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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十八

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.66
下段12行
不朽体(サフ)
 古代キーム(エジプト)ではミイラを「サフ」かそれに近い発音で呼んでいた。「高貴な」という意味だそうだ。
「不朽体」はメシアス(キリスト)教聖人の遺体のことで、神の加護によって腐敗しないとされる(ラテン語in「不」+corruptus「腐った」から)。現存する「不朽体」は、自然または人為的にミイラ化した遺体だと言われている。
 本作で「不朽体(サフ)」という名称を当てた「物」については後ほど解説するので、ここではヒルミス(ヘルメス)との関係について。
 後世のムスリムがヒルミスを預言者エノクと同一視したことは、解説その九の「預言者」の項で述べた。ところで「エノク」のタージク(アラブ)語形は、「ハヌーフ」という。解説その二十九で述べたように、イスラムの聖典では歴代の預言者のリストが挙げられているが、そこに「ハヌーフ」の名はない。ユダヤ教聖書に該当人物がいない幾人かの預言者のうち、「イドリース」がハヌーフ=エノクだとされている(大川玲子『聖典クルアーンの思想 イスラームの世界観』講談社)。
 イブン・バットゥータ(AD1304-1369頃)は『大旅行記』(平凡社)の中でヒルミスについて、古代キーム(エジプト)で唯一なる神を崇めた最初の人であり、またの名をハヌーフ、つまりイドリースのことである、と述べている。ヒルミスは大洪水(ノアの洪水)を予知し、それによって知識や技術が失われることを恐れ、ピラミッドと古代神殿を建て、その中に絵を描くことで後世に伝えようとしたのだという。
 イドリース=エノク説には異説もある。家島彦一『海域から見た歴史 インド洋と地中海を結ぶ交流史』(名古屋大学出版会)によると、イドリースはイエス・キリストの使徒アンドレアスとも同一視されていた。つまりヒルミスはメシアス教聖人でもあったことになり、その「サフ」に聖人の遺体を指す「不朽体」の語を当てるのは適切なのである。

克死漿(ネクタール)
「ネクタール」νεκταρnektarはユーナーン(ギリシア)神話の神々の飲料。原義は「死を克服する」。
 前項の「サフ」が古代キーム(エジプト)で、「ネクタール」は古代ユーナーン。この文化混淆は、ヒルミス(ヘルメス)信仰そのもののである。

大きな硝子壺の中
 この場面はハッラーン神殿の密儀についての伝承に基づいている(解説その四の「犠牲に選ばれるのは……」の項参照)。

水時計
 水時計は数千年前からキーム(エジプト)やバビル(バビロン)で使用されていた。これを改良したのがアレクサンドリアのクテシビオス(前3世紀)で、以後千数百年にわたって水時計の機構に変化はなかった。

p.67
下段
三重に偉大な賢者
「三重に偉大な」は、ヘルメス・トリスメギトスの「トリスメギストスτρισμηγιστος」の訳。「三倍偉大な」と訳されることもある。

人の姿をとったアルイクシール
『栄光ある者の書』(キターブ・ル・マージド)と題される著作でジャービルは、「栄光ある者」とはイマーム、すなわちアルイクシールであると述べている。このアル・イクシールは神的霊から溢れ出し、下界(地上)の国を変貌させることになっているという。
 参照:アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』岩波書店

 続きます。

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