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「ガーヤト・アルハキーム」解説 その四十四

『ナイトランド・クォータリー』vol.18「想像界の生物相」掲載の短篇「ガーヤト・アルハキーム」の解説です。連日更新中。

目次

頁数は『ナイトランド・クォータリー』本体のものです。
p.65
上段5行
聖典
 預言者ムハンマドが受けた啓示をまとめたこの書物の名は、言うまでもなく「クルアーン」。「聖典」は、タージク語「アルキターブ」に当てた語である。the BookやBible(原義は「書物」)だけでユダヤ教およびメシアス(キリスト)教の「聖書」を指すように、「アルキターブ」(「定冠詞」+「書物」)だけで「クルアーン」を指すからだ(なお、「アルキターブ」はユダヤ・メシアス教の「聖書」も指す)。
「クルアーン」とは「誦まれるもの」、つまり「音読されるもの」という意味である。黙読するものではない。黙読は非常に個人的な行為である。一方、音読は、他人に聞かせることを前提としている。
 アウグスティヌス(AD354-430)は、ミラノの司教アンブロシウスが読書の際には黙読が常であったことを、わざわざ書き記している。アウグスティヌスは、音読していれば、それを耳にした誰かにあれこれ質問されて、説明したり議論したりしなければならないこともあるが、黙読ならそれがない、と感心している。だからといって、自分もそうしようとは少しも思わなかったようだ。無反応な文字で表わされた言葉とだけ向き合う行為である「黙読」よりは、その場にいる誰かと体験を共有できる「音読」のほうが、少々煩わしくても好ましかったのだろう(アルベルト・マングェル『読書の歴史 あるいは読者の歴史』柏書房)。
 この古代末期の西洋の「読書文化」は、中世イスラム世界にもそのまま当てはめられるだろう。まず前提として、「読む」という行為は個人的なものではなかった。音読(朗読)して他人と共有するものだったのである。
 前回、識字率の低い社会には、生きた人間が発したのではない「書かれた言葉」への根強い不信感がある一方で、文字や書物そのものに対する呪物信仰があると述べた。また解説その二十一で述べたように、古代末期から預言者ムハンマドが生きた7世紀初め頃、ユダヤ・メシアス教やマーニー(マニ)教のような聖典を持つ宗教は、持たない宗教から非常に羨ましがられていたらしい。
 ムハンマド自身をはじめ、当時のタージク人の大半が文盲だったにもかかわらず、イスラムが最初から、啓示とは天にある一冊の書物(聖典の「原型」)に書かれた言葉が預言者に下されたもの、という概念を有していたのは、そういう事情からである。


 中東は乾燥地帯なので、外を歩けば砂埃塗れになってしまう。そこで客人には顔や手足を洗うための盥と水を用意するのが礼儀だった。

清涼飲料(シャルバート)
 解説その三十九および四十で説明した飲料の名称。「シャルバート」は「シャリバ」(飲む)の派生語で、「飲料」の意味。冷たい飲み物だけでなく温かい飲み物も指す。
 解説その一の「服装から半数は異教徒、半数は信徒と……」の項で述べたように、イスラム世界では飲酒が禁止されているため(どんなに規制が緩い時代・社会でも、建前上は禁止である)、さまざまなノンアルコール飲料が発達した。それらのうち果汁に香料(砂糖を含む)を加えた冷たい「シャルバート」が西洋に伝わり、「シャーベット」の原型となった。

 長い回が続いたので、今回はここまで。また明日

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