いたのは遊学のためだが、あるいはそれは表向きの目的で、真の目的は敢えて政府の監視が厳しい首都に入ることで、アリー派を遠ざけようとしたのかもしれない。

 続きます。

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